爆発的なスピード、圧倒的なパワー、トリッキーなテクニックで並みいるDFを蹴散らしながらゴールへ突き進み、強烈なシュートを叩き込んで咆哮を上げる――。
 
 全盛期のロナウドがボールを持って走りはじめたら、もはや誰にも止められなかった。付いたニックネームが、「フェノーメノ」(怪物、超常現象の意)。祖国ブラジルでは、今でも名前で呼ぶのではなく、常に「ロナウド・フェノーメノ」と称される。
 
 ロナウドはリオデジャネイロの貧しい地区の出身。地元の名門フラメンゴの熱烈なファンで、エースのジーコに憧れた。12歳のとき、フラメンゴの下部組織の入団テストを受けて合格。「天にも昇る気持ち」(本人)になったが、すぐにそれは失望に変わる。家が貧しく、練習場へ通うための1日200円ほどの交通費が払えなかったのだ。クラブに援助を願い出たが、「君だけ特別扱いはできない」と断わられて涙を流した。
 
 やむなく自宅からほど近い小クラブで練習をはじめ、たちまち頭角を現わして、16歳で強豪クルゼイロへ入団。すぐにゴールを量産して注目を集め、17歳でPSVアイントホーフェンへ移籍。その後、バルセロナ、インテル、レアル・マドリーといった欧州メガクラブの主力として活躍し、1996年、97年、2002年と3回に渡り年間世界最優秀選手に選ばれた。
 
 ワールドカップ(W杯)では、1994年アメリカ大会に17歳にしてメンバー入り。ピッチに立つ機会はなかったが、優勝メンバーの一員となった。1998年フランス大会では絶対的エースに君臨し、準決勝までに4ゴール。ところが、決勝戦当日の朝、原因不明のひきつけを起こして病院へ担ぎ込まれる。試合直前にスタジアムへ到着して強行出場したが、ピッチを夢遊病者のように彷徨うだけ。エースが精彩を欠いたブラジルは地元フランスに0-3で完敗し、大会連覇を逃した。
 
 その後、2000年に右膝靭帯を断裂して長期のリハビリを余儀なくされたが、1年半後にカムバック。一時は出場が危ぶまれた2002年日韓大会で8得点の大活躍を演じ、優勝の立役者となった。2006年ドイツ大会でも3得点。W杯通算15得点はミロスラフ・クローゼ(ドイツ)に次ぐ歴代2位、セレソンで記録した67ゴールも王様ペレ(77得点)に続く記録だ。
 一方、現ブラジル代表の新たなフェノーメノが、ネイマールだ。しなやかな身のこなしから生まれる驚異的な加速、本人が「ボールを持ったら自分でも何をするかわからない」と語る無尽蔵のアイデアと、それを可能とする完璧なテクニックを備える。ロナウドとプレースタイルは異なるが、そのスピードと類まれなゴールセンス、規格外の存在という意味で、フェノーメノの名が相応しい。
 
 単独ドリブルでがむしゃらにゴールを目指すかと思えば、味方との連携で相手守備陣を崩壊させたり、あるいは囮となって味方の決定機を演出したりと、プレーの多彩さでは元祖フェノーメノを凌駕する。
 
 11歳の時に名門サントスでまずフットサルをはじめ、やがて掛け持ちでサッカーの13歳以下のチームに加わった。17歳でプロデビューし、10年8月には18歳でブラジル代表初キャップと出世街道をひた走った。
 
 13年、21歳でバルセロナへ加入。リオネル・メッシ、ルイス・スアレスとのMSNトリオの一員として世界中を魅了した。そして17年8月、フットボール史上最高額の2億2200万ユーロ(約288億円)でパリ・サンジェルマンへ移籍して話題をさらったのは記憶に新しい。
 
 ネイマールはロナウドのような純正9番ではないにもかかわらず、得点力も極めて高い。クラブレベルではすでに260点以上を挙げており、代表ではすでに83試合で歴代5位の53得点。ブラジル国内では「いずれロナウド・フェノーメノもペレも追い抜き、歴代トップに躍り出るだろう」と言われている。
 
 とはいえ、元祖フェノーメノと同様、これまでのキャリアで挫折も味わっている。14年夏、22歳で迎えた自国開催W杯で大黒柱としての役割を期待され、グループリーグでは2得点を挙げた。しかし、準々決勝のコロンビア戦で背中に膝蹴りを食らって脊椎を骨折し、準決勝以降の試合を欠場。母国がドイツに1-7という歴史的大敗を喫するのを、テレビの前で見守るしかなかった。
 
 18年夏、このときの悔しさを胸に再び夢舞台に挑む。そう、ロシアW杯だ。
 
 ブラジルはロシア大会を含めて21回のW杯すべてに出場している世界唯一の国であり、W杯に複数回出場した選手は星の数ほどいる。それゆえ国民が選手評価の基準とするのは、W杯に何度出場したかではなく、何度優勝したか。4大会出場で3度の優勝を成し遂げたペレは別格の存在で、キングに次ぐのが4大会で優勝2回、準優勝1回のロナウドである。
 
 今後、ネイマールがロナウドに追いつき追い越すためには、まずはロシアW杯でブラジルを優勝に導く必要がある。もし自身の活躍でパリSGを欧州王者に、セレソンを世界の頂点に押し上げれば、2018年末には悲願であるバロンドールが手に入るに違いない。
 
 ロナウドは「ネイマールは信じられないほどクリエーティブで、見ていてとても楽しい選手。彼の大車輪の活躍でセレソンがエクサ(通算6度目のW杯優勝)を達成するのを心待ちにしているよ」と頼もしい後輩にエールを送る。
 
 ロナウド・フェノーメノは、実質二度目の挑戦でW杯を制覇した。ネイマール・フェノーメノも、二度目の挑戦で世界の頂点に立てるのか――。世界中のサッカーファンが注目している。
 
文:沢田啓明
 
 【著者プロフィール】
1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。