朝鮮王朝27人の王の中で最悪の暴君と呼ばれる燕山君(ヨンサングン)は、クーデターで王位を追われ、異母弟の晋城大君(チンソンデグン)が11代王・中宗(チュンジョン)として即位する。しかし、臣下たちに祭り上げられた王は、最愛の妻との別れを迎えることになる……。

中宗の人物像を見てみよう。

しかし、問題があった。晋城大君がいまだに即位を拒んでいたのだ。

反乱の功臣たちは、晋城大君を王にしようと説得を続けていた。それは徐々に熱を帯びていき、やがて「もはや拒否できない」と感じた彼は、ようやく11代王・中宗として即位した。

このクーデターが「中宗反正(チュンジョンパンジョン)」である。

即位した中宗は、燕山君の暴政で乱れてしまった政治を正そうとした。しかし、臣下たちの手で王に祭り上げられた中宗は、重臣たちに強く意見を言えなかった。

その中で問題になったのが、端敬(タンギョン)王后の存在だ。実は彼女の父親は、燕山君に仕えた人物だったのだ。

燕山君派の人間を排除してきた重臣たちからすれば、端敬王后の存在は邪魔だった。彼らは、中宗に「端敬王后と離縁してください」と申し出た。これまで、彼らの言いなりになってきた中宗だが、妻と別れることに関してははっきりと反対の意思を示した。

しかし、立場の弱い中宗の意見を重臣たちは受け入れなかった。それどころか、離縁しないのならば、端敬王后を処刑するという意見まで上がった。

悲しい「チマ岩の伝説」

中宗は端敬王后の身の安全を守るために、結局、離縁するしかなかった。

中宗はその後、新たな正室を迎えるのだが、端敬王后への思いを断ち切ることはできなかった。やがて中宗は、端敬王后への思いが高まると、王宮の一番高いところに上って、彼女の家のほうを見つめるようになった。

そんな王の様子は噂となり、端敬王后の耳にも届いた。心動かされた端敬王后は、中宗がすぐに見つけられるようにと、自分が愛用していたチマ(スカート)を岩にかけるようになった。

政治によって引き裂かれた2人の悲しき愛……。

いつしか、端敬王后がチマを置いた岩はチマ岩と呼ばれるようになり、2人の悲恋は、今も「チマ岩の伝説」として語り続かれている。

(文=康 大地/コウ・ダイチ)