ついに幕を開けたカタール・ワールドカップ。森保一監督が率いる日本代表は、いかなる戦いを見せるか。ドイツとの初戦は11月23日。ベスト8以上を目ざすサムライブルー、26の肖像。今回はDF板倉滉(ボルシアMG)だ。

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 川崎U-12の一期生で、順調にステップアップした板倉滉は、2015年にトップ昇格を果たす。

 ただ、なかなか出番を掴めず、当時J3に参加していたJリーグU-22選抜で経験を積んだ。結局、リーグ戦では3年間で出場7試合だった板倉が選択したのは、仙台への期限付き移籍だった。

 出場機会を求めた移籍だったが、ここで恩師となる渡邉晋監督(現・山形コーチ)と出会う。仙台でも決してポジションが約束されている訳ではなかった。渡邉は板倉が仙台に来た時のことを振り返る。

「忘れもしないのが1000メートル走かな……暑い時にやって、全然タイムに入れなくて。最後、座り込んじゃった時があって(笑)。僕らはそれを、上手いから良いよと、良しとはしなかった。実際、それを乗り越えた板倉という選手もいた。だからこそ強くなれたものもある」

 板倉は「ナベさんには本当に感謝しています」と語るが、板倉自身の乗り越えて伸びる力があって、それを引き出す恩師との出会いがあったということだ。
 
 仙台で3バックの一角として主力に定着すると、ぐんぐんと評価が上がっていったが、川崎で成長した姿を見せる代わりに、欧州移籍を選択した。大きく心を動かしたのは、プレミアリーグ屈指の強豪であるマンチェスター・シティからのオファーだった。

 ただ、それは英国の労働ビザが取得できない前提で、期限付き移籍を受け入れる形での移籍だった。それで加入しても、ほとんどの選手はシティに戻らず、他クラブに完全移籍することになる。

 板倉もその例に漏れなかったが、オランダのフローニンヘンからドイツ2部のシャルケ、そしてブンデスリーガ屈指の強豪であるボルシアMGに加入するというサクセスストーリーを3年半で成し遂げたのだ。

 フローニンヘンに移籍して半年後、2019年に東京五輪世代を中心としたコパ・アメリカで初のA代表を経験。2試合目のウルグアイ戦でスタメン起用されて、粗削りながらも存在感あるプレーを見せた。

 この経験は、1試合も出番がなかったフローニンヘンでの状況も変えた。2019-2000シーズンは22試合、2000-01シーズンには34試合にフル出場を果たした。それまでボランチとセンターバックのマルチロールとして評価されていたが、固定的にセンターバックで起用されたことで、同ポジションでの自信を大きく高める。
 
 昨夏の東京五輪でも、森保一監督はボランチとセンターバックで板倉の起用を考えていたが、ディフェンスの要として期待された冨安健洋(アーセナル)が足首を負傷し、さらに累積警告で出場停止という事態で、板倉はセンターバックで奮闘した。スペインとの準決勝は延長戦の末に敗れたが、板倉にとってA代表にも大きくつながる大会となった。

 カタールW杯の最終予選でも徐々に出場機会を増やして本大会の出場に貢献し、クラブではシャルケの1部復帰を支える活躍ぶり。

 新天地のボルシアMGでは当初、ダニエル・ファルケ監督からもボランチとセンターバックの両ポジションで考えられていたが、チーム事情でセンターバックに固定されると、開幕から5試合連続でスタメン起用。王者バイエルンと1−1で引き分けた試合では、獅子奮迅の働きで強力なアタッカーを何度も止めた。
 
 しかし、9月4日のマインツ戦で左膝の内側靭帯を部分断裂。「もう終わったと思った」という板倉だが、診断結果から「ギリギリ間に合うかもしれない」という報告を受けて、目標は定まった。

 クラブやデュッセルドルフにあるJFA支部で保存治療によるリハビリを行ないながら、最終テストとなる17日のカナダ戦のスタメンにこぎ着けた板倉。1−2の敗戦という残念な結果に終わったが、板倉は自身のプレーを振り返り「個人としては良かったかな、と。このスピード感と強度の中で65分間、出られた。ドイツ戦にはもっとフィットした状態でいけるなっていう感じです」と明るい表情で語った。

 板倉にとってキャリアの大きな局面となるカタールW杯で、強豪国のアタッカーを止めることができるか。真価が問われる。

文●河治良幸

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