偉大なクラッキがスパイクを壁に掛けることになった。
 
 現地1月16日、元ブラジル代表MFのロナウジーニョが正式引退することを、同選手の代理人を務める実兄のロベルト・アシス氏がブラジル紙『O Globo』で明かした。
 
 昨年12月に2018年以内での引退をほのめかしていたロナウジーニョ。『O Globo』の取材に応じたアシス氏が、「弟はフットボールをやめる。これでおしまいだ」と正式な引退とその時期について語っている。
 
「今は、どのようにして彼にふさわしい幕引きをするかについて考えている。たぶん、ロシア・ワールドカップ後の8月ぐらいになると思う。素晴らしく、盛大なものにしたいね。我々は今後、ブラジルやヨーロッパ、アジアでいくつかのイベントに参加する予定だ。それに、ブラジル代表との共演も準備している最中だ」
 
 1998年に故郷ポルトアレグレの名門グレミオでプロキャリアをスタートさせたロナウジーニョは、2001年にパリ・サンジェルマンへと移籍。そこでニュースターとして注目を浴び、欧州全土へその名を知らしめ、2003年7月にバルセロナへ加入した。

 5シーズンを過ごしたバルサでは、そのファンタスティックな技の数々で人々を魅了。2004年にFIFA年間最優秀選手賞、2005年にバロンドールなど数々の個人タイトルを受賞しただけでなく、バルサにも2度のリーグタイトルと1度の欧州タイトルをもたらした。
 
 その後、ロナウジーニョは2008年7月から約3シーズンに渡ってイタリアの強豪ミランに所属し、2011年8月には母国ブラジルに戻り、フラメンゴやアトレチコ・ミネイロでプレーした。
 
 2014年9月からはメキシコ1部リーグのケレタロFCに加入。2015年に再びブラジルの名門フルミネンセに戻るが、同年9月に退団。以降は、プロクラブに所属せず、チャリティーマッチなどの出場を続けていた。
 
 一方、ブラジル代表では、97試合・33ゴールを記録。2002年にはロナウドやリバウドらとともに主力として日韓ワールドカップを制し、母国を世界王座に導いた。
 
 昨年3月には自らが作詞した曲『Sozinho(孤独)』をリリースするなど、ミュージシャンとしての活動も本格化させたロナウジーニョ。アシス氏によると、詳細こそ決まっていないものの、今後は長年スポンサー契約を結んできたナイキのプロジェクトにも参加予定する予定だという。
 
 多彩な技巧と創造性豊かなパスでファンの度肝を抜いてきた偉大なファンタジスタ、ロナウジーニョ。今後の活動は不明瞭だが、これからもファンを楽しませてくれるはずだ。