2006年7月のオシム・ジャパン発足後、中村俊輔はしばらく代表から遠ざかっていた。

「7、8か月ぐらい、呼ばれなかった。だからヤット(遠藤保仁)とかに、どんな練習をしているのか聞いたりして。いつ呼ばれるんだろうって。俺のこと、嫌いなのかな、とか考えたり」

 オシム体制下での初選出は、07年3月のキリンチャレンジカップ、ペルー戦。ドイツ・ワールドカップ以来の招集だった。試合は巻誠一郎と高原直泰のゴールで、2−0の勝利。いずれの得点も、中盤右サイドで先発した俊輔のFKから生まれた。

 その後は、オシム・ジャパンでも主要メンバーのひとりとして活躍していくなか、特異なトレーニング内容は強く印象に残り、また新鮮だったようだ。

「サッカーの、ちょっと本番からかけ離れた練習が多かったから。代表レベルでこれをやる人はなかなかいないというか、ワケが分からなかった。ビブスの色をたくさん使ったりして。コーチ陣に『ルールは何?』と聞いても、『分からない』と。ミーティングで言っていたことと違うことをやり出すみたいで。だから、即興。それを大事にしていたと思う」

 練習では毎回、考えさせられたという。次はどんなことをやるのか。これは何が目的なのか。常に頭をフル回転させていなければならない。

「ずっと同じことをやっている時もあった。うまくいかないから成功するまでやるぞ、とかではない。こっちは良いのか悪いのかも分からなくて、ずっとやっている。これは忍耐を試されているのか、何らかの現象が起きるのを待っているのか……」

 監督は何を見て、何を考え、何を要求しているのか。選手みんなが思考を止めず、アンテナを張り巡らして、“正解”を探ろうとする。

「あんまり褒めないしね。でも、たまに『ブラボー』って言うんだよ。それで、あ、これが正解なんだと」
 
 ピンと張りつめた緊張感のなか、俊輔は独自のアプローチで答を探していたという。

「俺はどっちかというと、ブラボーを探すより、わざといろんなことをやっていた。ただ単に遠くに飛ばすのではなくて、近くの選手に何度も当てて、相手の目線がそこに集まったタイミングで飛ばす。その過程込みで『ブラボー』だったのか、とか。そういう感じだったかな」

 元来、誰かに言われる前に自ら考えて行動するタイプの人間だ。「なにかしようとして、失敗して、悔しいからもう一回トライして」を繰り返してきた俊輔にとって、オシムとはフィーリングが合っていたのだろう。

「練習は何をやるか分からない。でも、そもそもサッカーだって何があるか分からないし。オシムさんは、自由にやらせるわけでなく、戦術チックにあてはめるわけでもない。だから、選手一人ひとりはすごく伸びたと思う。考えるということは、自分のプレーに責任を負うこと。そういうことも身についたと思う」

 予定調和にならないトレーニングは、それだけ引き出しが多いということだろう。俊輔は「こうやったらこうなる、他のやり方もあるし、新しくこうなれば、次はこれをやってみようとか、どんどん変えられる。それが普通の人よりずっと深いんだと思う」と語る。

 ちなみに、俊輔はオシムから「あんまり、ちょっかいとか出されなかったけど、いつもセルティックボーイって言われていた」という。「人生経験が豊富で、言葉に重みがある。すごく人間味あふれる人だったから、そこにみんな惹かれたと思う」と故人を偲んだ。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェストWeb編集部)

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