2025年2月19日、東京ヤクルトスワローズからお知らせがリリースされた。

「これまで、つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました。球団マスコットとして、ここまで育ててくれた功績に感謝と敬意を表します」

 ヤクルトスワローズファン、プロ野球ファンのみならず、多くの人が悲しみ、喪失感に苛まれた。世の中に多くのマスコットが存在するが、多くの人に認知され、子どもにも大人にも愛されたマスコットは多くいるわけではない。子どもに大人気のマスコットは多く存在するが、つば九郎ほど大人に愛されたマスコットは数少ない。

 少しとぼけたような表情には愛嬌があり、お腹は丸みを帯びている。最近ではキレのある動きやダンスで観客を魅了するマスコットもいるが、つば九郎の動きはキレとは程遠くゆったりとして弛緩気味。チアリーダーにちょっかいを出してふざけて見せる。

 ヘルメットを回転させて放り投げ、頭にヘルメットを装着させる「空中くるりんぱ」は何度やっても成功しない。ただ、失敗したとしても、スタジアムは拍手に包まれた。成功して拍手をもらうのは芸だ。では、なぜつば九郎は失敗しても拍手をもらえるのか?それは常に生き様を見せていたから。そのつば九郎の生き様に多くの大人が共感したのだ。
 
 ヤクルトスワローズを愛し、プロ野球を愛しているのは、つば九郎の行動やメッセージを見れば常に伝わってくる。

 球場を訪れた人たちを楽しませようという姿勢を貫き通す。自由奔放に振る舞いながらも媚びていない。無理は分かっているけれど、つば九郎のように生きてみたい。正論渦巻く世の中で、コンプライアンスでがんじがらめの社会で、つば九郎のように生きてみたい。多くの大人がつば九郎の存在から自分の思いに気付かされたり、心が解き放たれた。

 つば九郎は「えみふる(笑みがFULL=満ちる)」というワードをよく使った。会社や家庭で口数少なく辛気臭い顔をしているお父さんだって、本当は思いっきり笑いたいに決まっている。子どもだけではなく大人も思いっきり笑えば良いし、夢を見たって良い。会社では無理だとしても、せめて球場にいる時だけは笑顔で。球場やスタジアムが「えみふる」な場所になれば良い。つば九郎の思いやメッセージは、ヤクルトスワローズやプロ野球といった枠を遥かに越えて、多くの人の心に届いた。

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 ところで業務内容不詳のJリーグウォッチャーという肩書きを勝手に背負って生きている私は、仕事柄(何柄だよ!)Jリーグのマスコット達が集まるイベントに参加することもある。マスコットと触れ合えるイベントになると、各地から多くの人が集まる。

 私は会場に集まった人達と話をしたり、その人達の様子を見るのが好きだ。みんな興奮気味で、どんなポーズで写真を撮るかを仲間で相談したり、プレゼントを渡すタイミングを考えたり、自分たちの応援するクラブのマスコットグッズの完成度自慢が始まったりと、かなり楽しく、カオスな状態になる。

 その中に、他の人とは積極的にコミュニケーションを取ろうとせず、ずっと1人で無言の女性がいた。表情は少し固めだった。彼女が写真を撮る順番になり、スタッフにカメラを渡して、お気に入りのマスコットの前に立った。

 すると彼女の表情は少し明るくなり、さっきまで無言だったのに、急に思いの丈をマスコットに話し始めた。遠くから会いにきたこと。職場で嫌なことがあったこと。やりたいことが見つからないこと。マスコットは頷いた。実際のマスコットの顔はいつものままだけれど、心配しているような、励ましているような表情に見えてくるから不思議だ。
 
 家族にも同僚にも友達にも言えないことがある。でも、誰かに聞いて欲しい悩みや苦しさ。マスコットだから言える心の内。彼女の話を聞いてあげたからといって、そのマスコットのクラブが強くなるわけでも、勝点3が与えられるわけでもないけれど、そのクラブが、そしてそのマスコットが世の中に存在する意味があると思った。

 少し話が長くなったし、カメラに背を向けていたので、写真を撮ることができないスタッフは少し待って女性に話しかけ、写真撮影を行なった。カメラを見る彼女の顔は「えみふる」とまではいかなかったけれど、「えみこぼれ」くらいにはなっていた。

 マスコットは人に夢や希望を与えるだけでなく、救いの存在にもなっている。そして、マスコットのパワーも借りて、日本のスタジアムが世界で1番笑顔が溢れるスタジアム、「えみふるスタジアム」なれば良いと思う。笑顔が溢れたからといって、WBCやワールドカップで優勝するわけではないけれど、世界一の「えみふるスタジアム」になれば、これまで以上に多くの人がスタジアムに足を運んでくれる。マスコットのみんな、いつもありがとう。そしてつば九郎ご苦労様でした。いや、28965963。

文●平畠啓史

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