リバプールが、1989-90シーズン以来となる30年ぶりのトップリーグ優勝を決めた。最大の功労者はユルゲン・クロップ監督だろうが、ここではクラブを陰で支えた3人を紹介したい。この3人がいなければ、リバプールのリーグ制覇は実現しなかったといっても過言ではない。それほど重要な役割を果たしたキーパーソンだ。

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マイケル・エドワーズ(スポーツディレクター)

 今やチームの大黒柱となったモハメド・サラーの獲得をクロップ監督に進言し、17年の夏に2部降格が決まっていたハルから左SBのアンドリュー・ロバートソンを格安で引き抜いた、スポーツディレクターだ。

 現在はリクルート部門のトップとして、選手の獲得と売却を取り仕切る男は、2011年にフットボールアナリストとしてリバプールに入団し、16年に37歳の若さでスポーツディレクターに昇格。15年にクロップを招聘した際にも、実質的な監督人事を担当した。

 さらに、前出のサラーとロバートソンのほか、フィルジル・ファン・ダイクとアリソンの補強もまとめた実績がある。
 
 17年1月に迎え入れたファン・ダイクの移籍金は、当時、DFとしては史上最高の7500万ポンド(約105億円)。18年7月に加入したアリソンの移籍金も6700万ポンド(約93億8000万円)と高額だったが、エドワーズによるデータ分析の結果で「適正価格」との結論になったという。

 マンチェスター・ユナイテッドがハリー・マグワイアに8000万ポンド(約112億円)、チェルシーがケパ・アリサバラガに7100万ポンド(約99億4000万円)の移籍金を投じたことを思えば、彼らを凌駕するパフォーマンスを見せているファン・ダイクとアリソンの移籍金は、むしろ安価だったと言えよう。

 クロップの意見を取り入れつつ、サラーの補強のように自ら獲得を進言するなど、今のリバプールを形作ったキーパーソンである。彼がSDに就任した16年以降、リバプールの補強に失敗が極端に少ないのも特筆に値する。
マイク・ゴードン(フェンウェイ・スポーツ・グループ社長)

 オーナー企業である「フェンウェイ・スポーツ・グループ」の社長を務め、12年夏からリバプールの事実上のトップであるマイク・ゴードンも、成功を語る上で欠かせない一人だ。彼が経営者としてクラブをまとめ上げなければ、今の成功はなかった。

 リバプールは11−12シーズンを8位という非常に嘆かわしい成績で終えた。この際、「フェンウェイ・スポーツ・グループ」オーナーのジョン・ヘンリーは、ある重要な決断を下した。リバプールの組織の中に、自社の社員を派遣し、直接経営に関与する必要があると、そう判断したのだ。その時に任命されたのが、他ならぬゴードンだった。

 社長としてクロップの招聘に大きく関わったほか、エドワーズをアナリストからスポーツディレクターに昇格させたのも、彼の功績のひとつだ。

 米国を拠点としているが、クロップにとって、良き相談者であり、良き理解者だ。そして、二人は無二の親友でもある。経営トップとして局面、局面で重要な決断を下しているが、人の意見に耳を傾ける寛容性も持つ。普段は非常に物静かで、表舞台に出るのを極端に嫌う人物としても知られている。
 
ペップ・ラインダース(アシスタントコーチ)

 最後の一人は、アシスタントコーチとしてチームを戦術面で支えるラインダースだ。37歳のオランダ人コーチは「クロップの頭脳」と言っていい。

 18年4月にクロップのアシスタントコーチを17年にわたって務めたジェリコ・ブバチがリバプールを去った。

 その当時は、「クロップの右腕」として、マインツ、ドルトムント、リバプールで支えたブバチの電撃退団は大きな打撃になると見られたが、代わりにアシスタントコーチに就任し、クロップ・サッカー哲学に新しい風を吹き込んだ。

 戦術バリエーションが豊富で、彼の入閣で、ハードなプレッシングだけでなく、リバプールの戦い方に幅が生まれた。その結果、相手によって戦い方を臨機応変に変えられるようになった。

文●ジョナサン・ノースクロフト(Jonathan NORTHCROFT)
翻訳●田嶋コウスケ

【著者プロフィール】
ジョナサン・ノースクロフト/高級紙『タイムズ』の日曜版『サンデー・タイムズ』のエース記者で、イングランド中部を中心に取材活動を展開中。分析記事やインタビューに定評があり、『BBC』をはじめサッカー番組にも多数出演。リバプールの舞台裏にも精通する。