オールドファンには懐かしい顔が帰ってきた。

 Jリーグ・浦和レッズのユースチームに昨年6月からOBの福永泰さんがコーチとして加入し、初体験となる育成年代の指導に多忙な日々を送っている。

 福永さんはJリーグ創設3年目の1995年、研修生という肩書で青山学院大学から加入し、サントリーシリーズ(後の第1ステージ)終盤に出番が到来すると、新人らしからぬ働きぶりで次々と勝利を呼び込んだ。半年後にはプロ契約を交わし、一躍チームの主力へと栄達。背番号が固定制に移行した97年以降、浦和の日本人選手で10番を付けたのは福永さんと柏木陽介しかいない。FWや攻撃的MF、ボランチとして活躍し、7年間在籍した。

 浦和は第2の古里でもある。「そうなんです、浦和で仕事をするということが一番大きかったし、嬉しかった。恩返しできるのかなと思ったらワクワクしました」と話し、高校生を教えることについては「自分で思い描いていたものより新しい発見のほうが多く、毎日が楽しくて刺激的です」と言葉をつないだ。

 2002年にベガルタ仙台へ移籍し、04年の引退後はフットサルの指導などに携わり、09年から15年までは青学大サッカー部のコーチや監督を歴任。16年から18年まで仙台のトップチームでコーチを務めた。

 大学生とプロ選手の指導歴は計10年になるが、U−18世代と接するのは初めてとあり、この1年あまりはさまざまなことに向き合って試行錯誤を重ねた。Jリーガーなら少ない言葉でもスムーズに意思伝達が可能だが、高校生にイメージを伝えるのは簡単ではないと感じたそうだ。そこで日常的にチーム内での積極的な発信を求め、自分の思いを遠慮なく伝えるよう指導している。

「内向的な性格の子には難しいかもしれないが、その殻を破っていけばチームのためにもなる。なんにでも前向きに取り組める環境作りに努めています。この年代の成長スピードというのは、急激に伸びる選手と伸び悩む選手に分かれる。理解する力を高めることが重要です」

 浦和ユースはチーム全般を統括する池田伸康監督がAチームの指揮を執り、萩村滋則コーチが補佐役。Bチームを担当する福永コーチは、参戦中の埼玉県高体連S2リーグなどでは監督を務め、安藤智安コーチがGK陣を指導する。

 池田監督とは5年、安藤コーチとは4年半、浦和でともにプレーした間柄だ。「萩村やトレーナーの(齊藤)真広も含め4人から刺激を受けている。(池田)ノブさんがファミリーとしてなんでも言い合える状況を作ってくれるので、すごくやりやすい」とコーチ陣の結束力も固いようだ。

 高円宮杯JFA U−18プレミアリーグは今季、新型コロナウイルス感染拡大の影響で地域ごとの限定リーグに縮小され、9月5日に開幕したプレミアリーグ関東は8チームによる1回戦制となった。昨年東地区3位の浦和ユースは、第4節を終えて2勝2敗の暫定3位にいる。

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 89年度の第68回全国高校選手権に初出場した桐蔭学園高校(神奈川)はモダンな戦術でベスト8入りし、2年生の福永さんは得点も決めた。「サッカーの指導を受けたという感覚が一番強かったのが高校時代で、多くのものを吸収して成長できた。あの3年間はものすごくインパクトがあった」と振り返る。

 今度はその高校生を教える責任の重い立場に回った。選手には次のカテゴリーはトップチーム、プロだと唱え続けている。「その自覚と覚悟を持っていてほしい。僕ら指導陣は世界で活躍できる選手を育てようという覚悟を決め、最高の熱量で接しています」ときっぱり言った。

 福永さんが青学大2、3年時の監督というのが、昨季まで浦和レッズのGMだった中村修三さんだ。「福永が青学の指導者だった頃、こまめに相談相手をするなど選手へのアプローチがうまいと聞いていた。技術や戦術だけでなく、選手のハートを引き出せる指導者になってほしい」とエールを送る。

 浦和での現役時代、「これくらいでいいやって妥協したことは1度もない」という言葉を何度か聞いた。闘争心が凝縮されたプレーで多くの観客から支持を集めた功労者が、指導者としても妥協せず、“第2の福永泰”を育て上げる日が待ち遠しい。

取材・文●河野 正

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