ドイツ、イングランド、イタリア、トルコの4か国で15シーズン目を戦ってきたルーカス・ポドルスキが最も輝きを放ったのは、ケルンに所属した11-12シーズンだ。
 
 4-2-3-1のトップ下もしくはCFを主戦場とし、チーム総得点の46?にあたる18ゴール(+7アシスト)を叩き出した。圧巻だったのはその孤軍奮闘ぶり。前シーズンのチーム得点王だったミリボイェ・ノバコビッチがスランプに陥り、相手守備陣の警戒が自身に集中するなかで、何度となく違いを作り出したのだ。
 
 当時のポドルスキが爆発した理由はいくつか考えられる。そのひとつは戦術的な制約の少なさ。当時のストーレ・ソルバッケン監督から攻撃の牽引車となることを求められたポドルスキは、プレッシングサッカーを標榜するチームの中で唯一、囲い込みへの積極参加を求められず、攻撃に全精力を傾けることができた。
 
 ポドルスキ以外で守り、ポドルスキを中心に攻める――。チーム内にこの共通意識が浸透し、稀代のレフティーは伸び伸びとプレーできたわけだ。
 
 トレーニングの“軽さ”も、ポドルスキが年間を通して活躍できた要因と言えるかもしれない。周囲の助言に耳を貸さず、負荷の少ない練習メニューばかりを組んでいたソルバッケン監督の下で、常に良好なコンディションを維持。足を痛めるアクシデントはあったものの、フェリックス・マガト監督に身体を苛め抜かれた末、冬場に腰痛を発症する羽目になったバイエルンでの1年目(06-07シーズン)のようなトラブルには見舞われなかった。翌シーズン、新天地のアーセナルで終盤に息切れしたのは偶然ではないだろう。
 
 いわば王様として振る舞えたケルン時代とは異なり、組織の歯車のひとつになることを求められたバイエルンやアーセナルでは、一度も主役になれなかった。
 
  頻繁に指摘されたのは守備意識の低さで、複数人が絡んだコンビネーションプレーでの崩しが苦手という弱点も露呈。戦術的な約束事や制約が増えると、持てる力をなかなか発揮できないのは現在も変わらない。
 
 チームの王様になれなければ、結果を残せないわけではない。3月22日に引退試合(イングランド戦)を戦ったドイツ代表では、歴代3位の130キャップと同4位の49ゴールをマークした。主戦場は4-2-3-1システムの2列目左サイドで、本人が望む中央でのプレーは限られたが、ワールドカップやEUROの本大会で貴重な得点をいくつも挙げてきた。
 
 戦術的な自由を認められない代表チームで躍動できたのは、周囲からの信頼があればこそ。とくに大きかったのがヨアヒム・レーブ監督からの信頼だ。所属クラブで出場機会に恵まれていない時期でも、怪我以外の理由で招集外になった試しはなく、ポドルスキは恩師の期待に結果で応え続けてきた。
 
 レーブ率いるドイツ代表が長らく志向していた“テンポフットボール(ひとりのボール保持時間を原則2秒以内に抑えるサッカー)”が肌に合ったのもポイントのひとつ。ダイレクト/縦志向の強いこの戦術が、スペースを突く能力に長け、ダイナミックにプレーする自身のスタイルにハマったのだ。
 
 もちろん、常に持ち味を引き出そうとしてくれた中盤のコンダクターで、親友のバスティアン・シュバインシュタイガーに加え、抜群のリスク管理能力で守備負担を軽減してくれたフィリップ・ラーム(今夏に現役引退)やサミ・ケディラら同僚に恵まれたのも大きかった。
 
 新天地となるヴィッセル神戸での起用法はまだ不透明だが、ポドルスキが最も好むのは中央でのプレー。そして、自由と信頼を手にした時、破壊力満点のミドルや縦への推進力に富んだドリブルを連発し、スタジアムをおおいに沸かせるはずだ。自己犠牲のスピリットを宿しているわけではなく、ともすれば利己的な選手にも映るが、わがままにプレーさせてこそ、ポドルスキは真価を発揮すると言えるかもしれない。
 
文:遠藤孝輔
※サッカーダイジェスト4月13日号より加筆・転載
 
【ルーカス・ポドルスキPROFILE】
■生年月日:1985年6月4日
■身長・体重:182センチ・83キロ
■国籍:ドイツ/ポーランド
■利き足:左
■経歴:ケルン(2003-06)−バイエルン(06-09)−ケルン(09-12)−アーセナル(12-15)―インテル(15)−ガラタサライ(15-17)−ヴィッセル神戸(17〜)
■代表歴:ドイツU-17代表(01-02)、ドイツU-18代表(02―03)、ドイツU-19代表(03-04)、ドイツ代表(04-17)
■国際Aマッチ通算:130試合・49得点