「難しい試合でした」
 
 そういう言い回しがある。これは当事者の感想だが、確かに“情状酌量の余地あり”というような試合は実際にあるだろう。
 
 例えば、それは酷暑という環境だったりする。気温30度以上でじめじめした空気が漂うピッチ……。選手の足は鈍るし、気力は削がれ、技術精度は落ちる。いつものようなプレーは望めない。
 
 あるいは、ピッチの状況も大きく影響する。芝生の丈が長かったり、凹凸があったりすることで、通常のプレーができないということもあるだろう。または、怪我人の続出で自分たちのコンディションが整わず、劣勢を余儀なくされることもある。
 
<どうしようもない>
 
 そういう悪い流れに引き込まれてしまうことはある。難しい試合――。自分たちの試合ができない、という意味を含んでいる。
 
 しかし逆説すれば、こんな時こそ、実力が試される。
 
「ピッチに入ったら、どんな時も戦う姿勢を示す必要がある」
 
 アトレティコ・マドリーの名将ディエゴ・シメオネは高らかに言う。
 
 シメオネ率いるA・マドリーは先日のプレシーズンマッチ(メキシコ遠征の初戦)、地元のトルーカと0-0で引き分けた。
 
 標高2600メートルという高地で、選手は思うように動くことができなかった。コンディションは明らかに悪く、合流間もないこともあって連係もままならず、試合勘に欠け、息も上がる……。まさに、ネガティブ要素のオンパレードだった。
 
 しかし、彼らは勝てずとも、負けることもなかった。
 
 ここに、「シメオネイズム」がある。
 
「我々にとっては(プレシーズン)初の試合だったが、それにしてはかなり良かった。この標高で戦うことは決して簡単ではないが、選手たちは必要に応じて順応していった。足の運びは重かったが、どうにか戦えていた」
 
「力を発揮するにはまだ時間が必要だが、親善試合であれ、公式戦であれ、我々は戦う姿勢を示すことができた。チームコンセプトは失われず、ラインはコンパクトで、ソリッドだった」
 サッカーの勝負は“ナマ”である。生き物を扱うようなもので、思い通りにはいかない。そもそも、何が起こるか予測することは難しい。それだけに、チームも選手も、いかに早く環境に適応できるかが問われる。
 
「プレーできる状況でなかった」
 
 プロである限り、それは言い訳になってしまう。難しい局面のなかでさえ、苦しみながらも肉体をアジャストさせる。勝てないまでも、負けない。そこに、真の強者の境地がある。
 
「戦えるチーム」
 
 そういう表現があるが、それは苦しい状況を突破できる力を意味している。「火事場力」と言うべきか。勢いに乗っている時の連勝のなかだけでは、その力は推し量れない。
 
 今季のJリーグは混沌としている。J1も、J2も実力伯仲で、ほとんど差がない。J2にいたっては25節終了現在で、昇格プレーオフ圏内の6位から16位までが勝点5差で割拠。稀に見る接戦になっている。
 
 これから真夏のリーグを戦う各クラブは、苦しみを余儀なくされるだろう。
 
「サッカーができる状況ではない」
 
 そういう気持ちを、周りも責められない。確かに、殺人的な猛暑が続いている。しかし、その状況を勝ち抜く者だけが、チャンピオンに相応しい。
 
 本命不在のJリーグ。最も逞しいチームはどこになるのか?
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。