「名選手、必ずしも名監督にあらず」というのはよく言われることだが、サッカー界ではもうひとつ、「名選手の息子、必ずしも名選手にあらず」という格言を付け加えてもいいだろう。

 かつての名手の息子がプロ選手としてのキャリアをスタートした、というケースはそれほど珍しいことではない。しかし、そうした2世プレーヤーが父親と肩を並べるまでに成長し、親子2代に渡ってトップレベルで活躍する例となると、サッカーの歴史を振り返ってもそれほど多くはない。

 その最新例と言えるのが、この9月にリバプール移籍が決まったチアゴ・アルカンタラだろうか。彼の父は94年のワールドカップ(W杯)で優勝したブラジル代表で右ウイングを務めたマジーニョ。兄と同じくバルセロナのカンテラで育成された弟のラフィーニャ(現パリSG)も、父や兄の実績には及ばないもののプロとして活躍している。

 もう少し時代を遡れば、パオロ・マルディーニをはじめフランク・ランパード、ファン・セバスティアン・ベロン、パオロ・モンテーロ、そしてペペ・レイナなどが、名選手を父に持つ2世プレーヤーだ。

 しかし、21世紀に活躍した/している選手に話を限れば、リストはここまででほぼ打ち止めだ。現在のセリエAにはフェデリコ・キエーザ(ユベントス)やジョバンニ・シメオネ(カリアリ)などがいるし、プレミアリーグではキャスパー・シュマイケル(レスター)、ブンデスリーガではジャスティン・クライファート(RBライプツィヒ)、リーグ・アンではティモシー・ウェア(リール)らが2世プレーヤーとして知られている。

 ただ、彼らが父親と肩を並べ、それを乗り越える実績を築けるかどうかとなると、現時点では判断を保留せざるをえない。偉大な父を超えるというのは、それほどまでに難しいことなのだ。
 
 そう考えると、チェーザレとパオロというマルディーニ親子のストーリーが、どれほど特別だったかがよく分かる。なにしろ近代サッカーの歴史を遡っても、親子揃って同じチームのキャプテンとしてチャンピオンズ・リーグ(CL/前チャンピオンズ・カップ)のトロフィーを天に掲げたのは、彼らが唯一無二なのだ。

 チェーザレ・マルディーニは1932年にイタリアで最東の都市トリエステに生まれ、地元のトリエスティーナでプロデビューした後、54年に21歳でミランに引き抜かれた。

 当時のミランは、グンナー・ノルダール、ニリス・リードホルム、ファン・アルベルト・スキアフィーノといった世界トップクラスの外国人プレーヤーを擁し、50年代だけで4度のスクデットを獲得する黄金時代を謳歌していた。マルディーニもそのチームでリベロとして最後尾からチームを支え、61年にはキャプテンの座に就いた。

 当時としては際立って高い180センチ台後半の長身ながら、エレガントな身のこなしと優れたテクニックを持っていたチェーザレは、並のDFならばクリアするような状況でも、相手をドリブルでかわしてパスを繋ごうとする自信家だった。時にはそれが裏目に出て、失点に繋がるミスを犯すケースもあった。しかし、彼を愛するミラニスタたちは、そんなチョンボも「マルディナータ」(マルディーニらしいやらかし)と呼んで笑って許したという。
 
 ミランでの9年目となった62−63シーズンは、チャンピオンズ・カップで57−58シーズンに続いて2度目の決勝進出を果たす。

 前回のファイナルではアルフレッド・ディ・ステファノが君臨した伝説的なレアル・マドリーに苦杯を喫していたが、この時は「黒豹」ことエウゼビオを擁するベンフィカを2−1で撃破。イタリアのクラブとして初めてヨーロッパの頂点に立つことになる。その舞台となったロンドンのウェンブリーで主将のチェーザレは、エリザベス女王から授けられた優勝カップを天に掲げたのだった。

 ちょうどその同じ年に31歳で結婚したチェーザレは、その後に6人の子宝に恵まれる。最初の3人が娘で下の3人が息子。その長男が68年生まれのパオロだ。現役を引退したチェーザレは、フォッジャ、テルナーナ、パルマなどのクラブで監督を務め、その後はイタリア代表のテクニカルスタッフとして、82年W杯の優勝に貢献する。

 そんな父の背中を見ながら育ったパオロは、10歳になった時に父から「入団テストを受けるならミランとインテル、どっちがいい?」と尋ねられ、「ミラン」と答える。それ以来30年に渡って続くことになる、「ロッソネーロ一筋」のサッカー人生の始まりだった。

 ちなみに、子供時代のパオロは実はミラニスタでもインテリスタでもなく、ユベンティーノだった。きっかけは、78年W杯のイタリア代表に強い憧れを持ったこと。当時のアッズーリは大半がユベントスの選手で占められていた関係もあり、ごく自然にユーベを応援するようになったという。とはいえ、ミランの育成部門でプレーを続けるうちに、その心が「赤と黒」に染まっていったのもまた自然な流れだった。
 
 育成部門では、まずは右ウイング、その後に右SBを務める。その際立ったタレントに注目したリードホルム監督によって弱冠16歳で引き上げられたトップチームにはしかし、マウロ・タッソッティという偉大な右SBがすでに君臨していた。そのためパオロは左SBにコンバートされる。やがて「世界最高の左SB」と呼ばれるキャリアの始まりだった。

 まだ18歳だった85−86シーズンから主力に定着すると、アリーゴ・サッキ、ファビオ・カペッロという名将の下で、80年代末から90年代半ばにかけてセリエAを5回、CLを3回、トヨタカップを2回も勝ち取る黄金時代を主力として支える。

 右からタッソッティ、アレッサンドロ・コスタクルタ、フランコ・バレージ、マルディーニと並ぶ4バックは鉄壁の守りを誇ったうえ、タッソッティとマルディーニのオーバーラップによる攻撃参加は、あらゆる敵にとって大きな脅威となった。

 97年に引退したバレージからキャプテンマークを受け継ぎ、父に続いて親子2代でミランの主将となったパオロは、30代になると主戦場をCBに移し、ミランに新たな黄金時代をもたらすことになる。

 かつてチームメイトだったカルロ・アンチェロッティ監督の下、02−03シーズンには9年ぶりのCL優勝を主将として勝ち取った。その舞台となったのはマンチェスターのオールド・トラフォード。実に40年前に父が優勝カップを天に掲げたのと同じイングランドの地だったのは、単なる偶然ではなかったのかもしれない。

 パオロが主将を務める「アンチェロッティのミラン」は、その後も欧州トップレベルの競争力を保つ。CL決勝では、04−05シーズンに3-0から追いつかれPK戦の末に敗れる「イスタンブールの悲劇」を経験したが、同じリバプールが相手だった06−07シーズンには2-0で雪辱を果たす。38歳を迎えていたパオロは、膝の怪我を押してピッチに立ち、パートナーのアレッサンドロ・ネスタとともにリバプール攻撃陣を完封。自身にとって5度目、主将として2度目の欧州制覇を果たしたのだった。
 偉大な父親を正面から乗り越えることほど、息子にとって困難な偉業はない。パオロはそれを果たした、サッカーの歴史でも数少ない1人となった。

 10歳でミランの育成部門に入ったその日からパオロは、「あいつはマルディーニの息子だから」という色眼鏡で見られ、そのプレッシャーに耐えてきた。かつて筆者が本人にインタビューした時に語ってくれた言葉は、今でも忘れられない。

「小さい頃はマルディーニという名字が重荷だった。10歳の子供なんてただ楽しいからサッカーをしているだけなのに、みんなそれを忘れているんだ」

 そのパオロがアドリアーナ・フォッサ夫人との間に授かった2人の息子もまた、同じミランの育成部門で、父と同じように周囲の嫉妬深い視線に耐えながらボールを追いかけるという運命からは避けられなかった。

 長男のクリスティアンは1996年生まれ、次男ダニエルは5歳下の2001年生まれ。父と同じCBとして育ったクリスティアンは、プリマベーラ(U−19)を卒業後にミランとプロ契約を交わしたが、トップデビューは叶わなかった。その後はレッジャーナ、フォンディ、プロ・ピアチェンツァ、ファーノ、プロ・セスト(現所属先)と、セリエCやセリエDのクラブを転々としながら、プロとセミプロの境界線で慎ましいキャリアを送っている。
 
 偉大な祖父、それ以上に偉大な父の系譜に連なって、ミランというビッグクラブで自身のキャリアを築く可能性を手にしているのは、むしろ次男ダニエルのほうだ。

 ポジションは“マルディーニ家の伝統”からすると意外にも見える攻撃的MF。現代サッカーにおいては高いフィジカル能力と優れたテクニックを兼備していなければ務まらないポジションであり、その意味では祖父や父と比べても、持って生まれたクオリティーでは大きく引けを取らないと言えそうだ。

 ミランの育成部門では各年代でレギュラーを務め、16歳だった17−18シーズンはアッリエービ(U−17)で24試合・9得点を記録し、プリマベーラに昇格した18−19シーズンは23試合で8得点・1アシストというハイパフォーマンス。鋭い突破からのシュート、そして正確な直接FKなどを見せた。

 昨シーズンは24年までのプロ契約を交わし、プリマベーラの試合に出場しながらトップチームにも帯同し、20年2月2日のヴェローナ戦でアディショナルタイムに初出場。親子3代に渡るミランでのセリエAデビューを果たした。最終節では同じく途中交代ながら、約25分間のプレータイムが与えられた。

 01年以降に生まれたイタリア人プレーヤーで、すでにセリエAデビューを果たしているのは、エディ・サルセド(ヴェローナ)やセバスティアーノ・エスポージト(スパル)らほんの数人に過ぎない。その意味ではダニエルもまた、同年代ではトップグループを走るエリートの1人だと言えるだろう。
 ダニエルはフィジカル的な成長がやや遅かった関係もあり、17歳までは縁がなかった世代別のイタリア代表にも昨年から呼ばれはじめ、現在はU−19代表とU−20代表に名を連ねている。

 伸び続けている身長は180センチを超え、体格的には父と比べても見劣りしない。持久系のアスリートだった父と異なっているのは、速筋が発達しておりスプリントだけでなく初動のクイックネスも備えている部分。急激な加速で緩急をつけて一気に相手を抜き去るドリブル突破は、大きな武器のひとつだ。

 プリマベーラ監督としてダニエルを指揮したアレッサンドロ・ルーピは、その特長をこう語っている。

「テクニックに優れ、ピッチ上の状況を周囲よりも早く読み取る戦術眼も備えている。もうひとつの大きな長所は、プレッシャー耐性の強さだ。マルディーニ家の一員であるというストレスに、負けたことは一度もない。トップレベルでプレーするためのクオリティーは十分に持っている」
 背番号が98番から27番に昇格した今シーズンは、トップチームに帯同する本格的なプロキャリアの1年目。ただ、ミランでの序列は2列目の準レギュラークラス以下に甘んじる。プリマベーラ時代のプレー動画を見ても、周囲との連携よりも単独突破で状況を打開しようとする傾向が強く、このままのプレースタイルではトップレベルですぐに活躍するのは難しいように見える。

 同年代の中ではトップレベルでも、セリエAという舞台で自らのクオリティーを発揮できるかどうかはまったくの別物だ。そのプレースタイルとメンタリティーを確立することが当面の課題だろう。
 
 いずれにしても、まだプロキャリアをスタートしたばかりの19歳。セリエAで通用するタレントの持ち主であることに疑いはないが、プロフットボーラーとしてどこまで成長できるかは、これからの数年間に掛かっている。

 何よりもまず、「マルディーニ」という名字ゆえに圧し掛かる過大な期待やプレッシャーに押し潰されずに、本来のタレントを存分に発揮することを祈りたい。それさえできれば、悔いのないキャリアが送れるはずだ。
 
文●片野道郎
※『ワールドサッカーダイジェスト』2020年10月15日号より転載