広島に2−3で敗れ、磐田の連勝は6でストップした。
 
 8月5日に行なわれたこの試合、名波監督や選手たちの勝利へのモチベーションは、連勝記録を伸ばすことだけではなく、新たな夢を追い、再び海を渡る松井大輔の花道を飾ることにもあった。むしろ、その気持ちのほうが強かったかもしれない。
 
 名波監督は試合後の記者会見で、「勝って笑って送り出したかった。本人には非常に申し訳ないと思う。楽しく、(彼)らしさをもって新しいサッカー人生を歩んでほしい。ジュビロのエンブレムを付けた仲間として、飛躍してほしいと思います」と語った。
 
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 ポーランド2部『オドラ・オポーレ』への完全移籍が発表された翌日、松井は、決断が難しいものだったことを明かした。
 
「オファーを受け、すごく悩みました。3年前に磐田に来た時に、磐田をJ2からJ1に上げたら、また海外でやってみたいなという思いもありました。その気持ち、違う環境で自分自身に挑戦したいという思いが強くなって、決めました」
 
 2014年、10年間の欧州での輝かしい選手生活を終えて、磐田でJリーグに復帰した松井は、キャプテンマークを左腕に巻き、J2を闘った。磐田が最も苦しいシーズンに、豊富な経験と技術に裏打ちされたハイレベルなプレーだけではなく、誰よりも走り、ユニホームを汚して闘う姿でチームを牽引。その献身ぶりに「こんなに走るんだ、と驚いた」と語る選手もいた。
 
 先発出場が減っても、“腐る”様子はなく、いつ出番が来てもいいように万全の準備を怠らなかった。チームメイトにとって「自分を信じることの大切さ、練習は嘘をつかないということを学べる人」(宮崎)であり、「誰かが調子を落としたりした時に、一番気にかけてくれて、考えをひき出してくれる頼れるひと」(川辺)であり続けた。
 
「チームのために、仲間のために、という想いが強かった。そういう気持ちでやれたことは、自分にとってもすごくプラスでした。いい奴ばかりで、こんなにフレンドリーなクラブはないと思うし、このまま居たいな、という気持ちもありました」
 
 磐田での3年半と想いを、松井はそう振り返る。
 監督やスタッフからの熱心な慰留に悩んだ末での決断でもあった。
 
「ずっとここでやってくれ、という話をしてくれて、嬉しかったですし、光栄なこと。でも、より厳しい状況に身を置いて、立ち止まらずに、もがきながら進んでいくことで何かを得られたら、やはりそれが自分にとって一番良いのかなと。サッカーを楽しむことを武器に、そして人生のちょっとした楽しさ、光を見つけながら、前進したいと思います」
 
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「自分がジュビロにすんなり馴染めたのは松井のおかげ。彼がここに来た時、海外からの移籍だったし、年齢的なこともあるし、最初は難しさもあったのではないかと思うけど、そのなかで、ベテランの居場所をつくってくれていたので、自分はそれと同じようにやるだけでした」
 
 そう語る中村俊輔は、かつて日本代表でともに闘った盟友の決断を、「彼らしい」と言う。
 
「(松井は)試合に出られないから、と言うような小さな男ではない。ジュビロに尽くしてきて、サッカー人生の最後のほうにきて、自分のプレーや野心を追い求める感覚を取り戻したい、輝きたいという気持ちがあったと思う。『居場所があって安泰で幸せです、というのが嫌』という言い方をしていた。『俺らしいっしょ』と自分で言っていたけど、アイツらしいですね」
 
 その日の練習で、中村俊は松井からFKの蹴り方を教えて、と言われたという。
 
「急に?って(笑)。向こうで蹴るつもりなんでしょう。ハングリー精神を持って、レギャラー争いをして、暴れるのかな」
 
 広島戦後に行なわれたセレモニーで、松井はピッチの中央に立ち、感謝と別れの挨拶をした。その途中、一度声を詰まらせた後、こう続けた。
 
「今日は負けましたが、僕は、名波さんにずっと監督を続けてほしいと思います。明日からの連勝を信じて、ポーランドで応援しています」