1392年に朝鮮王朝を建国したことで知られる李成桂(イ・ソンゲ)。もともと高麗の武将だった彼は、どのようにして500年続く王朝の初代王となったのか。

高麗の滅亡から朝鮮王朝の始まりについての過程を見ていこう。

高麗の滅亡

高麗の武将だった李成桂は、倭寇(わこう)の軍を撃退するなど戦功を次々とあげ、高麗最高の武将の1人になった。

1388年、中国大陸の大国・明が高麗を何度も威嚇してきた。そのことに頭を痛めていた高麗の王・禑王(ウワン)は、明と戦うことを決意した。

李成桂は「小国が大国に逆らってはいけない」と反対したが、禑王はその訴えを受け入れなかった。しかも李成桂は、その遠征軍の大将に任命されてしまう。

さすがに王命には逆らえず、李成桂は大軍を率いて出発したが、途中で雨に降られて鴨緑江(アムノッカン)の下流にある威化島(ウィファド)で足止めされてしまった。

その雨が長く続いたため、兵士の士気は目に見えるように下がっていく。

そんな状況の中で、李成桂が下した決断は「全軍を引き返して、高麗に狙いを定める」ことだった。

勢いに乗って攻めてきた李成桂の軍を、高麗の他の武将たちは止めることができず、高麗の都である開城(ケソン)はあっという間に制圧されてしまう。この事件を「威化島回軍(ウィファドフェグン)」と呼ぶ。

その後、高麗の実権を握った李成桂は、禑王を追放して傀儡の王を据えるなど、高麗内部での政治基盤を盤石にする。こうして敵対勢力を排除した李成桂は、1392年に朝鮮王朝を建国して初代王として即位した。

1394年、李成桂は首都を開城(ケソン)から漢陽(ハニャン/現在のソウル)に移して、基盤を固めた。その1年後の1395年には、正宮である景福宮(キョンボックン)の建設を始めた。(つづく)

(文=康 大地/カン・ダイチ)