AKB48卒グラビア女王・永尾まりやが自身の初グラビアを語る
AKB48卒グラビア女王・永尾まりやが自身の初グラビアを語る

『週刊プレイボーイ』に登場するタレント、女優、アイドルなど、各分野で活躍する女性たち。彼女たちの記念すべき「初グラビア」にフォーカスし、撮影にまつわるエピソードや当時の想いを綴る連載シリーズ、『初グラビア物語〜My First Gravure Story〜』。

今回は女優、タレントとして活躍する永尾まりやさんの前編。永尾さんは2009年、AKB48の第9期生としてデビュー。チーム4での活動を経て、2012年大島優子さん率いるチームK入り。翌年からは女性誌モデルや女優としても活動を開始。2015年の卒業後は映画、ドラマ、バラエティーなどで広く活動をしている。

2012年、ムック本『AKB48総選挙!水着サプライズ発表2012』で初水着を披露。『週刊プレイボーイ』本誌では2013年23号で本格的なソログラビアを披露。以降、愛らしい顔立ちと抜群のスタイルで、グラビア活動を加速。AKB48卒グラビア女王として、現在も雑誌の表紙や誌面を賑わせています。

そんな永尾さんを直撃。今回はデビューのきっかけから、AKB48での活動、そして初グラビアについてを聞きました。

永尾まりや『週刊プレイボーイ』2013年23号(撮影/西條彰仁)より
永尾まりや『週刊プレイボーイ』2013年23号(撮影/西條彰仁)より

――永尾さんは2009年、AKB48の9期生のオーディションに合格し、芸能活動をスタートさせました。もともとアイドル志望だったんですか?

永尾 いいえ、まったくです。もともと兄の友達がAKB48のファンで、劇場でもらったパンフレットにオーディションの応募用紙が付いていたんです。それを兄が面白がって勝手に応募したんです。私は何も知らなかったんです(笑)。

――でもかわいいし、幼い頃からアイドルをやってもおかしくないほどの一番の人気者だったのでは?

永尾 どうでしょうね(笑)。確かに学校だと目立つグループにはいたけど、せいぜい副リーダー的な立ち位置というか。そこまで前に出るタイプではなかったです。だから自分がアイドルだなんて想像もしなかったですよ。逆に受かって「ヤバい!」と思ったくらい。

――ヤバい?

永尾 私の通っていた高校って厳しくて、芸能活動している人もいなかったんです。学校から「ダメだ」と言われるだろうなって。でもママとお願いしに行ったら割とあっさり許可をいただいたので、「じゃあ、やっちゃいますか!」ってなったんですけど。

永尾まりや

――AKB48に入ったことで生活は変わったんじゃないですか?

永尾 変わりましたねー。例えば......私、中学時代は結構モテていたんですよ(笑)。それが周りから「永尾、AKB48に入ったから、男子は近寄らない方がいいよ」って気を遣われて。一切告白されなくなりました。日常では、学校が終わってから毎日、レッスンへ通うようになりましたね。

――新メンバーはお披露目公演がありますよね。それはどうでした?

永尾 なんとかやり通したって感じです。私、ダンスが全然できなかったんです。自分では運動神経いい方だと思っていたんだけど、そんなに甘くなくて。だから当日が来るのが嫌で嫌で仕方なかったです。

でも、公演後の握手会が予想外に人気だったんですよ。がっかりしていたのが「みんなは今後に期待してくれてるんだ」って救われた気持ちになりました。本当にファンの方がいなければすぐ逃げ出していたかもしれないです。

――9期生は、島崎遥香さんや横山由依さん、大場美奈さんなどが在籍。正規メンバーに昇格し、すぐ頭角を表す人も少なくありませんでした。そんな中で活動するというのはどうだったんですか?

永尾 「自分は遅れをとっているな。早くみんなみたいに活躍しなきゃ!」っていつも思っていました。横山なんて2年後には選抜入りしましたしね(2011年『Everyday、カチューシャ』)。でも簡単にはいかないというか。

――そうだったんですか?

永尾 たとえば最初に所属したチーム4(2011年)は当初、9期と10期生がメンバーで、劇場では9期生がセンターを務めていたんです。でも私だけどうしてもセンターになれなくて。正直、それは自信を失うくらいこたえました。

でも、どうしようもないですから。毎日、悔しさの中で歌とダンスを頑張っていました。一方で、ファンサービスは誰よりも力を入れようとも思って。握手会での対応はもちろんですけど、当時ファンにモバイルメールを送るサービスがあって、そこで1日に10通くらい送ったり。

ちなみにその時のタイトルが「まりやぎさんからの手紙」。そこから「まりやぎ」が私の愛称になりました(笑)。

永尾まりや

――そんな中、AKB48の選抜総選挙では2012年=39位、13年=35位に。努力の甲斐あって、結果がついてきたのでは。

永尾 2012年以降は(大島)優子さんがキャプテンのチームKに異動し、センターの優子さん、板野(友美)さんの隣りに立たせていただくようになり、お二人のアンダーでセンターに立つこともできました。その時は胸がいっぱいになりました。ファンの方が喜んでくれるのも嬉しかったし。

――ただその後の総選挙では、14年=65位、15年=69位という結果に。

永尾 2014年でガクっと落ちたのはやっぱりショックでした。ファンの方々の気持ちが離れていっている感じがしました。2012年以降、事務所をアービングに移籍して、徐々にモデルなど単独での仕事が増えたんです。

2013年くらいから劇場をお休みすることも増えたし、そういうのも原因だったのかもしれません。卒業を意識し出したのはこの頃です。

――卒業発表は2015年の年末ですが、1年以上前には考えていたと(2016年5月1日活動終了)。

永尾 結局、選抜メンバーにも入ることは一度もありませんでしたから、どうしても自分のいる意味を考えちゃって。ただメンバーたちとは仲はよかったので、一人だけ外れたくないというか。なかなか踏ん切りはつかなかったですね。

――ソロ仕事が忙しくなることで、メンバーに申し訳ない気持ちも大きくなっていったんでしょうか。

永尾 それはありますね。新しい公演が決まると、事前にかなりのレッスンを行うんですけど、それに出られなかったりとか。もともと覚えが悪いのにそれじゃあ、今後はもっと迷惑かけるだろうなって結局、卒業を決意しました。

――みんなには相談したんですか?

永尾 ギリギリまで誰にも言わなかったですね。やめようと考えてるコと一緒にいるのはやはり嫌じゃないですか。秋元(康)先生にお話をしにあがったら、卒業コンサートと写真集のお話をくださいました。

写真集を出すのは目標だったので嬉しかったです。でもその後、一度でいいので選抜に入りたいですって言えばよかったかも、と思いましたけどね(笑)。

――選抜はやはり大きな目標ですもんね。さて、AKB48のメンバーは積極的に水着グラビアを披露していました。永尾さんの初グラビアはいつになりますか?

永尾 2012年の『水着サプライズ』(ムック本『AKB48総選挙!水着サプライズ発表2012』)です。たしかあれが最初だった気がします。

永尾まりや『AKB48総選挙!水着サプライズ発表2012』より
永尾まりや『AKB48総選挙!水着サプライズ発表2012』より

――総選挙直後、選ばれた64名を水着姿の撮り下ろしとともに紹介する、毎年恒例のムック本ですね。2012年版で永尾さんはピンクの水着を着て、愛らしく微笑んでいました。

永尾 『水着サプライズ』って総選挙の翌日、一気に撮影するんです。だからスタジオにはメンバーがたくさんいて、カメラマンさんやスタッフさんも大勢いて。スタジオに入った瞬間、ものすごい熱気だったのを覚えています。

それにしてもこのカット、いま見ると初々しいというか、表情が微妙じゃないですか(笑)。

――いえいえ、そんなことは(笑)。初水着ということで、恥ずかしくなかったですか?

永尾 なくはなかったですけど、すごく嬉しかったです。ずっと水着グラビアをやりたかったので。

――やりたかった?

永尾 はい。学校から水着はダメって言われていて、グラビアができなかったんです。週プレさんでチーム4のグラビアを撮っていただいた時も、私だけ写っていないし。だからこれは念願の水着姿。もう嬉しくなっちゃって。あと、この年の総選挙で39位なのも予想以上だったし。現場では二重で感激していました。

――『水着サプライズ』が発売された時は嬉しさのあまり、自分で本屋さんへ買いにいったりしました?

永尾 いや、そこまではしなかったです(笑)。でもママが買いに行ってくれました。改めて見て、また気分があがっちゃって。でもまさかこの時点ではグラビアをたくさんやっていくことになるとは思っていなかったですね。

永尾まりや

★後編⇒女優・永尾まりやが語るグラビアへの想い「AKBではどこかで選抜入りを諦めていた。グラビアでは表紙を飾りたいと思うようになった」

●永尾まりや(NAGAO MARIYA)
1994年3月10日生まれ 神奈川県出身
身長159㎝ 血液型=O型
公式Twitter【@mariyagiii310】
公式Instagram【@mariyagi_san】

永尾まりや写真集『涙は嵐の日に』撮影/菊池泰久 価格/880円(税込)
永尾まりや写真集『涙は嵐の日に』撮影/菊池泰久 価格/880円(税込)

取材・文/大野智己 撮影/山上徳幸