談志師匠がゆみこ氏に書いた色紙。「弓ちゃん、ゆみちゃん...『モシモシ弓ちゃんデス』 寝てますネ きっと」
談志師匠がゆみこ氏に書いた色紙。「弓ちゃん、ゆみちゃん...『モシモシ弓ちゃんデス』 寝てますネ きっと」

天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

生涯、携帯電話もスマホも持っていなかった談志師匠。でも電話はマメにかけていたそうで、今回は師匠と電話にまつわるエピソード。

* * *

今回は父の電話にまつわる話を書こう。父はポケベルも携帯電話も一切持たず、生涯、家の電話と公衆電話だけを使っていて、スマホの存在も機能も知らずに死んだ。もし今も生きていたら使っていたのだろうか? スマホを持っている父の姿を想像するだけで笑える。

父はまめに電話をかける人だった。父が出かけてやっといなくなったと家族がホッとしていると、5分後には駅から電話がかかってきた。両親が根津のマンションに住んでいたとある初夏の日。普段はバーゲンやユニクロで父の服を買っていた母が、珍しくラコステでオレンジ色の麻のジャケットを買ってきた。それを着た父はオレンジ色がとてもよく似合っていて、麻の生地の着心地も良かった為か上機嫌で仕事に出かけた。

5分後、根津の駅から電話があった。

父「このジャケットいいねー」
母「やっぱり高いのはいいのよねー」
父「えっ これいくらなの?」
母「5万9000円」
父「もう買わなくていいから」
ガチャン。さっきまであんなに機嫌が良かった父が、値段を聞いて怒ったらしい。

ケチだった父は電話代も高くなることを懸念して、公衆電話には10円しか入れなかった。父の電話は、自分の用件だけを短く言ってガチャンと切る、とても感じの悪いものだった。
例えば「ゆみこ! 〇〇やっとけ!」「談志です。〇〇をお願いします、以上」てな感じ。

お弟子さん相手にはもっと乱暴だったはずで、父からの電話は恐ろしかったと思う。お弟子さんたちは電話の内容が聞き取れなくても、聞き返す事やかけ直す事も出来ない。だから時間や場所を間違えたり、牛乳と牛丼を間違えたりとか、今では笑えるエピソードを皆さん持っていると思う。

こんな話も母から聞いた。新宿のビルに住んでいた頃、地下にあった管理人室から「お歳暮の鮭が届いて預かっています」と電話があった。電話に出た父がそばにいたお弟子さんに「地下に鮭を取りに行ってこい!」と言った。すぐさまお弟子さんは新巻鮭を受け取りに向かった。大分時間が経っても、お弟子さんは戻って来ない。しばらくして電話が鳴った。

父「お前、何処にいるんだ! バカヤロー」
お弟子さん「伊勢丹です」
父「なんで伊勢丹なんだ! 鮭は家の地下だ!」
と怒鳴っていたが、父もウケていたそうだ。当時、毎日のように伊勢丹に通っていた母の影響もあったのか? とにかく勘違いをして伊勢丹デパ地下の食品売り場で「立川談志の鮭を取りに来ました」と尋ねて探していたのだろう。確かに想像すると面白い。

テレホンカードがはやり始めると、沢山の方からテレカを頂き、父は嬉しそうに使っていた。理由は、タダで電話をかけられるからだ。父がデザインしたテレカもある。なんとお〇〇〇の絵に立川談志とサインしたモチーフ! なんとも父らしい。

上野でイラン人が違法テレカを売り始めると、父はそれを欲しがり、お弟子さんに買いに行かせた。違法テレカの束をドヤ顔で見せられた記憶がある。とにかく1回の電話は短いが、しょっちゅう電話をかけていた。地方の仕事や旅の多かった父は、行く前に必ず自分の母親(鵜の木のおばあちゃん)に電話をしていた。親孝行な人だった。

私が大人になって別々に暮らし始めて、両親の自宅に電話をするとこんな感じだった。機嫌が悪い父が出た時。
私「もしもし、パパー」
父「今忙しい!」
ガチャン。

機嫌が良い時。
私「パパー、ママいるー?」
父「ノン君ーー(母をノン君と呼んでいた)、ゆみちゃんから! 家の黒豹から電話だよー(私の事を黒豹みたいだとよく言っていた)。ママは手が離せないから、後でかけ直すって」
私「パパは元気なの?」
父「台湾行ってたろう、暑いのなんのってさ。上脱いで、裸で街歩いてね、でもね、キンキンに冷えたビールと小籠包が美味いのなんのってさー」
てな具合で、躁鬱病かと思うくらいギャップが激しかった。

こんなこともあった。そもそも父のファンであった危ない感じのある男性が(母は「パパに興味を持ったおかしい人」と言っていた)最初の頃、ハガキや手紙を送って来た。そのうち、どう調べたのかわからないが、自宅に電話がかかって来るようになった。それが頻繁になり、しばらく続くようになった。しょっちゅうかかってくるその電話を、父はすぐ切っていた事が多かったが、たまに面白がって会話をしていた。好奇心の塊のような父は、それもネタになると思っていたのかもしれない。

ある時から、その電話がかかって来なくなった。

「あいつ、どうしたんだ? 具合でも悪いのか?」

そう言った父が、なんだか可愛くて、可笑しかった。

撮影/桑嶋維(怪物制作所)