<監督のマネジメント>
 
 それは勝負を左右する要素として語られる。

 今季のJリーグ、首位を走るセレッソ大阪のユン・ジョンファン監督は、マネジメント力に長ける指揮官だろう。

「ユンさんは、モチベーションを上げるのがうまい。言葉のチョイスというか。タイミングも良くて」
 
 選手からは、感嘆の声が漏れる。瞠目すべき人心掌握力。言葉をいかに操れるか。それはリーダーとして、どんな職業にも求められる才能だろう。
 
 しかし、同じ言葉でも、全く響かないこともある。
 
「あの監督、うまいこといったつもりかよ」
 
 鼻白む者もいる。選手は少年に近い純真さを持っており、“作り物”の言葉に心を動かされず、むしろ反感のようなものを抱く。つまらないことを言う教師への反発に似ているだろう。
 
 では、生きた言葉とは何か?
 
 結局のところ、選手が見ているのは「監督としての生き様」である。日々、真剣に生きているのか。公平に人に接し、集団を強くするために力を尽くしているのか。自らを律し、勝利するために全てを擲(なげう)っているか。
 
 選手は純粋なだけに、それらを感じ取れるアンテナを持っている。選手は、心から認めたリーダーには、ある種の眩しさを感じる。そうやって、「この人を男にしてやろうじゃないか」という気運が生まれるのだ。
 
 響く言葉は、名言集では得られない。
 
「自分が迷っていたような箇所をずばり指摘され、建設的なアドバイスももらえた」
 
 選手はそう言って、顔を輝かせる。自分のプレーを正しく見てもらえている。それを、選手は第一にする。どれだけ褒められても、その指摘が的を射ていなかったら、心には届かない。
 
「あの監督、分かってないなぁ…」
 
 むしろ、関係に溝ができてしまう。
 個人だけでなく、集団をマネジメントするというのは、一筋縄にはいかない。例えば、試合直前に選手の士気を高めるというのは大事なことではあるが、それは仕上げ。戦いの前の日常で、勝負のほとんどは決まっている。
 
 だからこそ、バルセロナを率いて三冠を達成したルイス・エンリケ監督は、ひとつの戒めを選手たちに与えていた。
 
「しっかりトレーニングを積めない選手には、試合に出る機会を与えない。練習に励むことで、日曜日の試合に出場する機会を得る。これは簡単な道理だ」
 
 ルイス・エンリケ監督は、日常を重視した。緊張感を与え、プレー強度を高める。それによって、戦える集団にした。
 
 翻って考えると、監督だけでなく、選手にとっても、日々をどう生きるか、ということが大事になってくる。一日一日を疎かにする選手は、プロの世界では生き残れない。早晩、痛い目を見る。
 
「いかに生きているか?」
 
 それが、勝負のマネジメントでは問われる。
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。