どうやったら、そうなってしまったのか?
 
 論理的に説明できないプレーがある。
 
「彼自身、あそこからどう出られたか、説明がつかないだろう」
 
 レアル・マドリーのジネディーヌ・ジダン監督は、昨シーズンのチャンピオンズ・リーグ(CL)準決勝・第2レグのアトレティコ・マドリー戦で、前半42分にカリム・ベンゼマが見せたプレーについてこう語っている。

 その時、左サイドでスローインを受けたベンゼマは、ゴールラインまでボールを持ち込みながら、3人のDFに囲まれていた。ボールを失うか、自ら外に出してしまうか、良くても相手にぶつけてCKを奪うという選択肢しかなかった場面だろう。
 
 しかし、ベンゼマはわずかな隙を突き、ゴールラインの内側でぎりぎりのコントロールに成功し、敵の3選手を置き去りにして折り返しのパス。これをトニ・クロースがシュートし、はね返ったところをイスコが詰めて貴重なアウェーゴールを奪った。
 
 フットボールでは時に、奇跡にすら映るプレーが生まれる。それは偶発性を伴い、規則性はない。奇跡を起こせる技術や閃き、あるいはその度胸があるか――。それは奇跡的プレーの生まれる確率を高めるものではあるが、絶対的ではないだろう。
 
 日本代表では、2011年アジアカップ決勝(対オーストラリア)における延長戦(109分)での李忠成のボレーシュートが、そのひとつに挙げられるかもしれない。李はあの時、ほとんど感覚的にボレーで叩いていた。あのシーンを再現するには、困難を極めるだろう。
 
 また、何気ないプレーが、チームとして奇跡を創り出すこともある。
 
「フットボールには“モーメント”がある。瞬間というのかな。論理的には説明がつかない。例えば、ミラン相手に4点を奪った試合。それがどうやって起きたか、説明なんかできないんだよ」
 
 ファン・カルロス・バレロンは証言している。
 
 03−04シーズンのCL準々決勝・第2レグ、デポルティボは当時最強を誇ったミラン(前年度王者)を4-0で下し、勝ち上がった。第1レグを1-4で落としていただけに、この逆転劇は「リアソルの奇跡」ともいわれた。
 もっとも、奇跡は待っていて起きたものではない。第1レグ、彼らは果敢に攻め、1点を奪った。結局はミランに押し切られて大敗に終わったものの、選手たちは「やれる」という手応えを掴んだという。実際、アウェーゴールを奪ったことも、彼らの背中を押した。
 
 運命の第2レグ、開始早々に好機を得たのは、絶対的有利なミランだった。しかし、ヨン=ダール・トマソンは、これを決められない。大差がついていたことで、フィリッポ・インザーギを温存したことが、裏目に出たと言えるかもしれない。
 
 対してデポルティボは、開始5分で先制に成功し、潮目を掴む。盛り上がるスタンドを背にして優勢に前半を戦い、バレロンは魔法のようなプレーを連発。前半のうちに3-0とし、合計スコアで逆転してみせる。後半に入っても流れを変えることなく、さらに1点を追加し、試合を決した。
 
 幾つかのプレーが、奇跡を誘導したのだろう。しかし、そこで生じる流れを、自分たちで意図的に創り出すのは難しい。
 
 プレーディテールが影響する事象でもあり、スタンドのファンが幾ら煽っても、風が吹かない時は吹かないし、流れはどうにもならない。そこには、監督の采配も含め、人知が及ばぬ領域がある。
 
 それでも、ピッチ上の11人は全力を尽くすしかない。バレロンは語る。
 
「スタジアムの熱気を高めるのは、あくまで選手のパフォーマンスだと思う。それによってスタジアムは盛り上がり、選手も気分が乗る。スタジアムが盛り上がるから、選手が良いプレーをするんじゃない」
 
 奇跡の体現者の言葉は、正鵠を射ている。結局のところ、試合の流れを味方につけられるか否かは、選手一人ひとりに託されているのだ。

文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。