父から子へ。競馬の世界を舞台に、血と夢の継承をテーマにした小説が『ザ・ロイヤルファミリー』(新潮社刊)だ。

税理士の栗須(クリス)は、ビギナーズラックで当てた馬券のせいで、ワンマン社長として有名な馬主・山王の秘書になる。「ロイヤルホープ」と「ロイヤルファミリー」という2頭の馬を中心に立ち向かう者たちを描いた意欲作で、最後のシーンは誰もが手に汗を握ってしまうと同時に、最後のページで本当の希望を見ることになるだろう。

作者である早見和真さんのインタビュー後編では、早見さんご自身を中心に話が展開する。
「結果が出なかったら身の振り方を考えないといけない」とまで語る本作。
2019年の有馬記念は12月22日。その前にぜひ読んでほしい一冊だ。

(取材・構成・写真:金井元貴)

■早見和真から見た小説家たちの世界と、自分がいる位置

――『ザ・ロイヤルファミリー』は競馬を知らない人が楽しめる小説です。大河ドラマ的な部分もありますよね。

早見:まさに想定していた読者は競馬を知らない人たちです。もっと言うなら、ギャンブルが嫌い、競馬が嫌いという人っていますけど、そういう方に読んでもらえたらいいなと思っています。書店員さんから感想をいただくと、今まで競馬を嫌悪していたという方ほどコメントが熱いですね。

――馬は常に凛としていますけれど、その周りを取り巻く人間たちがすごく純粋なのが印象的でした。

早見:その部分は新潮社と最後まで話し合いました。つまり、この物語はきれいすぎるのではないかという思いもあったんです。

競馬というと、昼間から飲んだくれるおじさんたちが競馬新聞を持って馬券を買っている…というイメージがあると思います。むしろそれが大多数のイメージであろうと。

だったら、美しく物語を描ききることが競馬のステレオタイプに対するカウンターになるのではないか。その期待がありました。旧来のイメージをひっくり返すなら、この書き方ではないだろうと。

――観客はまったくと言っていいほど描かれていません。

早見:あえて書いていないです。読者が観客の立場であればいいと思ったので。

――前編の冒頭で競馬は1頭しか勝者がいないとおっしゃいましたが、この小説では2着のシーンが最も印象的に描かれています。この「2着」の意味について早見さんはどのように考えていますか?

早見:基本的には勝たないといけないと思います。ただ、次のゲームに勝つために、いかに正しく負けられるか。先ほど言ったようにそこでダサい負け方をしてしまったら、おそらく次もダサい負け方をするでしょう。

ちょっと話が変わるかもしれないけれど、僕はどんなに辛いことがあっても、ヘラヘラと笑って対峙する人が好きなんです。でも、心の中では歯を食いしばって、なんとか立ち上がろうとしている。そういう人を書き続けたいという思いはありますね。

――第一部の主人公馬であるロイヤルホープと、第二部の主人公馬であるロイヤルファミリーの最後のレースのシーンは、「2着」の意味の捉え方において逆と言えると思います。次に向かうものがあるというのは、ある意味で希望ではないかと思いますが、早見さんは「負け」と対峙したときに、次に向かうためにどんなことを大事にしていますか?

早見:僕自身、小説家としては負け続けていますけど、でも、負けて当たり前だという気持ちもあります。天才ばかりですからね。その中でどうやって新しいものを汲み取れるか、ニッチなものを探せるかということは常に考えていますし、あとは文芸誌を読んでいると「これは明らかに書き飛ばしている」と思える作品もあるんです。そこに編集者や作家の怠慢や傲慢さを感じることはありますし、その人たちの首根っこをいつか噛み千切ってやろうとは思っています。

――かなりのカウンター志向ですね。

早見:まあ、業界の中ではきっとイロモノですからね。

――文学の世界にイロモノってあるのでしょうか?

早見:語弊があるかもしれないけれど、僕は子どもの頃から一般的に言うところのリア充で、周囲にはいつも人がいたし、両親も善人で、何不自由なく育ってきました。それなのに、そんな環境にずっと違和感がつきまとっていて。

教室の中で居場所がなかった。人と話すことができなかった。そうした怒りやコンプレックスを糧に見返したいという、物語を紡ぐ上での原動力を持っている人たちが、この業界の中でのマジョリティである気がするんです。でも、僕にはそうした強烈な体験がない。それでもこの業界に入ってきたのは、ずっと自分の人生に対して牙を剥き続けてきたからだと思うんです。

この業界で生きていくにあたって、僕はついにマイノリティの立場を手に入れることができた気がします。つまり、リア充であったことで、この世界の中で自分は少数派になれた。今の方がむしろ居場所があるし、居心地もいい。小説家としては底辺に属すると思っているけれど、マイノリティとしての自分を手に入れられたと感じています。

■「この小説が売れなかったら身の振り方を考えないといけない」

――イロモノとしての自分を手に入れた、と。今、早見さんは愛媛県松山市にお住まいだそうですが、地方を転々としていることも、そういったことと関連しているのですか?

早見:それは関係なくて、端的に言えば書くことに集中したいからです。東京を離れて伊豆に行って、そこで6年間、小説を書き続ける生活をしましたが、行き詰まりを感じて。「ニセモノのくせにこんな小説家みたいな生活をしているから、自分はこの程度しか書けないんだ」と痛感して。『イノセント・デイズ』をきっかけにもう一度移住しようと思って松山に行きました。

次の移住先ではリア充としての自分の特性を全開にして、いけるところまでいってみようと。それがたまたま選んだ松山で成功して、街を歩いているとほぼ振り向かれるようになりましたし、街にコミットする一人の小説家を応援するようなムーブメントを作ることができた。

――愛媛新聞には童話の連載もされていましたよね。

早見:そうです。去年、『かなしきデブ猫ちゃん』という童話を今治出身の絵本作家のかのうかりんさんと組んで連載しました。それは愛媛県民全員が知っている物語を自分の手で生み出したいと思ったからで、実際にそれに近い結果を得られていると思います。

絵本って3000部売れたらヒットらしいんですけど、今はもう1万3000部ですね。また、愛媛銀行のキャッシュカードとコラボレーションもしたりしていて。自分にとっては全く儲からない座組みなんですけど、物語を読むとっかかりを自分の手で作れているイメージはあるんですね。

小説家は小説を書いているだけでいいと言う編集者もいますが、凡夫である自分はひたすら街にコミットして、物語を紡ぐということをやれるだけやってみようと思っています。これは純粋に試してみたいなと。

――では、松山を舞台にした本格的な小説は書かないのですか?

早見:これは書きます。それを置き土産に次の土地に行きたいなと。2020年早々に『野性時代』の方で「八月の母」というタイトルで始める予定です。

――では、繰り返しになりますが『ザ・ロイヤルファミリー』をどんな人に読んでほしいと思いますか?

早見:面白い小説を読みたいという人に読んでほしいです。この小説は、早見和真という小説家の名刺代わりの一冊であり、これほど言い訳ができない小説はないと思っています。批判があればそれを真正面から受け止めるし、結果が出なかったら身の振り方を考えないといけない。そのくらいの気持ちです。

ジャンル小説が全盛の時代に、ど真ん中の中間小説を書きたかった。僕自身が好きで読んでいた本当の中間小説を書いたつもりです。

――野球で言うならば、早見さんの一番のストレートを投げ込んだ感じですね。

早見:まったくもってそうです。

――では、早見さんのファンの皆さんにメッセージをお願いします。

早見:この小説を読んだら、今年の年末の有馬記念が当たります(笑)!

――当たるかどうかはともかく、テレビでもいいから有馬記念を観ないといけないと思いました。競馬の見方が本当に変わるというか。

早見:それはぜひ書いてください。確実に興味を抱けると思うので。今年の有馬記念は1枠1番が来ますよ。どの馬が出るのかもまだ知りませんけれど(笑)

――ありがとうございました!

(了)

■早見和真さんプロフィール

1977年神奈川県生まれ。2008年『ひゃくはち』で作家デビュー。2015年『イノセント・デイズ』で第68回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。『ひゃくはち』『イノセント・デイズ』以外にも、『ぼくたちの家族』『小説王』『ポンチョに夜明けの風はらませて』など多くの作品が映像化されている。他の著書に『店長がバカすぎて』『神さまたちのいた街で』『かなしきデブ猫ちゃん』(絵本作家かのうかりん氏との共著)などがある。