2016年11月28日に起きた事件を、覚えている方は多いはずだ。ブラジルの1部リーグに所属するクラブ、シャペコエンセの一行を乗せた飛行機が墜落し、多くの尊い命が犠牲となったあの大事件だ。
 
 あれから、およそ9か月が経った。クラブ存続の危機に直面したシャペコエンセはしかし、着実に復興へと進んでいる。そして8月15日には、コパ・スダメリカーナ王者として臨むスルガ銀行チャンピオンシップで、浦和レッズと対戦する予定だ。
 
 シャペコエンセの来日を記念してお届けするのは、現地在住のサッカージャーナリスト、沢田啓明氏が飛行機事故からの歩みを追ったドキュメンタリー連載だ。第6回はピッチに目を向け、いくつかのサプライズを提供したシーズン前半戦を総括する。
 
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 昨年11月末の飛行機墜落事故でクラブが壊滅的な損失を被ってから7か月、1月末にシーズンが始まってから5か月が過ぎた。「クラブとチームを同時に再建する」という世界スポーツ史上でも例のない挑戦に乗り出したシャペコエンセが、奮闘を続けている。今回はピッチに目を向け、17年シーズンの前半戦を総括したい。
 
 昨年のコパ・スダメリカーナ優勝チームであるシャペコエンセは、17年シーズンのコパ・リベルタドーレ、レコパ・スダメリカーナ(南米スーパーカップ)、スルガ銀行チャンピオンシップの出場権を獲得。バルセロナなど欧州ビッグクラブからの招待試合のオファーも届き、皮肉にもチームが消滅した直後に、年間70試合前後をこなす超過密日程を強いられる運びとなった。
 
 こうした状況も踏まえ、主力の大半を失ったチームは30人近い選手を獲得。プリニオ・ダビ・デ・ネス・フィーリョ会長は、「州リーグは優勝、コパ・リベルタドーレスは1次リーグを突破し、全国リーグは10位以内に入る」ことを目標に掲げた。
 
 1月末、州リーグとプリメイラ・リーガが開幕。州リーグは昨年優勝しており、連覇がかかっていた。プリメイラ・リーガは、ブラジル南部の強豪16クラブによる歴史の浅い大会だ。日程が重複していたため2チームを編成。州リーグはAチームで、プリメイラ・リーガはBチームで戦った。
 
 前期と後期の2ステージ制となる州リーグは、それぞれの覇者が最後に優勝決定戦を行なうレギュレーション。前期は監督が目指す中盤の激しいプレス、サイドをえぐっての素早い攻撃が機能せず、2位に留まった。
 
 ちょうどこの頃、プリメイラ・リーガの1次リーグが終わり、2分け1敗で敗退する。これを受けて2チームを融合。Bチームで際立っていた運動量豊富な左ウイングのアルトゥール・カイッキ、攻守に貢献できるMFルイス・アントニオらがAチームに加わった。この「補強」によってチーム力が高まり、後期を制覇。同州の宿敵アバイとの優勝決定戦を制し、2年連続6度目の戴冠を果たした。まずは最初の目標を達成したのである。
 
 南米王者を決めるコパ・リベルタドーレスは、3月上旬に始まった。クラブ創設以来初の参戦で、1次リーグはアルゼンチン王者のラヌース、この大会を3度制覇しているウルグアイの古豪ナシオナル、ベネズエラ王者のスリアと同組に。1節のスリア戦(アウェー)は高い位置からプレスをかけて中盤の攻防で優位に立ち、左SBレイナウドのFKなどで2点を先行。スリアの反撃を1点に抑え2-1で勝利した。
 
 続くラヌース戦(ホーム)も先制したが、その後、中盤の攻防で劣勢を強いられ、後半に失点を重ねて敗れた(1-3)。3節のナシオナル戦(アウェー)は、やはり先制しながらもカウンターから失点して引き分け。さらに、アウェーのナシオナル戦は守備のミスが続いて完敗を喫する(0-3)。勝ち上がるには、もはや連勝するしかない崖っぷちの状況。だが5節は強豪ラヌースとのアウェーゲームとあって、1次リーグ突破は絶望的と思われた。
 
 この窮地に選手たちが奮い立つ。相手のプレスをいなし、中盤でしっかりパスを繋いで攻撃を組み立て、CFウェリントン・パウリスタが先制。PKを与えて一度は追いつかれたものの、88分、敵陣深い位置での左SBレイナウドのロングスローをCBルイス・オタビオが相手3人に競り勝って頭で叩き込み、劇的な決勝点を挙げた。シーズン前半戦のベストゲームだった。
 
 ところが試合後、予想外の事態が判明する。前節で退場となったオタビオは、3試合の出場停止処分を科せられていた。しかし、クラブがその通知を見逃していたようで、ラヌース戦のピッチに立たせてしまったのだ。これを受け、南米サッカー連盟は「3-0でラヌースの勝利」と認定。勝点3を没収されたこの時点でチームはグループ最下位に沈み、最終節のスリア戦を待たずして敗退が決まった。ただし、スリア戦に勝てば3位に浮上し、コパ・スダメリカーナに回る資格は得られるという状況だった。
 
 スリア戦は、豪雨の中で行なわれた。ショックを隠せない選手たちはミスが目立ち、先制を許す。懸命に反撃するものの、シュートはことごとくバーやポストに嫌われた。ところが、アディショナルタイムにFWカイッキがゴール前の混戦から決めて同点。冷たい雨でずぶ濡れになりながら総立ちで声援を送っていた観衆が、躍り上がって喜ぶ。さらにその直後、右サイドからの強烈なクロスをボランチのアンドレイ・ジロットが頭で合わせると、ボールはGKの指先をかすめてネットを揺すった。奇跡的な逆転勝利に、スタンドは大騒ぎとなった。
 
 この試合を地元サポーターと一緒に観戦していた筆者は、心から驚嘆した。「このような厳しい局面で“火事場の馬鹿力”を出し、信じられないようなことをやってのけるのが、シャペコエンセというクラブなのだ」と。
 
 試合後、ヴァグネル・マンシーニ監督は「困難な状況で最後まで諦めずに戦った選手たちを誇りに思う。サポーターも素晴らしかった」と感極まった表情。「南米サッカー連盟は我々から勝点を取り上げたが、ピッチの中では1次リーグを突破した」と胸を張った。
 
 監督が言うように、「ピッチ内」では2つ目の目標を達成した。それだけに、返す返すフロントの失態が悔やまれる。


 ブラジル全国リーグは、5月中旬に幕を開けた。開幕戦は強豪コリンチャンスとアウェーで引き分け(1-1)、2節は王者パルメイラスにホームで勝利(1-0)。さらに連勝を収め、4節終了時点でクラブ史上初めて首位に立ち、シャペコの町は沸きに沸いた。
 
 ところが、5節のグレミオ戦(ホーム)は守備のミスが続出し、3-6と大敗。この試合を含めた以降の6試合は1勝5敗(8得点・18失点)と成績が急降下し、10節を終えると順位は13位まで落ちてしまう。
 
 シーズン序盤に比べると、攻守両面で連携が深まり、選手層も厚みを増してチーム力は上がっている。にもかかわらず6月に入ってから失速した原因は、対戦相手に研究されたからだろう。開幕以来、システムはほぼ一貫して4-3-3を採用。中盤で激しく守り、ボールを奪うとSBとウイングが連携してサイドを突破し、そこからのクロスで得点を狙ってきた。
 
 それゆえ攻撃時はSBが敵陣に上がっているケースが多く、その背後を素早く突かれるとカバーが間に合わず、重大なピンチを迎えてしまう。中盤でボールをキープし、相手守備陣の穴を見つけて決定的なパスを供給できる選手が少なく、攻撃がサイドに偏るバランスの悪さが背景にある。つまり、攻撃面の欠陥が守備にも影響しているのだ。
 
 打開策としては、4-3-3以外のオプションを持つことがひとつ。また中盤に攻守両面で貢献できる選手を並べ、個の能力の不足を組織で補えば、バランスの悪さは多少なりとも解消できるかもしれない。あとは主力、そして若手たちの成長による戦力の底上げが、今後はいっそう求められる。
 
 守備の柱として期待されるのが、24歳のCBオタビオ。195センチの長身で空中戦に強く、身体能力は抜群。まだトップレベルでの経験が浅く、時折、ポジショニングや技術的なミスを犯すが、状況判断が向上すれば将来のセレソン入りも可能な逸材だ。
 
 中盤はジロット(昨年は京都サンガに在籍)が鍵を握る。大柄で対人守備に滅法強く、足元の技術も高い25歳のボランチだ。州リーグではハットトリックを記録するなど攻撃面でも貢献。副主将を任されており、いずれチームの大黒柱となるべき存在だ。
 
 攻撃陣で最も可能性を感じさせるのが、今年5月に加入したベネズエラ代表MFのルイス・セイハス。技術があり、豊富なアイデアを持つ。今後、周囲との連携を深めて持ち味を存分に発揮すれば、チームの攻撃のオプションが格段に増えるはずだ。
 
 左ウイングのローレンシーも面白い。下部組織出身の21歳は、爆発的なスピードが魅力で、縦への推進力ある。現在はまだ途中出場が多いものの、さらに成長してレギュラー争いを演じるようになれば攻撃陣は厚みが増す。
 
 マンシーニ監督は、「選手全員が攻守両面で有機的に絡むチームを作るのが理想。ここまでの過程は、おおむね予定通り」としながらも、「全国リーグは非常に厳しいコンペティション。戦いながら成長していかなければならない」と前を見据える。
 
 しかし――。7月4日、そのマンシーニ監督が突然解任された。
 
(第7回につづく)
 
取材・文:沢田啓明
 
※ワールドサッカーダイジェスト2017.07.20号より加筆・修正
 
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【著者プロフィール】
さわだ ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。