「来るか?」

 ドラガン・ストイコビッチ監督からの1本の連絡で日本人コーチの大チャレンジが始まった。

 3月3日、ストイコビッチ氏のセルビア代表監督就任に伴い、右腕としてコンディショニングコーチに就任したのは喜熨斗勝史。“ピクシー”とは名古屋でも共闘し、2010年のリーグ優勝に貢献した名コーチだ。

 そんな喜熨斗氏がヨーロッパのトップレベルで感じたすべてを明かす新連載「喜熨斗勝史の欧州戦記」が「サッカーダイジェストweb」でスタート。記念すべき第1回は、セルビア代表コーチ就任の舞台裏、ヨーロッパで必要となる“覚悟”について語ってくれた。
 
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 観客のいないマラカナ(セルビア代表のホームスタジアム)で聞いたセルビア国歌「正義の神」を一生忘れないだろう。ここから始まる戦いを前に、全身を包み込んでいたのは喜びや高揚じゃない感情。そう、ひと言で表すならば「覚悟」でした。3月25日、アイルランド代表戦。2022年のカタール・ワールドカップに向けた欧州予選の第1節で、私はセルビア代表のコーチングスタッフとして新しいチャレンジに踏み出しました。
 
 日本人では初のワールドカップ出場経験がある欧州国のコーチ就任。導いてくれたのは、名古屋や広州富力(中国)でともに戦ってきたストイコビッチ監督でした。20年1月に広州富力をともに退団。その後、私は日本に帰国しましたが、ミスター(ストイコビッチ監督)とは連絡を取り合っていました。

 そして今年2月末。セルビア代表監督就任が決定的となったミスターから「来るか?」と連絡があり、ふたつ返事で「行きます!」と快諾させてもらいました。やりたいからと言ってできる仕事じゃない。細かい条件なんかは聞かずに、3月6日には日本を発っていました。イスタンブール経由でベオグラード空港に降り立つと、待っていたのはなんとミスター。でも1年3か月ぶりの再会をゆっくり懐かしむ時間はありませんでした。

 欧州選手権出場を逃したセルビア代表の次なる照準は2大会連続となるワールドカップ出場。そこに向けた代表合宿は22日からスタート。セルビアサッカー協会が、日本でいうJヴィレッジのようなサッカー専用施設内にある一室を住居として用意してくれ、私はそこでまず代表候補選手の名前と顔、所属クラブやポジション、プレースタイルを把握する作業に取りかかりました。

 30人ほどのリストを作って、映像を見ながら頭に叩き込む日々。でも……、いざ会ってみると映像とは印象が違う選手もいて、最初は戸惑いました。もちろん、今は問題ないですけどね。あとは言葉や食べ物、文化、国歌の勉強も。国歌も歌えなければ、その意味も知らないのでは失礼になりますから。まだ流暢には歌えないけど、口ずさむくらいはできるように練習しました。
 ライセンスの問題もあり、与えられた役職は「コンディショニングコーチ」。キッチリとトレーニングをやりつつ、一方で選手を尊重し、押しつけるのではなく彼らの力を引き出そうとしました。欧州のトップクラブでプレーする面々に、押し付けは通用しません。

 クラブとは違うので時間をかけた補強とかフィジカルトレーニングはしませんが、ウォーミングアップやスケジュールコントロールなど基本的には日本や中国でやってきたことと同じです。ですがセルビア代表にとっては初めてのこと。個々に一流クラブでプレーし、私へのリスペクトも欠かさない選手ばかりでしたが、その異国の“味付け”が正解なのかどうかは結果でしか判断できない。正直、最初は不安でした。

 でもアイルランドに逆転勝ち(〇3−2)を収めてくれたことが大きかった。試合後、選手からは「良いと思っていたけど、やっぱり良かったね」との褒め言葉をもらいましたが、嬉しさよりもホッとした気持ちのほうが強かったですね。

 コーチ就任を快諾した時から背負うものの大きさは分かっていました。私を招聘してくれたミスターへの責任、セルビア代表として目の前の試合に勝利する責任、セルビアサッカー界全体への責任。そして自分の振る舞い次第では、後進の未来にも影響するかもしれない日本人としての責任感。それらが初戦に勝利したことで“この方向性で良いんだ”という自信へと変わり、それは中2日で待ち受ける大一番への後押しになりました。

 相手はポルトガル代表で、目の前には本気のクリスチアーノ・ロナウドやジョタ。いちサッカー人としては“おおっ”と思いましたが(笑)、どこの誰が相手でも、2点を先行される苦しい展開でも臆することはなかったです。いろんな意味で結果が世界中にニュース配信された一戦。それでも2―2で引き分けたのは名古屋時代からミスターが言い続けている「NEVER GIVE UP」の精神でしょう。そのフレーズはセルビア代表のミーティングでも口にしていて、それが選手に伝わっていたのだと思います。

 この試合への私個人のアプローチはアイルランド戦出場組の疲労回復と同戦に出場していない選手のコンディションをどう上げていくか、そして心と頭のリフレッシュ。心と頭が疲れているとフィジカルも付いてこないので、アイルランド戦後からポルトガル戦までの2日間でどれだけクリアにできるかに腐心しました。広州富力では監督代行の経験もあったので、ミスターに断ったうえで、試合を分析した映像を選手に見せてプレーの整理などをして臨みました。
 2試合を終えて1勝1分けの勝点4。次なる相手は、代表ウイーク最終のアゼルバイジャン代表戦です。そのポルトガル戦後、印象的だったのはミスターの「最後のひとつは難しい。アゼルバイジャンを格下と思うな。ここで負けたら、それまでの2試合の意味がなくなる」という言葉。チームの雰囲気がすごく良いうえに、日本以上に影響力があるカリスマの勝者のメンタリティ。より気を引き締めてアウェーの地に乗り込みました。

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※5月掲載予定の次回は、ヨーロッパにおいてアウェーの試合ではどんな苦労があるのか、セルビア代表コーチとして初めて敵地に乗り込んだアゼルバイジャン戦をもとに明かします。
 

PROFILE
喜熨斗勝史
きのし・かつひと/1964年10月6日生まれ、東京都出身。日本体育大卒業後に教員を経て、東京大学大学院に入学した勤勉化。プロキャリアはないが社会人チームでサッカー経験がある。東京都高体連の地区選抜のコーチや監督を歴任したのち、1995年にベルマーレ平塚でプロの指導者キャリアをスタート。その後は様々なクラブでコーチやフィジカルコーチを歴任し、2004年からは三浦知良とパーソナルトレーナー契約を結んだ。08年に名古屋のフィジカルコーチに就任。ストイコビッチ監督の右腕として10年にはクラブ初のリーグ優勝に貢献した。その後は“ピクシー”が広州富力(中国)の指揮官に就任した15年夏には、ヘッドコーチとして入閣するなど、計11年半ほどストイコビッチ監督を支え続けている。
指導歴
95年6月〜96年:平塚ユースフィジカルコーチ
97年〜99年:平塚フィジカルコーチ
99年〜02年:C大阪フィジカルコーチ
02年:浦和フィジカルコーチ
03年:大宮フィジカルコーチ
04年:尚美学園大ヘッドコーチ/東京YMCA社会体育保育専門学校監督/三浦知良パーソナルコーチ
05年:横浜FCコーチ
06年〜08年:横浜FCフィジカルコーチ(チーフフィジカルディレクター)
08年〜14年:名古屋フィジカルコーチ
14年〜15年8月:名古屋コーチ
15年8月〜:広州富力トップチームコーチ兼ユースアカデミーテクニカルディレクター
19年11月〜12月:広州富力トップチーム監督代行
21年3月〜: セルビア代表コンディショニングコーチ