「こんばんは。日本の皆さま、はじめまして。ディエゴ・フォルランです。セレッソ大阪で頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」

 ウルグアイが生んだ屈指のスターは、セレッソ大阪への入団会見でいきなり日本語による自己紹介を始め、見ていた者を驚かせた。

 感謝と日本の印象、新天地での抱負に至るまで、日本語を話せない外国人にとっては難しく長いスピーチを完璧にこなしてから「オオキニ」で締め括り、照れ臭そうな笑顔を見せた。あれだけの文章を暗記して人前で語ることは容易ではない。あの時、フォルランが非常に謙虚で、人一倍努力家であることに、誰もが気づいただろう。

 その人柄は、それから1年半後の退団セレモニーでもにじみ出ていた。

 本拠地キンチョウスタジアムのピッチをゆっくりと歩きながら、サポーターの一人ひとりと別れを惜しむかのように手を振り続け、スタンドから送られるコールとチャントをフォルランはじっくり聴き入っていた。

 そんな彼のセレッソサポーターへの想いは強く、のちにUAE紙『The National』に連載されたコラムの中でも、「空港に見送りに来てくれた人たちも歌ってくれた。あんな体験は初めてだった」と綴っている。
 
 セレッソ大阪を退団した1か月後の2015年7月、フォルランは父パブロの古巣であり、幼少期から大ファンだった名門ペニャロールに入団した。母国の1部リーグでプレーすることをずっと夢に抱いていたからだ。

 フォルランがウルグアイで暮らすのは18年ぶりのことで、国民的英雄の帰還に国中が注目した。もちろんそこには、強度の激しいウルグアイのトップリーグで、36歳のベテランがフィジカル的にどこまで耐えられるのかという懐疑的な見方や、「個人の欲を満たすためだけに来た高給取りは必要ない」という意地の悪い声がなかったわけではない。

 だが、元ウルグアイ代表FWは、大幅な減俸も当然のように受け入れ、ペニャロールでのデビュー戦となったテストマッチで早速2ゴールをマークし、周囲の“疑念”を一掃。クラブが期待していたとおりピッチ内外でチームを支えるリーダーとなり、2015年シーズンの前期優勝の立役者となったのである。

 さらに2016年6月にペニャロールはシーズン優勝決定戦で勝利を収め、年間チャンピオンとなり、フォルランは1年間に2つのタイトルを獲得。個人では、34試合で8ゴールという成績に終わったが、生え抜きの若手選手たちの模範となり、日々の練習の中で多くの教えを残した。ワールドカップMVP(2010年の南アフリカ大会)の肩書を持つスターが、最愛のクラブにもたらした恩恵は、間違いなく数字以上のものだった。
 2016年7月にペニャロールとの契約が満了となったフォルランは、ムンバイ・シティFCに入団。インドでの異例の挑戦を決めたのである。

 60日間限定という独特の開催方式のもと、期間中は各国から集まったチームメイトたちと一緒にホテルで暮らした日々をフォルランは、「文化的にとても豊かで貴重な経験になった」と話している。

 インドから帰国したフォルランは、ペニャロール復帰を試みるも交渉成立に至らず。約14か月間のブランクを経て、2018年1月に香港の傑志体育会に入団。同年5月に退団するまで、14試合に出場して6ゴールをマークした。

 その後、再びペニャロールでプレーしたいという気持ちを捨てられないまま、フォルランは昨年8月に40歳で現役引退を発表。選手としての復帰は実現しなかったが、12月に同クラブの監督に就任して周囲を驚かせた。指導者としてのデビューの場所が、母国の強豪だったからだ。

 兄パブロとウルグアイ代表時代のチームメイトだったフアン・カスティージョをアシスタントにつけ、今年1月から指揮を任されたフォルラン。だが、監督としての船出は苦過ぎる経験となってしまう。

 コロナ禍によって中断されたリーグ再開後、初戦となった宿敵ナシオナルとのクラシコで敗れたことを機にフロント陣と意見のズレが生じ始め、思うように勝ち切れないゲーム内容にサポーターの間で不満の声が高まったのだ。
 
 ナシオナルが好調であったこともプレッシャーとなり、内容と結果を即時に求められるという南米の強豪クラブの監督が背負う厳しい宿命の犠牲となったフォルランは、就任からわずか8か月で解雇を通達された。中断期間の5か月を除くとペニャロールでの活動期間はわずか3か月のみで、11試合を指揮しただけで、その座を追われる結末となってしまったのである。

 それでもフォルランのペニャロールへの愛情は変わらない。自身のSNSアカウントを通じて、「指導のチャンスを与えてくれてありがとう」と伝えただけでなく、選手やクラブ施設で働く影の功労者への感謝の言葉も忘れなかった。

 フォルランがフロント陣から不遇な扱いを受けたと考える人は少なくない。そんな周囲の不満を鎮めるかのように、メッセージにはこんな一文も添えられていた。

「未練はない。サッカーとはこういうものだから」

 セレッソ大阪を退団後、「私も妻も、目的が仕事であろうとプライベートであろうと、いつか必ず日本に戻ることを約束した」と語ったフォルラン。もしかしたら近い将来、監督として日本を訪れる日が来るかもしれない。

文●チヅル・デ・ガルシア text by Chizuru de GARCIA