「朝鮮王朝3大悪女」の1人して有名な張禧嬪(チャンヒビン)。

19代王・粛宗(スクチョン)の統治する時代に生きた彼女は、一体どんな理由で“悪女”と呼ばれるようになったのだろうか。

粛宗と張禧嬪が出会ったのは1680年だ。

彼女は親戚が通訳官だったため、女官として宮中に出入りしていた。

張禧嬪という人物

張禧嬪はかなりの美貌の持ち主で、粛宗も一目惚れするほど。しかし「この女は息子にとって危険な存在だ」と感じていた粛宗の母親である明聖(ミョンソン)王后によって、張禧嬪は王宮を追い出されてしまう。

彼女を寵愛していた粛宗は、母に「張禧嬪を王宮に戻してほしい」と頼み込むが、明聖王后はそれを許可しなかった。

一方、貧しい生活を送ることになった張禧嬪だが、明聖王后が1683年に亡くなると、粛宗の正室である仁顕(イニョン)王后によって王宮に戻ることができた。

彼女は、王が気に入っている女官を近くにいさせてあげたいと思ったのだ。

しかし張禧嬪は仁顕王后に感謝するどころか、王の寵愛を受けていることを理由に、わがままに振る舞うようになった。

仁顕王后は自分の行ったことを後悔した。

彼女は張禧嬪を呼び出して、ふくらはぎをムチで叩いた。明聖王后が張禧嬪を追い出した理由を悟った仁顕王后だが、その後、彼女の立場が不利になる出来事が起きてしまう。

1688年、張禧嬪が息子・昀(ユン)を産んだのだ。初めての息子の誕生を喜んだ粛宗は、生まれたばかりの昀を世子(セジャ)候補として元子(ウォンジャ)に指名しようとした。

(文=康 大地/コウ・ダイチ)