[サッカーキング No.004(2019年7月号)掲載]


ジョゼップ・グアルディオラが最高の監督の一人であることは論をまたない。

創造的な戦術、細部まで妥協しない指導、思慮深い言葉……。

独特の世界観を持つ、この名監督を形成したものは何だろうか?

彼と旧知の仲にあるジャーナリストが、ペップの本質について綴った。


文=ギジェム・バラゲ

翻訳=工藤 拓

写真=ゲッティ イメージズ


 カタルーニャ人の気質を象徴するような、鋭く尖ったモンセラットの山並み。そのふもとに位置するサントペドルは、小さく慎ましい村だ。「眠気を誘う」と表現する人さえいる。


 騒がしく、しかしセンスにあふれた国際都市バルセロナから車で1時間。このサントペドルの村で、ジョゼップ・グアルディオラ・サラは母ドロルス・サラ、父バレンティ・グアルディオラの長男として生を受けた。1971年1月18日のことだ。


 姉が2人、弟が1人という4人兄弟で、父はレンガ積み職人、母は主婦だった。労働者階級だった家庭は決して裕福ではなかったが、ペップは家族を何よりも重んじ、誇りを持った両親に育てられた。


 そんな慎ましい出自から、彼はバルセロナでヨハン・クライフ(グアルディオラにとっては師であり、友人でもあった)が作り上げた“ドリームチーム”に欠かせないピースとなり、のちにフットボール史上最も輝かしい成功を収める監督になった。


 人は誰であれ、それぞれの出自から人格が形成されるものだ。文筆家であり、映画監督でもあるダビ・トルエバは、親しい友人であるグアルディオラについて次のように語っている。


「誰も彼がレンガ積み職人の息子であるという事実に注目しようとしない。でもペップにとって父親は、誠実さとハードワークの模範なんだ。サントペドルでともに暮らした家族は、彼に昔ながらの価値観を教え込んだ。それは彼の両親がお金もなく、子供たちに残せる財産も持たなかった時代に形成されたものだ」


 その価値観を、トルエバはカタルーニャの伝統的な靴にたとえている。


「グアルディオラのことを考えるときは、彼がまとうエレガントなスーツ、カシミアのセーターやネクタイの内側にいる人間が、レンガ職人の息子であることを心に留めておく必要がある。イタリア製の高級革靴の中にあるのは、麻と紐で作られたアルパルガータ(綿や麻でできた素朴なサンダル風の靴)なんだ」


 グアルディオラの価値観が家族のもとで形成されたとするなら、人生の基盤を作ったのはラ・マシアだった。バルサのアカデミーを指すこの言葉は、もともとは本拠地カンプ・ノウの隣にあったアカデミーの選手寮の名前だ。クライフのアイデアで創設され、2011年にその役割を終えるまでアカデミーの拠点となってきた古い建物で、グアルディオラは1984年から1990年まで、他の選手たちと共同生活を送った。


「ラ・マシアでは人生最高の歳月を過ごした」と本人は言う。「バルサのトップチームでプレーするという、シンプルだが決して譲れない夢に向かってすべてを注ぐ日々だった」


 トレーニングに励む日々は、同時に天才クライフの極めて批判的な眼差しにさらされた時間でもあった。グアルディオラはここで、美しくプレーすることに対する異常なまでのこだわりを育んだ。


 以前、グアルディオラが話してくれたことがある。


「ラ・マシア時代の話を求められるとき、しばしばこの例を挙げることがある。私は毎晩ベッドに入る際、自分に問いかけていたんだ。今から寝る代わりに起きて、ボールを手にして、プレーすることができるかと。もしノーと答える日が来たら、それは他にやるべき何かを探すときだと考えていた」


 フットボールに対するとてつもない執着心。彼はそれを、サントペドルの市場近くの広場で初めてボールを蹴ったときから持ち続けてきた。


 人生は教えてくれる。物事を他人よりうまくこなせる者は、結局のところ、他人の何倍も努力している人間なのだ。それはグアルディオラも例外ではない。


 以前、バルサ時代のエイドゥル・グジョンセンから聞いたエピソードがある。プレー機会が少なかったグジョンセンは、自分に何を求めているのか、監督に聞きに行った。グアルディオラは一言、「君の命だ」と答えたという。


 グアルディオラ自身、血と汗と涙にまみれ、いくつものチームや国、大陸を渡り歩いてきた。そんなキャリアを送るなかで、唯一変わらなかったものは家族、とりわけ妻クリスティーナ・セッラだった。グアルディオラは18歳のときに彼女と知り合い、のちに3人の子供を授かっている。


 先日、幸運にもグアルディオラを取材する機会を得た。BBCの仕事で、マンチェスターでの生活について聞くインタビューだった。彼はお気に入りの音楽をかけながら、自分にとって家族がいかに大切かを話してくれた。


「安心できるのは家の中だけだ。誰にも観察されていないという意味でね。家に入り、ドアを閉めて初めて安心を感じることができる。この職業には18、19歳の頃から向き合っている。もう長年こんな生活を送っているから問題はない。ちゃんと理解している。でも逃げ場所は家にしかない。自宅と、妻と、子供たち。自分のやりたいことができて、馬鹿げたこと、くだらないことをやっても許される唯一の居場所なんだ」


 グアルディオラは四六時中、新しいシステムや対戦相手の弱点について考えているような男だ。フットボールに対する執着心が普通ではないことは、家族もよく知っているという。


「妻のクリスティーナ、愛しい子供たち。彼らはいつもそこにいてくれる。でも私は、自宅にいながらその場にいないときがある。家族はそんな私を知っているよ。私の仕事は本当に多くのことを要求されるからね。クリスティーナは驚くべき母親だというだけでなく、驚くべき女性だ。ニューヨークやミュンヘン、そしてマンチェスターへの移住を相談したとき、もし彼女が行かないと言っていたら、私も行くことはなかっただろう」


 グアルディオラはしばしば、身近な人々に罪の意識や、自責の念を抱いてしまうという。私が覚えているのは、彼の自伝を執筆するにあたって(注:日本語版は『知られざるペップ・グアルディオラ』2014年・朝日新聞出版)、必要な情報をインタビューしていたときのことだ。娘の学校の演奏会があったことを突然思い出し、グアルディオラは恐怖でパニックになっていた。そのとき彼は、次の試合で対戦するヘタフェの映像を見ていた。うっかり忘れていたと言う以外に弁明のしようがなかった。


 ただし最近では、仕事に対する過度にストイックな姿勢も少しずつ和らぎ、よりバランスの取れた生活を送れるようになってきたようだ。


 監督業を始めたばかりの頃は、対戦相手がどこであれ、常に同じルーティンをこなして次の試合への準備を行っていた。相手チームの弱点を洗い出すために、グアルディオラは試合の3日前から何時間も費やして映像を見続けていた。


 今では対戦相手の分析に費やす時間も減り、代表ウィークによるリーグ戦の中断期間は、家族と過ごす時間に決めている。


 それだけではない。音楽や演劇を楽しみ、ゴルフにも熱を上げている。ゴルフが好きな理由を聞くと、いかにも彼らしい答えが返ってきた。


「ゴルフを愛する理由はいくつもある。自然環境の中でプレーできること。レフェリーがいないこともそう。ルールは誰に対しても平等だ」


 それに比べてフットボールは、レフェリーの判定に受ける影響が大きすぎる、と彼は言う。「判定が有利であれ、不利であれ、影響されることに変わりはない。不平等だと言いたいわけじゃないよ。でもゴルフでは同じ時間に、同じ場所でスタートして、少ない打数でカップインした者が優勝できる。ルールの前ではチームの規模も関係ない。有名な監督がいてもいなくても、メディアの圧力があってもなくても関係ない」


 グアルディオラは裕福だが、見るからに金持ちという印象はない。現役時代からデザイナーズブランドの洋服に身を包み、上質なワインと食事を愛していた。カタルーニャ人シェフがマンチェスターにオープンしたレストラン「タスト」の経営者も務めている。共同経営者はマンチェスター・シティのCEOであるフェラン・ソリアーノ、フットボールダイレクターのチキ・ベギリスタインだ。


 マンチェスターでプレーする選手は、郊外の田園風景が美しい高級住宅地、チェシャーに住むことが多い。しかしグアルディオラはそんな伝統に反し、市の中心部サルフォードの、アーウェル川を見渡せるマンションに家族とともに暮らしている。マンチェスターの活気に満ちたコミュニティの仲間として暮らしたいと考えているのだ。グアルディオラの都会的なライフスタイルを見て、今ではバーやレストラン、カフェ、劇場に囲まれた生活を好む選手も増えてきたという。


 グアルディオラは新しい生活の拠点となった、イングランド北西の都市に対する愛情を隠そうとしない。2017年5月、マンチェスター・アリーナで起きた自爆テロ事件(歌手アリアナ・グランデのコンサート会場で爆発があり、22人が死亡、139人が負傷した)を経て、その思いはさらに強まることになった。


 なぜならその夜、グアルディオラの妻と2人の娘が現場にいたからだ。


「事件が起きたとき、私は息子と自宅にいたが、妻と娘たちはアリーナにいた。妻が電話をかけてきたんだが、すぐに回線が途切れてしまった。『何かが起きているみたい。今走っているんだけど、何が起きたのか分からない』。彼女がそう言ったところで通話が途切れた。電話をかけ直してもつながらなくて、私はアリーナに向かった」


 その途中で電話がつながり、「外に出られた。家に戻っている」という妻の声を聞くことができたという。


「結局のところ、我々は運が良かった。人生とはそういうものだ。彼女たちは他の多くの被害者よりも、たまたま恵まれた位置にいただけなんだ」


 この経験は彼の人生に深い影響を与えた。


「私は残りの人生を通してマンキュニアン(マンチェスター人)になる。もちろんマンチェスター・シティのファンだ。だから、もうイングランドで他のクラブを指揮することはできない。これだけ人々の愛情を感じてしまったのだからね」


 彼はもともとカタルーニャ人であることを誇りとする愛国心の持ち主だ。求められればいつでもカタルーニャのために立ち上がる意思があることを示してきた。


 ジョルディ・サンチェス、ジョルディ・クイシャルといったカタルーニャ独立推進派の政治家たちが、政治犯として投獄されたときは、黄色いリボンを身につけて彼らの釈放を求める運動への支持を表明した。


 あの黄色いリボンは政治犯とされた指導者たちへの連帯意識だけでなく、彼の人間性を形成し、その後の運命を切り拓くうえで指針となった価値観を示していたように思える。そう、それは幼少期にサントペドルで、そしてラ・マシアにおける厳しい競争のなかで培われた正義感であり、フェアプレーの精神であり、今も心の奥底で燃え続けているカタルーニャの精神のように思える。


 グアルディオラの人間性を誰よりもうまく表現しているのは、彼の最大の支持者であるシャビの言葉だろう。


「人の知性は、置かれた状況や環境に対する適応の仕方に見て取れる。その点、ペップは本当に賢い男だ。彼はあらゆる地域の、あらゆるフットボールに適応できるだろう。彼は完璧主義者だ。求める正解が得られるまで、どこまでも前進し続ける。その過程ではどんな努力もいとわないんだ。もしペップがミュージシャンになると決心したなら、素晴らしいミュージシャンになるだろう。もし心理学者になりたいと願ったなら、素晴らしい心理学者になるだろう」


 一方、元バルサのダニエウ・アウヴェスは、シャビよりもずっとシンプルにグアルディオラを言い表している。


「もしペップにカンプ・ノウの2階席から飛び降りろと言われたら、僕はこう考えるだろう。『下にはきっと何かいい物があるはずだ』って」


※この記事はサッカーキング No.004(2019年7月号)に掲載された記事を再編集したものです。