「Kunimoto está feliz de vida」(クニモトは幸せだ)の大見出し。
 
 白いスパイク以外は全身真っ黒のユニホームに身を固め、両手で力強いガッツポーズを作る背番号14の写真――。8月29日のポルトガルリーグ第4節。ヴィトーリア・ギマランイス戦の前半7分に、左サイドからスルーパスを受けて抜け出し、左足で強烈に蹴り込んだときの一コマだ。
 
 ポルトガルのスポーツ紙『ア・ボーラ』は、9月1日の紙面で昇格チームのカーザ・ピアに移籍した邦本宜裕の特集を組んだ。
 
 その中で24歳の邦本は、「ここにいられて本当に幸せ」、「チームの勝利に貢献できて嬉しい」などと語っている。
 
 紙面では、2020年に全北現代モータースで彼を指導したポルトガル人監督、ジョゼ・モライス(現セパハン監督=イラン)の「当時から私は彼が欧州でも成功できる選手だと確信していた」というコメントも紹介。「今シーズン序盤のカーザ・ピアの驚くべき躍進の最大の立役者が、この日本人だ」と称えている。

【動画】得意の左足を一閃。邦本宜裕が決めたポルトガル初ゴール
 カーザ・ピアは、1920年、首都リスボンに総合スポーツクラブとして設立された。1938−39シーズンに1部リーグで戦ったが、1勝13敗の最下位で降格。以降は下部リーグで戦う時代が続き、ついに昨シーズン、2部で2位に食い込み83年ぶりにトップチームへ復帰した。
 
 今年7月末に加入した邦本は、8月7日の開幕戦に先発すると、以降もスタメンに名を連ねている。
 
 8月21日の第3節ボアビスタ戦では、1-0で迎えた67分に自陣からのロングパスでダメ押しの2点目をアシスト。チームの1部リーグにおける83年ぶりの勝利に貢献した。
 
 そして迎えた第4節には、待望の初ゴールを記録。これが決勝点となり(1-0)、クラブは102年の歴史で初となるアウェーでの勝利と連勝を達成した。
 
 カーザ・ピアは、6節を終えた時点で3勝2分け1敗の6位と大健闘。邦本は全試合に先発して1得点・1アシストと目に見える結果を残している。
 
 左利きのテクニシャンで、視野が広く、大胆にパスを通す。決定力もある。決して大柄ではないが、フィジカル能力も高い。
 
 北九州市出身。地元のスポーツ少年団で技術を磨き、2013年、浦和レッズユースへ加入した。この年の10月に行なわれた天皇杯3回戦(対モンテディオ山形)でトップチームに初出場を果たすと、ミドルシュートを叩き込んで鮮烈なデビューを飾った。
 
 ところが、14年9月に不祥事を起こして退団を余儀なくされる。これが最初の挫折だ。故郷へ戻り、通信制高校で勉強しながら、公園で孤独な練習を続けた。
 
 15年1月、アビスパ福岡(当時J2)へ入団。4月末にデビューし、4試合に出場(無得点)。16年シーズンはカップ戦を含めて28試合に出場し、4得点を挙げた。
 
 しかし17年1月、「クラブの秩序を著しく乱した」という理由で契約を解除されてしまう。これが二度目の挫折だ。そこから7か月以上、無所属の状態が続いたが、18年1月、Kリーグの慶南FCに拾われた。
 
 すぐにレギュラーに定着し、この年は公式戦36試合に出場して5得点をマーク。チームのリーグ準優勝とAFCチャンピオンズリーグ(以下ACL)出場権獲得に貢献した。
 
 19年シーズンも好調で、4月、ACLの鹿島アントラーズ戦に出場すると、右からのクロスを左足ボレーで決めた。この試合を見た元日本代表の内田篤人は邦本を高く評価。後に「当時、(鹿島の)強化部長に獲得するよう何度も言った」と打ち明けている。
 
 20年1月、邦本はKリーグきっての強豪全北へ移籍する。ここでもすぐにレギュラーの座を掴み取り、2シーズン連続のリーグ制覇に寄与。Kリーグを代表するMFの一人となった。
 
 22年シーズンの前半戦も好調を維持していたが、またしてもピッチ外で失態を犯す。7月8日未明、飲酒運転で逮捕されたのである。
 
 韓国プロ・サッカー連盟は、暫定的に60日間の活動停止処分を下した。そして13日、クラブから契約を解除されるのだ。3度目の挫折である。
 
 こうして日本でも韓国でも居場所がなくなった男が、それから2週間後に流れ着いたのが、欧州最西先端の国の小クラブだった。
 
 自由奔放で創造性豊かなプレーには、ラテンの匂いが漂う。類稀な才能の持ち主なのは間違いない。しかし、浦和ユースを含めて4チームで3度、不祥事によりクラブを追われた選手など、数々の悪童を生んできたブラジルでも聞いたことがない。次にトラブルを起こしたら、さすがに救いの手を差し伸べるクラブはないのではないか。
 
 新天地で自らを律し、輝きを放ち続けられるか。それを土台として、さらなるキャリアアップを実現できるか――。
 
 邦本はいままさに分岐点に立っている。人間として成熟できるか否かが、今後のキャリアと人生の明暗を分けるのではないだろうか。
 
文●沢田啓明

【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。