「声優は常に自分自身に鏡を向け、精神面を操る仕事。自分がどういう状態なのか客観的に見ること、どのくらいのレベルかを知ることが第一歩。現代の声優は、セルフマネジメントができないと難しい」と語る緒方恵美氏
「声優は常に自分自身に鏡を向け、精神面を操る仕事。自分がどういう状態なのか客観的に見ること、どのくらいのレベルかを知ることが第一歩。現代の声優は、セルフマネジメントができないと難しい」と語る緒方恵美氏

デビュー30年目に突入。主人公・碇(いかり)シンジを演じた『エヴァンゲリオン』シリーズが一段落。緒方恵美氏にとって2021年は声優生活の節目となる年といえるだろう。そんな区切りの年に、幼少期から現在までの生きざまを記した自伝『再生(仮)』を刊行。

知られざる1990年代の人気アニメの制作現場の話から、私塾を開校して若手を育てる話まで、あらゆることをオープンに語った思いとは。

* * *

――業界の裏側からプライベートのことまでストレートにつづられていて、衝撃的な内容でした。

緒方 テーマは「俺の屍(しかばね)を越えてゆけ!」。私の失敗を踏み台に、強く生きてくださいという思いで。

――著書でも触れられていますが、『エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督との出会いは衝撃的でした。

緒方 94年の夏に『セーラームーンS(スーパー)』の番組関係者100人ぐらいで箱根旅行に行きまして。宴会の3次会の会場へ移動しているとき「(緒方さんが演じていた)セーラーウラヌスの変身シーンを演出していました」と直接声をかけていただきました。

それで「これからやる監督作品で、緒方さんに主役のオーディションに出ていただきたいとオファーを出したけど断られた。なぜ断ったのか理由を知りたい」と。私も初耳だったので驚いていたら「僕を嫌いと思っている?」とか、「スタッフの誰かと仲が悪いのか」と聞かれて。

――オファー段階ではテレビシリーズではなくOVAで企画されていたそうですが、当時、緒方さんはアニメ、ラジオ合わせてレギュラーが11本と超多忙。テレビシリーズの主役なら考えるが、OVAなら見送ろうという所属事務所の判断だったとか。

緒方 箱根旅行がなかったら、3次会まで行かなかったら、どうなっていたんでしょう(笑)。

――今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で、ファンとしてはようやく一段落した感じですが、緒方さんにとっては25年ほど続いた作品に区切りがついた感じでしょうか?

緒方 これは皆さんも感じていることだと思いますし、私もですが、25年続くとは誰も思わなかったのではないでしょうか。まずはひと区切りついて、ホッとしています。ただ、ラストシーンを演じなかったことで、私の中のシンジはまだ「14歳」のまま、残り続けているのですが(笑)。

――個人的には決着がつかなかった。

緒方 そのあたりの気持ちも、本書で書かせてもらいました。

――声優デビューから1年弱で『幽☆遊☆白書』の蔵馬役が決まり、その後に『美少女戦士セーラームーンS』の天王はるか役、そこから転がって『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジくん。順風満帆のように見えますが、本ではわれわれが見えない部分をつづっていますね。

緒方 初めて蔵馬のセリフをしゃべった直後に「ほかの役者さんと並べて聞くと、少しバランスが悪い。なんとかしてくれない?」「自分で考えてきて。わざと低い声とか作らず、自然な感じで」とスタッフさんに言われたときは頭が真っ白に。

ですが、幸い、もともとの声帯が日本人離れしているらしかったことと、声優の前に売れない舞台俳優生活を長くやっていまして、下積みという意味ではいろいろあったので、考え、筋トレすることでなんとかしました(笑)。

――そんな蔵馬役で人気が出て、90年代のイベントではファンが殺到してパニック状態に。

緒方 イベントの後、タクシーで現場から離れようとしたら、ファンの方に見つかり、会場近くの交差点に赤信号で止まったところで、ファンの皆さんがタクシーを囲んで警察の方も出てくる騒ぎに。当時はネットで情報を簡単に得ることができなかったですから、ファンの方も熱さを行動で体現してくださる時代でした......(笑)。

――今はSNSがあるから、声優さんの趣味とかプライベートの一部を垣間見ることができますが、当時はそんなものを見ることができない。

緒方 数少ないチャンスですから、そうなる気持ちもわかりますが、とにかくすごかった。

――90年代中盤から声優が出演するラジオが増え、曲も出すようになり、活動の幅が広がりました。

緒方 私はもともとしゃべるのが苦手だったので、ほかの人が紡いだ言葉に気持ちを乗せるこの仕事を選んだんですけど、業界に来たら、なぜか自分の言葉でしゃべらなければならない仕事がとても多く来るようになって。

ラジオでフリートークしたり、テレビに出てしゃべったり歌ったり、雑誌のグラビアに登場したり。今に至るタレントのような仕事の仕方をしていた先輩がいなかったからアドバイスをいただくということができない。第3次声優ブームの先駆け的ポジションだったので、ひとつひとつ切り拓いてきました。

こういう芝居以外の部分もそうですが、求められる芝居の質も変わりました。当時までは主流だった舞台芝居的な発声ではなく「自然体の演技」を求められるようになったのも90年代から、というかエヴァからで。だから、自分で考えて、道を見つけていくしかなかった。

――2019年に私塾を開校されたエピソードも印象的でした。

緒方 「もっとうまくなりたい」「でもどうしたらいいかわからない」という若手の声をよく聞くようになって。自分も若い頃は学びの場に飢えていたので、何かしてあげられないかということで無料の塾をつくりました。

――若い人たちには、緒方さんのこれまでの経験を噛(か)み砕いて伝えている?

緒方 まずは現実を知ること。自分の今の力、できなさ加減を知るところからしか成長はないので、そこから始めています。例えば、「声優になりたいと思っている人は1学年に3万〜4万人いるといわれています。皆さんがイメージする『人気声優』としてデビューできる人は、年間にほんの数人ですよね。

仮に3、4人だとすると、声優になりたいと切望する人の中の1万人にひとりしか希望は叶(かな)えられない。あなたは1万人の中でトップの演技力を持ち、1万人にひとりの容姿や人格を持ち、健康な自分の思いどおり動く体を持っていると思いますか?」っていう問いかけから。

――いきなりそれでは、ヘコんでしまう人が続出するのでは?

緒方 「なりたい人がなれる仕事」ではなく「選ばれた人がなれる仕事」。業界が求めている需要のなかで、今の自分の姿と力を知り、立ち位置を自覚するところからどうするか。心が折れて、でも覚悟を決め、考え、心身を鍛え、自力で前に進む。そういう人しか先に進めない。特に今は......。

――なるほど......(自分ができないことを知る。それでも前に進む。シンジ君のようだなぁ)。

緒方 今は映像仕事も多いので、ある程度以上の容姿も持ってないと事務所も採用してくれにくいので......。

――塾のほうは、コロナの影響が出ていますか?

緒方 いろいろ出ています。塾ももちろんですが、アニメの現場やライブ・イベントのほうがもっと大きな影響を受けていますね。政府のメッセージが二転三転するし、支援がなかなか届かないしで、かなり振り回され続けています。

でも、そういう裏側はいろいろあれど、私たちは笑って楽しんでもらえるアニメやゲーム、曲などを届けられるよう、祈りながら制作活動を続けていきます。今回の『再生(仮)』でも、そんな思いをつづっています。エラーもたくさんあるけれど、トライしなければ得られるものもない。明日への勇気を受け取ってもらえたらうれしいです。

●緒方恵美(おがた・めぐみ)
6月6日生まれ、東京都秋葉原出身。1992年、アニメ『幽☆遊☆白書』の蔵馬役で声優デビュー。直後の94年に『美少女戦士セーラームーンS』の天王はるか/セーラーウラヌス役に抜擢。さらに95年には社会現象となった『新世紀エヴァンゲリオン』で主人公・碇シンジ役を演じる。現在は声優活動はもちろん、歌手として楽曲のリリースやライブを行なうほか、私塾を開校し、若手を育成するなど、活動の場を広げている

■『再生(仮)』
(KADOKAWA 1870円[税込])
『新世紀エヴァンゲリオン』をはじめとする出演作にまつわるエピソードはもちろん、子供の頃のこと、父親のこと、借金のこと、離婚のこと、セクハラに関する話など、緒方恵美という人間をリアルに熱く振り返った一冊。「俺の屍を越えてゆけ!」という思いでつづったというこの本は、声優を目指す人はもちろん、目の前の壁に悩み苦しむ人にもヒントとなる言葉が多い

取材・文/渡辺雅史(リーゼント) 撮影/下城英悟 ヘア&メイク/杉浦なおこ