バルセロナを取り巻く宇宙が、ジョアン・ラポルタを中心に回り続けている。歴史の表舞台に登場したのが、当時の会長、ジョゼップ・ルイス・ヌニェスに対し、「エレファント・ブラウ」というプラットフォームを結成し、不信任動議を突きつけた1998年だ。2003年に会長に就任し、ヌニェスの後を継いだジョアン・ガスパール政権下で瓦解していたバルサを再建。そして今度またジョゼップ・マリア・バルトロメウ前会長の下で無政府状態だったクラブを立て直すためにカンプ・ノウのパルコ(貴賓席)に舞い戻ってきた。

 2010年6月に会長を退任した後、政治の世界に身を置いたこともあったが、今回の選挙戦で圧勝し、改めてバルセロニスモを共感させる力を見せつけた。「根っこの部分は変わらない。だが自分を変えようと努めてきた」。周囲の人間はラポルタについてこう評する。

 間近でその変化を見守ってきた協力者も同調する。「2003年に会長に初めて就任した頃とは大きく変わった。過去を振り返らなくなった。人間的に成熟したんだ。未練がましいところもなくなった。以前は自らの行く手を阻む人間に対し、クビを突きつけたりすることもあったけどね。誰に対してもお互いを理解しようとコミュニケーションを図るようになった。18年という歳月の経過はもちろん無関係ではない」

「欠点はいろいろあるけど、ラポルタに一票を投じたよ」。第一次政権時の理事会の別のメンバーはそう打ち明ける。

 彼らが口を揃えるようにラポルタは過去に過ちを犯した。不正取引の嫌疑がかかったウズベキスタンとのビジネス、同僚の幹部の行動を監視させたスパイ騒動、後年レウスを消滅に追い込んだジョアン・オリベルのゼネラルマネージャの任命などはその代表例だ。また自らの退陣後に発足したサンドロ・ロセイ政権から粉飾決算を巡り、罪に問われたこともあった。

【画像】長男のチアゴ君とともに会長選の投票に訪れるメッシ
 ただソシオは、ラポルタのそういった負の側面を知りながらも、再度会長に選出した。背景にあるのは年月の経過だけではないだろう。ラポルタは過ちを犯しても、リカバリーするだけの迅速な判断力と旺盛な行動力を持っている。

 前回の会長選でも、デイビッド・ベッカム(マンチェスター・ユナイテッド)の獲得を公約に掲げるも、レアル・マドリーへの移籍が決定的になると、ロベルト・アジャラ、アルベルダ、パブロ・アイマール(いずれもバレンシア)にターゲットに変更。最終的にはそのプランBも断念し、ロナウジーニョ(パリSG)を新プロジェクトの目玉として迎え入れた。ユニセフとの間で結んだパートナーシップ契約が称賛されたが、それはまた大手の製薬会社、北京市政府との交渉が不調に終わったことによる妥協の産物でもあった。
 ラポルタは欠点が分かりやすい人間だ。しかしそれがまた彼の魅力になっておいて、選挙戦に向け念入りに準備を進めていたビクトル・フォントを破る要因にもなった。経験と勇気――。ラポルタは、この2つのワードを選挙戦のスローガンに用いた。サンティアゴ・ベルナベウ付近のビルに「またお会いする日を楽しみにしている」というメッセージを添えた巨大看板を立てて、ファンのライバル心をくすぶった。

 バルセロニスタ、カタルーニャの人々の間で悲観的観測が支配する中、ラポルタの自信溢れる言動は、活力と希望をもたらした。忘れてはならないのは前回在任時、ヌニェス、ガスパール、ロセイ、バルトロメウという近年の歴代会長とは異なり、任期満了まで会長職を全うしたこと。2008年に不信任投票を僅差で乗り切るという大きな危機にも直面したが、そこからのリカバリーの早さもまた行動派ラポルタのなせる業だった。

 選挙の当日、リオネル・メッシがソシオの一員として初めて投票に訪れた。ラポルタのカリスマが10番の心を動かしたという意見はあながち的外れではないだろう。そのメッシの去就、財政の再建、執行部の組閣、カンプ・ノウのリフォーム、その改修工事に伴うモンジュイック(バルセロナ五輪のメイン会場で、かつてのエスパニョールの本拠地)への一時的な移転案など課題は山積している。

 しかしそうした混迷期だからこそ、ソシオは理論を振りかざすよりも感情で訴えるリーダーを選んだ。カンプ・ノウが真っ暗な闇に包まれる中、ラポルタは太陽王として君臨することを期待されているのだ。

文●ラモン・ベサ(エル・パイス紙バルセロナ番)
翻訳●下村正幸

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙のコラム・記事を翻訳配信しています。