「X Gamesは、真の意味での世界一決定戦なんです」と語る内野洋平選手
「X Gamesは、真の意味での世界一決定戦なんです」と語る内野洋平選手

昨年の東京五輪2020において、新種目として脚光を浴びたBMX。そのフラットランドというカテゴリーで通算11度の世界一、今なお現役の世界王者。各国のライダーたちから「レジェンド」と称されるのが"ウッチー"こと内野洋平だ。

4月22日(金)、いよいよ日本初上陸となるストリートスポーツの祭典「X Games」への思い、北京冬季五輪を見て感じたこと、そして日本の将来について、人気スポーツキャスター・中川絵美里(なかがわ・えみり)が余すところなく聞いた。

■22歳までに結果を出せ! 崖っぷちの人生

中川 BMXフラットランドというのは、バイクに乗って平らな地面の上で回転したり、バランスをとったりして技を繰り出す独創的なスポーツですよね。内野選手のいろいろな動画を拝見して、場所をあまりとらずに練習ができるし、バイクの持ち運びも割と楽なのかなと思いました。

内野 家族旅行でバリ島に行ったとき、みんなの前で技を披露した動画を見てくれたんですかね。確かに、持ち運びはそんなにしんどくないんですよ。ハンドルやタイヤなどをばらして、ケースにひとまとめに収納できるんで。

中川 新型コロナの嵐が吹き荒れる前は、ずいぶんと海外にも?

内野 ええ。1年の3分の1は海外でした。おっしゃるとおり僕の競技は場所をとらないし、スケートボードと違って大がかりなパークも必要ないんで、街角の大道芸人ぐらいのスペースがあればできちゃう。なので、ショーでオファーを受けることがすごく多いんです。

中川 内野選手は11度の世界王者、今も現役でトップの座を保持されている実力者ですが、そもそも、始めたきっかけはなんでしたか?

内野 高2のとき、スケボーをメインとした雑誌が盛り上がっていて。女のコにモテるのはスケボー系のファッションだ、と。男子校ですしね、友達と、「コレしかないやろ!」というベタな動機でしたね(笑)。

中川 少年たちの目にはカッコよく映ったわけですね。

内野 ええ。僕の地元の神戸にはメリケンパークという大きい公園があって、どうやら、そこでデカい大会があるらしいと。でも、スケボーってどこに売ってるのか、まずはそこからだったんですよ。「ダイエーで売ってたで」「ダイエーのはちゃうやろ、子供用ちゃう?」なんて、トンチンカンなやりとりをしてて。

中川 いざ、大会を見に行ってみていかがでしたか?

内野 それが、スケボーじゃなくて、BMXの大会だったんですよ(笑)。

中川 情報収集を誤ったおかげで、出会えたわけですか。

内野 はい、友達10人と見に行ったんですが、ひと目ぼれしてしまいましたね。その日から今日に至ってます。

中川 もともと小さい頃から水泳やモーグルスキーをされていたそうですが、BMXはすぐに形になるものなんですか?

内野 それなりに時間はかかりましたよ。でも、さっき挙げた仲間以外、周りでやってるコは全然いなくて。となると、ちょっとうまくなれば、同世代では一番になれるんじゃないかと思って、のめり込みました。

中川 高校を出てからは、BMXの選手としてやっていこうと考えていたんですか?

内野 はい。どうやったらBMXで食っていけるのか、そればかりを考えてました。

中川 当時はBMXが一般的に浸透していたわけではないですよね。ご家族の応援、理解は得られましたか?

内野 全然(笑)。親族全員、反対でしたね。だからいったん、ある化粧品会社の工場に就職したんですよ。防護服みたいなものを着て一日働いて、そのまま仕事帰りに深夜まで練習して、車で工場の近くに戻って、車中泊。その繰り返し。でも、全然うまくならなくて。

中川 きついですね。

内野 肉体的というより、精神的に限界を感じて。その後はスイミングコーチとかやって食いつないだんですけど、やっぱりもっとうまくなるには東京に行くしかないなと。

中川 焦りがあった、と。

内野 親と約束を交わしてたんです。22歳までに結果を出せなかったらほかへ就職して、BMXを趣味に戻すと。22歳って、一般的には大学卒業して新卒採用の年齢じゃないですか。リミットを設けていたんです。

中川 ということは、ちょうどギリギリのタイミングで、2005年の日本選手権で優勝したことになりますか。初めての日本一になって、ご家族も認めてくれたわけですね。

内野 ええ。くしくも神戸での初の開催でした。地元ということもあって、親たちが見に来てくれて。日本一になったことで、親も応援してくれるようになりました。

内野洋平選手×中川絵美里
内野洋平選手×中川絵美里

■羽生、平野両選手の挑戦心はカッコよかった

中川 日本一になったことで当然、世界進出を果たすことになったわけですよね。

内野 ええ。当時、日本には世界ランカーのトップ選手がたくさんいましたから、彼らを抑えて日本一になったわけで。その勢いで世界選手権に出たんですけどね。結果は予選落ちで、散々でした。オランダ、チェコと回りましたが、自分の未熟さを思い知らされて。

当たり前だけど、観客も会場のMCも、スタッフも皆外国人。初めての環境なので、堂々とできるわけがない(苦笑)。世界王者やトップライダーとの距離感だけつかんで帰国しました。

中川 日本に戻られてからは、どのような練習を?

内野 同じ技をやったところで、当然勝てるはずもなく。今まで誰もやったことのない技を繰り出すしかないと思って、そこから地獄の猛特訓を自分に課したんですよね。

中川 およそ2、3年ぐらい、表舞台から姿を消して、こもっていたそうですね。しかも、ライディングスタイルをフロント(前輪)に置くのではなく、リア(後輪)に置くという抜本的な改革を行なったという。

内野 めっちゃ知ってますね! 自分で言いたかったのになぁ(笑)。

中川 いえいえ、まだ勉強途中でして(笑)。でも、当時は世界中、フロントが主流だったんですよね。

内野 はい、9割でしたね。もちろん、両方をこなす選手もいるんです。でも、リアのみで勝負する選手は1割だけ。だったら、リアを極めようと。

中川 「地獄」とおっしゃいましたけど、どんな特訓を?

内野 一日トータルで9時間は乗ってました。家から自転車で3分の距離に練習場があったんですけど、往来と飯、風呂、睡眠以外はすべてBMXに費やしてました。最後は血尿まで出ましたね。

中川 すさまじいですね。その苦労あって、08年には世界選手権で初優勝を果たしました。その後も追いつ追われつの新技開発競争を繰り広げるなかで、今や世界的定番となっている「ウッチースピン」や「バイクフリップ」はどうやって生み出したんですか?

内野 「ウッチースピン」は、まったく違う技を練習しているときに体勢を崩して、背中から落ちそうになった瞬間、とっさにハンドルを切ったら、くるっと回って。偶然の産物なんです。それと、「バイクフリップ」は、スケボーの技から着想を得て。ボードをくるっと一回転させるフリップという技を、バイクでやってしまえと。

中川 「バイクフリップ」も、相当難易度が高いですよね。

内野 採点で圧倒的に不利なときに見せる大逆転技ですね。

中川 内野選手のフラットランドしかり、スノーボードやスケートボードも、常に新技を繰り出し合うシーソーゲームの様相を呈してますよね。

内野 ええ。誰もやったことのない新技を生み出し、成功させることで一歩先の評価を得られるわけです。でも、一歩だけだと、瞬く間に世界中の選手にコピーされてしまう。だから、僕は常に二歩先のさらに進化させた新技を作ってそれを見せるんです。そうするとほかの選手は「一歩先」の部分を知らないから、すぐには追いつけない。

中川 内野選手のそのようなお話を聞いていて、ふと思い出したのが、2月に行なわれた北京冬季五輪。フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅう・ゆづる)選手や、スノーボードの平野歩夢(あゆむ)選手など、大技に果敢に挑戦されていました。

内野 北京での羽生選手の姿勢は、素直にカッコいいと思いました。練習で一度も成功していなくて、それでも本番で4回転半ジャンプに挑んで。僕らの競技のスタンスと一緒。

中川 ミスを恐れず、勝負に出るというスタンスですね。

内野 そうです、守りに入らないっていう。ミスを極力しないように手堅くポイントを重ねるというのは、勝ち負けに限っていえば重要かもしれないけど、少なくとも僕の流儀ではない。だからもっと、北京での羽生選手の姿勢が、もっと評価されるようになってほしいです。

中川 平野選手のハーフパイプ決勝での2回目、3回目の滑りはどう見ましたか?

内野 2回目の採点結果については採点競技の宿命で、よくあることです。平野も、それをわかっているから抗議はしなかった。でも、3回目でしっかり、しかもより高さを出して完璧に決めたのはカッコよかった。もし、3回目を失敗して銀メダルだったとしたら、平野は不満を言わなかったと思う。

中川 内野選手もそういった経験はありますか?

内野 たくさんあります。「際どかったんやろな」と思うようにしてます。採点競技って、いってみれば100m走の着順を目視で判定するような部分もあるんです。本当の僅差を人間の目で完璧にジャッジするのは無理ですよね。

だから僕は、「ぶっちぎりで勝つ」。誰の目にも明らかなように、圧倒的な大技、新技を出して、勝つ。常にそういう心づもりで臨んでます。

■盟友の白井空良を見て感じた「東京五輪」

中川 この取材で使わせていただいた施設「THE PARK」は、去年の東京五輪に出場されたスケートボード・男子ストリート部門の白井空良(そら)選手と一緒に手がけたそうですね。

内野 そうです、20年にオープンしました。室内コンクリートパークって、日本でほぼないんですよ。しかも、BMXの大会用ステージとプロ仕様のスケートパークが一体となっているのは、ここだけです。

中川 ありそうでなかったのが、この「THE PARK」というわけですね。

内野が中心となって手がけた、本格的なBMX FLATLAND/SKATE PARK「THE PARK」にて。プロたちの支持も厚い。神奈川県高座郡寒川町倉見1385  ◯営12:00〜21:00 不定休 TEL 0467−37−9860
内野が中心となって手がけた、本格的なBMX FLATLAND/SKATE PARK「THE PARK」にて。プロたちの支持も厚い。神奈川県高座郡寒川町倉見1385 ◯営12:00〜21:00 不定休 TEL 0467−37−9860

内野 屋外のコンクリートだと、2年ほどで気泡というか、穴がポコポコ開いて、状態がよくなくなるそうなんです。なので、ここには全国からプロが練習に来てくれるんですよね。

中川 白井選手とはずっと行動を共にされてたんですか?

内野 東京五輪の前に、この施設を拠点にして彼が練習を始めて。毎日付き合ってたんです。なぜか、僕が空良の練習メニューを作ったりして(笑)。

中川 もはや、コーチ(笑)。

内野 ええ。でも、空良の毎日を見ていて、すごく参考にもなりました。五輪で初採用となったストリートスポーツ、その1回目の大会に出場する選手はこうなのかと。

中川 具体的にはどんなところが参考になりました?

内野 五輪出場選手にかかるプレッシャーですかね。空良は「五輪出たことないから、わかんないっすよ」って、ずっと言ってましたけど、本番が近づくにつれ、朝早く勝手に目覚めてしまっていたみたいで。よく眠れないとも言ってました。

それと、メディアの注目度。東京五輪には、堀米雄斗が五輪予選ランク2位、空良が4位で出場することになったんで、堀米が日本にいないぶん、空良のところに取材が殺到して。五輪は別モノやな、と。

中川 白井選手の結果は、予選9位でした。

内野 結果はよくなかったけど、五輪のために頑張ったぶん、空良は本当にうまくなった。それに尽きます。

中川 内野選手は、現役のうちにフラットランドが五輪の新種目として採用された場合、出たいという気持ちはありますか?

内野 もうそろそろ(採用に)なるっていう話はちらほら聞きますけどね。でも、どうなんですかね......五輪を否定する気持ちはないし、影響力というのも認識しているんですけど、今の今で言えば、僕がカッコいいと思えるBMXができるルール体制にはいまだならないのかなと。

五輪委員会側がストリートスポーツをさらに深く理解してから採用となったほうが、いいものになるはず。それこそ、北京の羽生選手のようなスタンスとか、チャレンジがもっと評価されるルール作り。五輪ならできると思うんですけどね。

内野洋平選手
内野洋平選手

■ストリートスポーツの格差是正に取り組みたい

中川 ストリートスポーツにおいて、五輪と肩を並べるほどのビッグイベント、「X Games」が4月22日、いよいよ日本に初上陸します。内野選手は白井選手らと共に招待選手として出場されますが、意気込みをお聞かせください。

内野 「X Games」は、ストリートスポーツの本質を理解している、いわば"真の大会"なんです。五輪選手はもちろん、競技の自由度を求めて五輪にはあえて出場しなかった実力派もそろうので、本当の意味での頂上決戦なんですよ。フラットランドは19年ぶりに採用、しかも初の日本開催。てっぺんを獲(と)りにいきたいです。

中川 やはり、新技も用意されているんですか?

内野 ええ。この大会に向けては、自分の中での技に対する設定値はめっちゃ高くしているんですよ。技は4つ用意してます。ひとつは確実に成功できるレベルに持ってこられましたけど、残りの3つはまだ成功させてないんですよね。でも、本番に強いという自負があるんで、そこできっちり決めたいです。

中川 プロアスリートというと、40歳ともなれば肉体的な問題に直面しますが、内野選手の場合はどうですか?

内野 フラットランドに関して言えば、年齢的なピークは、むしろ僕らがつくっていくもの。40歳でも、トップランカーは世界にごろごろいます。僕自身も今年で40歳になりますけど、限界は全然感じていない。やっぱり、ピークというのは、モチベーションによるんじゃないかと思うんです。

中川 頼もしいですね。お手本とするアスリートの方はいますか?

内野 僕が出会った中でいうと、スキージャンプの葛西紀明選手がまさにそうで、大好きな人。理想ですね。あの年齢まで続けられる努力は並大抵ではないです。日本はルーキーが称賛される傾向がありますが、結果を出しているベテランがもっと評価されるべきとも思います。

中川 あらためて、BMXの魅力をお聞かせください。

内野 スケボーの競技人口のスケールを"県レベル"とすると、僕らBMXフラットランドは"村レベル"です。でも、ストリートスポーツって皆横つながりだし、分け隔てがないんです。スケボーの選手はBMXを見るし、僕らはスノーボードを見る。それこそ、平野歩夢はスノボーとスケボー両方やるわけで。自由度が高いんですよ。服装も、技も何もかも。そこが魅力かなと。

中川 ここから先、BMXはもちろん、日本のストリートスポーツ界をどのように盛り上げていきたいですか? 例えば、去年取材した堀米選手は、日本はアメリカと比べて、パークの数も理解度も違うとおっしゃっていましたが......。

中川絵美里
中川絵美里

内野 確かにそうです。でも、それでとにかくアメリカに行けばなんとかなるっていうのは違うと思う。空良みたいに、日本が故郷、日本が好きだから、日本から変えていこうっていうのもひとつの考え方ですし。僕はもともと空良のような考えだったので、13年から日本発信のBMX世界選手権「FLATARK」を主催したり、この「THE PARK」を作ったりしてきました。

中川 さらに、叶(かな)えたい理想はありますか?

内野 今の日本のストリートスポーツ界の格差是正ですね。五輪や世界大会で優勝して、海外に行ってる選手数人は何億円ももらってるけど、ごくわずかなスキルの差でその位置にいけなかった選手たちは、全然食えていないわけです。 

中川 スキルの差はほとんどないのに、国際大会で優勝した、しなかったというだけで、もらう金額が雲泥の差というわけですね。

内野 そうです。例えば野球で言うと、日本には社会人、それからセ・パ両リーグがあって、そこで活躍したら、次はメジャーリーグ挑戦となるじゃないですか。でもストリートスポーツの場合、段階がなくて、いきなりメジャーリーグしかない状況なんですよ。

それに、はやりもあります。もし、今のスケボーのストリート部門で主流のレールが廃れたら、堀米や空良ですら勝てなくなる。

中川 格差がなく、流行に左右されず、確実にプロ選手たちが食べていける土台づくりが目標というわけですね。

内野 そうです。これだけストリートスポーツが定着しつつあるので、日本国内で安定した基盤をつくりたいですね。

●内野洋平(うちの・ようへい)
1982年9月12日生まれ、兵庫県出身。2008年に世界選手権で初優勝。以後、世界タイトルを11度獲得。自ら生み出したオリジナルのトリック「ウッチースピン」や「バイクフリップ」などは世界中のライダーたちの定番に。4月22日(金)より3日間にわたって開催される「X Games Chiba 2022」では、BMXフラットランド部門の優勝候補筆頭とされる

●中川絵美里(なかがわ・えみり)
1995年3月17日生まれ、静岡県出身。フリーキャスター。昨年まで『Jリーグタイム』(NHK BS1)のキャスターを務めたほか、TOKYO FM『THE TRAD』の毎週水、木曜のアシスタント、同『DIG GIG TOKYO!』(毎週木曜27:30〜)のパーソナリティを担当

スタイリング/武久真理江(中川) ヘア&メイク/石岡悠希(中川) 衣装協力/TELA Paraboot

取材/中川絵美里 撮影/熊谷 貫 文・構成/高橋史門