「18歳」だった。高校を卒業してすぐに、僕は「ブラジル」にサッカー留学をした。当時、まだ地球の裏側、ブラジルでサッカー選手を目指す日本人はそう多くはなかった。
 
 知っての通り、弟のカズは高校を1年生で中退し、僕よりも早くブラジルでプロの道を選んだ。当時、カズのブラジルでサッカーをやるという決意は凄かった。
 
 経済も不安定なブラジルに、未成年であるカズが留学するということで、サンパウロから身元引き受け人の方が来て、治安が悪いので「親の死に目」に会えないかもしれないという言葉に「それでもいいです……」と15歳のカズが言っていた。
 
 それは何を意味するかと言えば、「それだけ治安の悪い国」へ留学するカズ自身にも危険が及ぶ可能性があるということなのである。
 
 一方、僕は高校サッカー選手権の「全国大会出場」を目指したが、その目標は叶わず、カズに遅れてブラジル行きを決意。弟に遅れて1年半後、弟のいるサンパウロへサッカー留学として日本を旅立った。
 
 そして今年で何回目であろう。地球の裏側、最低でも24時間、途中トランジットを入れれば片道30時間という移動を要するブラジルを往復したのは……。
 
 留学当時、公式戦に出場するために取得した「永住権」の関係で必ず2年に1度はブラジルを往復してきた。もちろん世界一のサッカーどころだ。それ以外にも何度もこの地に足を運んでいる。
 
 永住権を取得してから32年。2年に1度の計算で最低でも16回、読売クラブや清水エスパルスでの海外遠征、東京で立ち上げたFCトッカーノの遠征、2004年にNHKの「我が心の旅」という特番取材、2010年南アフリカ・ワールドカップでのNHK取材など、ブラジルまで30回以上の往復をしている。
 
 今回も強行スケジュールではあるが、シーズンを終え、このサンパウロの地を踏んだ。
 
 移動を終えた瞬間、毎回思うのは「飛行機はもういい……」。実際、そんなことを呟いてしまう。その遠いブラジルに、今回も2年間が経つ前に往復した。
 
 滞在2.5日の強行スケジュールの理由は、日本で結婚式に招待されているため、すぐに戻らなければならなかったからだ。
 
 僕はこの2日間という時間を有意義に過ごした。
 
 大好きなブラジル料理を堪能。日系人との交流。留学時代、サントスFCのジュニオールで一緒にプレーしていた旧友とシュハスコ(食事)。領事館の友人とイタリアより美味しいブラジルのピザを食べに行き、J元年に清水エスパルス監督と選手の関係で一緒に仕事をしたレオン監督を訪問。お世話になった知人が82歳で亡くなり四十九日に出席。
 
 などなど、時間のないなかで、あっという間に時は過ぎたが、有意義な時間となった。
 
 特にレオンとは4年ぶりの再会で、2時間近くもさまざまなことを語り合った。彼の家のベランダでソファーに腰掛け、時間を忘れて「サッカー」の話をした。昔話をし、現在の世界、ブラジル、日本サッカーの話。セレソン(代表)の話。指導の話。家族の話。今のお互いの話。レオンが当時観た選手としての僕の話……。
 
 そして未来の話。他にもたくさんの話をした。僕が尊敬する指導者と本当にいつまでも話していたかった。
 
 寂しかったのは現地でお世話になった日本人で、僕にとって「お母さん」のような存在だった方が亡くなっていたこと。2年前は元気で毎日一緒に食事をし、ユニクロのジャンパーをお土産に買っていったらすごく喜んでいたのに……。
 
 いるはずのあの「お母さん」はいない。偶然にも四十九日に重なり、多くの日系人の人たちと偲ぶことができた。また息子さんにもお会いでき、一緒に食事をしていろんな話ができた。
 
 何か日記のようなコラムになってしまったが、ブラジル、サンパウロは第2の故郷であり、大事な場所でもある。
 
 これからもどんなに忙しくても2年に1度、ブラジルに渡る。
 
 当時、ブラジル留学を自分で決めたのにもかかわらず、不安でたまらなかった。それでも日本を旅立ち、遠い日本の裏側に位置するブラジルで2年間暮らした。
 
 今では携帯電話を使い、スマホで連絡。LINEを使えば、無料で電話で声が聞けて、テレビ電話で顔も見られる。
 
 18歳だった当時、34年も前は手紙で最低2週間、リターンが来るのに4週間以上、1か月は掛かったものだ。毎日、郵便受けを確認し「まだ来ない、まだ来ない」と友人の返事を待った。時代は変わりWi-Fiがつながればいつでも、どこでも連絡が取れる時代に変わった。
 
 ただ、近くになった地球の裏側でも飛行時間は変わらない。今回も片道で30時間以上だ。
 
 そして永畑祐樹選手の結婚式に出席するため、22日には鹿児島に移動。23日に彼を祝福する予定だ。スピーチをお願いされているが、冒頭の掴みは決まっている。
 
「遠いブラジルから戻ってきました(笑)」
 
 今年も残りわずか、来季も鹿児島ユナイテッドFCで指揮を執ることが決まった。
 
 そして、すぐに年が明ける。皆様、良いお年をお迎えください。
 1年間ありがとうございました。
 
2017年12月22日
三浦泰年