今夏の移籍市場は、リオネル・メッシとクリスチアーノ・ロナウドという2大スターが、それぞれパリ・サンジェルマンとマンチェスター・ユナイテッドに新天地を求めるなど、小さくない動きがあった。とりわけ、バルセロナのシンボルだったメッシの電撃退団は世界に衝撃を与えた。

 なぜ、メッシはバルサを退団しなければならなかったのか。そして、最大のスターを失ったラ・リーガの未来は?

 スポーツマネジメントのMBA(経営学修士号)を取得できるレアル・マドリーの大学院に日本人として初めて合格し、卒業後はフロントスタッフとして、世界屈指のメガクラブで働いた経験を持つ酒井浩之氏に、リーガ特有の裏事情を明かしてもらった。

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 バルセロナの至宝だったアルゼンチン代表FWリオメル・メッシのパリ・サンジェルマン移籍は、あまりに突然のことで、ファンはもちろん業界関係者にも衝撃を与えました。改めて、何が起こっていたのかを整理してみたいと思います。

 今回、退団の原因となったのが、欧州リーグでラ・リーガのみが採用している「サラリーキャップ制度」です。これはラ・リーガのハビエル・テバス会長が2013年の会長就任後、最初のタスクとして与えられたクラブの債務削減を目的とした大改革の一つで、アメリカのNBAやMLSを参考に導入されたと言われています。

 サラリーキャップは各チームが保有する個々の選手の契約額、および全選手の契約年俸の総額を毎年一定の上限を設けて規定する制度であるため、支払いが不可能になりかねない非現実的な金額での契約を回避することができます。

 そして長期に渡った分割払いでの契約を制限することで、当時リーグとして問題であったクラブの赤字経営を立て直すべく、スペイン政府スポーツ上級委員会(CSD)とスペイン・プロリーグ機構(LFP)が「ラ・リーガ参加クラブが選手に支払う給与合計は、収入の70%以下でなければならない」というルールを導入したのです。

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 今回、メッシが退団する原因となった要素は、実はもう一つありました。それは、カンテラ(下部組織)育ちの選手の人件費に関するリーガ特有の経費計上方法です。

 カンテラ育ちの選手がそのままトップチームに昇格した場合、その選手の給与はリーガでは無形固定資産として貸借対照表に計上することが許されており、人件費として計上されていないケースが少なくありません。

 スポーツクラブの場合、選手の人件費(コスト)が通常の会社組織に比べてどうしても多くなってしまい、予算を圧迫してしまう状況が目立ちます。さらに、サラリーキャップ制があるわけですから、人件費をいかに小さく見せるかは重要です。そのため、カンテラ上がりの選手の給与は人件費に計上せず、いわば“隠れ資産”のようになっているのです。

 ただ、一度契約が切れて再契約するとなると、その瞬間に隠せない(表に出さざるを得ない)数字となり、人件費の部分に上乗せされてしまうのです。周知のとおり、メッシはまさにそのカンテラ出身の選手で、長年に渡って表向きは人件費に計上されていなかったといえます。今回は短い時間では有りましたが、一度契約切れてしまいました。再契約するとなると改めて人件費に計上しなければなりませんから、その年間7000万ユーロ(約90億円)近いとされる年俸が表面化してしまったということになります。
 
 レアル・マドリーの大学院の授業で、チーム運営の会計の講義で一番肝になる題材として取り上げられたのがこの部分でした。当然、チームの運営サイドの考えは、帳簿上は人件費に計上したくない。ただ、本当の人件費を算出することでチームの状態を把握しておかなければ、この隠れた人件費が年々膨張し、気がつけば時限爆弾のような状態になってしまう。スペインでは、そういう問題が現実に起こっていたのです。

 ちなみに、マドリーが債務超過状態にあった2000年初頭、フロレンティーノ・ペレス会長がこの債務超過状態を精算すべく、就任後に一番はじめにこの部分に目をつけてクラブの財政状況にメスを入れたとされています。

 毎年ひとりずつスーパースターを獲得すると掲げたマニフェストも長くは続かず2006年に一度退任し、2度目の会長に就任したのが2009年。それ以降の補強を見てみると、12年間で5000万ユーロ(約65億円)以上のコストをかけて獲得している選手はC・ロナウド、カカ、ガレス・ベイル、ハメス・ロドリゲス、エデル・ミリトン、ルカ・ヨビッチ、エデン・アザールの7人しかいません。

 放出・売却した選手と比較すると、実はそこまで大きな身銭を切って選手を獲得していないのがわかります。前述の様なスペイン特有の状況を考えると、「獲得していない」のではなく、「獲得できない」という言葉が正しいのかもしれません。
 
 話をバルセロナに戻しましょう。メッシが退団に至ったのは、クラブの収入に対して人件費を70%に抑えなければならないというルールに抵触したというのが発端となっていますが、ではなぜ今回のタイミングでこの話が浮上したのかというのも鍵になります。

 バルセロナの公式ホームページ上でも、今年の6月上旬の段階でこのサラリーキャップ制度に引っ掛かっており、新戦力の登録が簡単ではない可能性があるとしていることからすると、早い段階でこの問題に気がついていたのは間違いない。そもそも昨夏にも、リヨンのメンフィス・デパイの移籍を巡って個人合意はしていましたが、サラリーキャップの問題があり契約に至りませんでした。

 ジョゼップ・マリア・バルトメウ前会長の残した負の資産というのが大部分になりますが、そこにコロナウイルスによる経済ショックが重なったことが決定打になったのは否めません。チケット代でだけで、日本円にして約200億円近く年間の収入がダウンしてしまったのです。

 仮に総収入が1000億円だった場合、サラリーキャップ制で人件費は70%の700億円以下に抑えなければいけないことになります。しかし、チケット代の200億円のマイナスで、総収入が800億円になると、560億円以下にしなければいけない計算になります。つまり、単純計算で1000億円の56%前後に抑えなければならないということになってしまいます。

 このことは取締役会が行なわれた昨年の10月の段階で表面化はしておりましたが、2021年の早い段階で無観客の制限は解除される見込みと報告されていたことから、なんとかなると踏んでいたのでしょう。

 そこにコパ・アメリカによるチーム活動からの離脱から、契約に至る合意が遅れたということで、メッシが一時的にフリーの状態になってしまいました。マテウス・フェルナンデスの契約解除の手法でも問題になっていましたが、半ば無理矢理選手の契約を打ち切るなどしてもがいたものの、“時すでに遅し”ということだったのでしょう。
 
 昨夏も功労者であったルイス・スアレスを   ライバルのアトレティコ・マドリーにタダで放出したバルサは、今回もメッシを移籍金なしで放出することになりました。やはり“取れるところは取る“というスタンスを持たないと、退団してしまったが、置いていくもの(移籍金)は置いていった、という最低限の納得感すら残らないことになります。

 感情的な部分と冷酷な部分が交差するフットボールビジネスの難しい部分ではありますが、クラブ側にしてみれば、1000億円を超える価値があると言われていた選手が、ある日突然に0円になってしまうような現実は、なんとも受け入れがたいのではないでしょうか。
 
 そして同時に、ある種青天井とも言える状態でトップ選手を高額な移籍金&サラリーで獲得し続けている他国のクラブがあるなか、サラリーキャップ制のような選手獲得に制限が多いスペイン勢のチャンピオンズ・リーグ制覇はしばらく訪れないかもしれません。

リーグ運営と言う視点では非常に良い結果をもたらしつつあるものの、ヨーロッパの舞台おいては、競争力がなくなりつつあり、このままなら今後の展望も厳しいものになると言えるのではないでしょうか。

文●酒井浩之