朝鮮王朝時代、王の後継者を決める際にはさまざまな争いがあった。

7代王・世祖(セジョ)として即位した首陽大君(スヤンデグン)は、本来は二男で王になる資格はなかったが、王になろうと強い野心を秘めていた。

そこで、彼はとんでもないことを画策するのだが…。

王座を狙う野心家

朝鮮王朝7代王・世祖となった首陽大君は、ハングルを創製したことで有名な4代王・世宗(セジョン)の二男として生まれた人物だ。

朝鮮王朝時代は原則として、長男が王の後継ぎになることが決まっていたため、世宗の後を継いだのは5代王・文宗(ムンジョン)だった。

首陽大君は野心家だったが、自分が二男である以上、王になれないことを理解していた。しかし、兄の文宗は病床にふせることが多かったこともあり、即位からわずか2年3カ月で世を去ってしまう。

その後を継いで6代王・端宗(タンジョン)となったのは、まだ11歳だった文宗の長男である。

文宗は弟の首陽大君が政治的な野心を持っていることを心配し、亡くなる前に、異民族の侵攻から国土を防衛した英雄の金宗瑞(キム・ジョンソ)と、領議政(ヨンイジョン/総理大臣)である皇甫仁(ファンボ・イン)に端宗の補佐を頼んだ。

その2人に敵意を抱いていた首陽大君は、「幼き王の補佐と称して権力を思うままにするとは許さん。ここはやはり自分が王になるべきだ」と思っていた。

そんな彼の参謀になったのが、金宗瑞や皇甫仁が端宗の補佐をしていることに不満を抱いている韓明澮(ハン・ミョンフェ)と申叔舟(シン・スクチュ)だった。その他にも屈強な武人たちが首陽大君のもとに集まった。

意を決した首陽大君

金宗瑞や皇甫仁は、世宗の三男で首陽大君の弟である安平大君(アンピョンデグン)を後ろ盾につけた。

これによって、首陽大君派と安平大君派の対立は避けられないものとなった。

首陽大君は、自分のもとに集まった同志たちと論議を重ねるも、中には逃げ腰になる者や慎重に行動しようとする者がいて、なかなか話が進まなかった。一度は決意が揺らいだが、最終的に決心し、わずかな従者を連れて金宗瑞の屋敷に向かった。

彼が屋敷に着くと、門の前では金宗瑞の息子である金承珪(キム・スンギュ)が数人の知人と談笑していた。首陽大君は、彼に金宗瑞を呼んでくるように頼んだ。

しばらくして姿を見せた金宗瑞は、首陽大君を中に招き入れようとした。しかし、警戒していた首陽大君は暗くなっていることを理由にその誘いを断った。

いつまでたっても首陽大君が屋敷に入ろうとしないため、金宗瑞は自ら彼の近くに寄っていった。

門の前から人払いをした首陽大君は、「これを読んでほしい」と書状を取り出した。それを受け取った金宗瑞は、もう日が落ちていたので、月明りに照らして読もうとした。

その瞬間を見逃さなかった首陽大君は、従者に合図を送った。すると、従者の1人が隠し持っていた鉄槌で金宗瑞を殴り倒したのである。

(文=康 大地/カン・ダイチ)