東京五輪で悲願の金メダル獲得を目指すU−24日本代表。全世界注目の戦いに挑む彼らは、この大舞台に辿り着くまでどんなキャリアを歩んできたのか。

 ここでピックアップする久保建英は13歳の時にクラブのある違反行為によりFCバルセロナ(下部組織に在籍)を退団し、失意の帰国を余儀なくされた。しかし、その後に在籍したFC東京では最高の仲間にも恵まれ──。非常に濃密で、掛け替えのない4年間を過ごすことになる。

 前編に続く後編をお届けしよう。

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 話は前後するが、16年11月の長野戦でJリーグデビュー(久保はJリーグ最年少出場記録を15歳5か月1日に更新)させたのは「話題作りが目的だったわけではない」と、当時FC東京U−18の監督だった佐藤一樹は明言している。

「私はFC東京U−23のコーチも兼任していたので、(同U−23監督の)安間(貴義)さんやクラブと情報を共有しながら、建英の成長速度なんかを見ていました。いろいろな前提条件をクリアした結果、あの試合で起用しようとなっただけです」

 話題先行ではなく、その実力に見合ったステージを用意する。佐藤が久保を高みに導くうえで意識したのはそんなスタンスだろう。

「ユースの練習でどれだけ判断を早くしろとか、プレーの強度を上げろとか言っても限界はあります。より高いレベルでプレーして、そこでの感覚を身体に沁み込ませることで伸びていく部分はあります。フィジカル的な能力が高まってきたタイミングで建英をトップチームに(2種登録として)合流させたのも、そうした狙いがあったからです。上昇志向が強い彼は常に刺激を求めていましたから、ユース年代のうちからトップチームで試合をできたのは良い経験になったと思います」

 ユース年代の大会で目に見える結果を残した久保は、17年5月3日の北海道コンサドーレ札幌とのルヴァンカップでトップチーム・デビューを飾ると、同年11月1日にFC東京とプロ契約。FC東京U−15むさし時代のコーチだった京増雅仁が「建英の特徴のひとつはパスもシュートも含むキック。最終局面での決定力という点でチームに貢献していました」と証言するように、飛び級で実戦経験を積んだ久保は高校2年生にしてオフェンス面に限ればトップチームで通用するレベルにあった。卓越した攻撃センスについては、佐藤も次のように説明する。

「意図したところにボールをコントロールしたり、蹴ったり、運べたり、技術的なベースはしっかりしていました。そのうえ、2手、3手先を考えてプレーできる能力も備えていた。目の前の相手をどうかわすかではなく、その先、どうしたらゴールに繋がるかを考えていましたね」
 
 しかし、プロとして初めて臨んだ18年シーズン前半はFC東京のトップチームで苦しむ。スタメンの座を掴むどころか、ベンチ入りの機会も徐々に減っていった。そんな久保を見た京増の印象はこうだった。

「課題が出た感じ。守備やハードワークの部分がJ1のレベルには達していませんでした」

 実際、FC東京を率いる長谷川健太監督も「J1で戦うにはまだ足りないところがあった」とコメント。ひとつの壁みたいなものにぶち当たった久保は、そんな現状を打破しようと「新たなチャレンジをしたい」とクラブに直訴。こうして18年8月、横浜F・マリノスへの期限付き移籍を決断した。

 その新天地で自身のJ1初ゴール(24節のヴィッセル神戸戦)を決めたけれども、最終的にはリーグ戦で5試合の出場に留まる。それでもチャレンジの意味は大きかったと佐藤は振り返る。

「FC東京のトップチームではもちろんマリノスに行って、よりチームでタスクをこなす重要性について考えたと思います。どちらかと言うと自由を与えたユース時代とは違う環境でプレーした時に『なぜ上手くいかないのか』、そういう課題と向き合えた移籍だったと推察します。いろんな規律があるなかで持ち味を出すだけでなく、自分の不得手な部分も意識しながらやっていくというプロのベースを学べたのではないでしょうか。J1ともなると、一人ひとりの役割の重みが相当なものです。そことも向き合えたというか、マリノスでの半年間で精神的にも逞しくなった印象があります」
 
 佐藤曰く「勝気なスタンスが建英を突き動かすエネルギーになっている」。この点については京増も触れていたが、プロサッカー選手を目指すうえで“負けず嫌い”は重要なファクターになるかもしれない。

「意思が強いからこそ自分を高め続けることができるし、逆境にもめげず、苦難を乗り越える強さも建英は備えていると思います」(京増)

 実際、翌19年シーズン、横浜からFC東京に復帰した久保は痛快なパフォーマンスを披露。巧みなドリブルやパスでチャンスを演出すれば、自ら決定機に絡んでゴールを奪う。文字通り“覚醒”した久保はFC東京を大躍進させる原動力となった。その活躍を佐藤と京増はそれぞれこう回顧してくれた。

「マリノスでの経験などプロセスを経てしっかりと力を出せるようになりました。J1のスピードや強度、戦術的な要素とか、そういうものに慣れてきた印象がすごくありました。そこにクオリティやインテリジェンスも乗っかってきた。あの頃の建英は観ていて面白かったです」(佐藤)

「前のシーズンを受けて、守備力、運動量、身体の強さをだいぶ身に付けた感じで相当な努力をしたんだろうなと。攻撃面はあれぐらいやれる能力はありましたから、そこに以前はなかったものが加わってスケールアップしましたよね」(京増)

 久保の恐るべき能力のひとつがおそらく修正力だろう。失敗しても、その原因を突き止めてクリアにしていく。振り返れば、FC東京U−18加入当初はフィジカル面などで分が少し悪かったにもかかわらず、1週間も経たないうちにそうした弱点が目立たないよう、プレーに工夫を凝らしていた。18年シーズンの経験を糧に見事な成長を遂げ、19年シーズンにJ1リーグで“ここに久保あり”を強烈にアピールできたのも、その修正力があってこそではないか。

 そんな久保は冒頭に触れた壮行セレモニーでこう締めくくっている。

「東京に来てから3年半、4年ぐらいですが、非常に濃い時間だったと思いますし、苦渋ではありますが、自分の決断に誇りを持ちたい。東京での時間を一生忘れません。本当にありがとうございました」

 濃い時間──。より具体的に言えば、FC東京で掛け替えのない時間を過ごせたということだろう。そこに少なからず関与した佐藤は、スペインにリターン後の教え子について「思い描いていたキャリアとは少し違うかもしれない」と言いつつ、続けて愛情いっぱいのエールを送る。

「その現状を本人がポジティブに捉えている部分もあるはずで、だからこそ代表戦では躍動感溢れるパフォーマンスを披露できるのでしょう。サッカーを知らない人にも『面白い』と思わせるプレーを表現できるのが、建英の魅力。そのプレーがより勝利に結びつくといいですが、まだまだ成長過程というか、十二分の伸びしろがあります。そういう自覚があるだろうし、無限の可能性を秘めた選手です」<文中敬称略>/了

取材・文●白鳥和洋(本誌編集長)

※サッカーダイジェスト2021年7月22日号から転載。

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