DAZNと18のスポーツメディアで取り組む「DAZN Jリーグ推進委員会」が、その活動の一環としてメディア連動企画を実施。Jリーグ再開に向けて、「THIS IS MY CLUB -FOR RESTART WITH LOVE- Supported by DAZN Jリーグ推進委員会」を立ち上げた。サッカーキングでは、で在籍最年長となる選手に“クラブ愛”について語ってもらった。


インタビュー・文=細江克弥

写真=ジェフユナイテッド千葉


 誰が呼んだか「姉崎のマラドーナ」は、軽快なステップと独特のリズムによるパスワーク、さらには“見えているところ”とそれを生かす精度の違いで、35歳になった今でも時々チームメイトを驚かせる。


 昨シーズン限りで佐藤勇人が引退したことによって、気付けば自身の立ち位置がガラリと変わった。“最年長”は佐藤兄弟の弟・寿人だが、「在籍期間最長選手」は通算9年半の工藤浩平だ。小学校5年時に加入したスクール時代から考えれば、確かにジェフユナイテッド千葉に関わる時間は誰よりも長く、思い入れも強い。


 ただ、あまり多くを語るタイプじゃない。現在はフロントの一員となった佐藤勇人は少しニヤけてこう言った。


「浩平、ちゃんとしゃべりました?」


 だから「工藤浩平とジェフ千葉」について、いろいろな角度から聞いてみた。すると彼の口から出てきた言葉は、佐藤勇人の心配をよそにはっきりとした“ジェフ愛”に満ちていた。


 35歳にして、もしかしたら初めて見られるかもしれない“持っている工藤浩平”は、今シーズンのジェフ千葉における絶対的なキーマンだ。


――工藤選手、実はジェフにおける「在籍期間最長選手」だそうです。


工藤 いや、正直、驚きました(笑)。確かにアカデミー時代から考えればかなり長いですけれど(編集部注:小学5年生から在籍)、僕の場合、プロになってからは“外”にいた期間もかなり長いので。このインタビューのことを聞いた時も「え? 俺?」という感じでした。ジェフに対する思い入れは強いけれど、「いない期間が長かった」という気持ちのほうがさらに強くて。


――そりゃそうですよね。ジェフの戻ってきたのは2018年の夏。7年半のブランクがありました。


工藤 長いですよね。“いなかった期間”が。だからちょっと、「最長」と言われると不思議な感覚はあるんですけど。


――でも、そう考えるとジェフに戻ってくるという決断は簡単じゃなかったのでは? 34歳になる年だったし、きっと、「古巣に戻って引退に向かう」という見方をする人もいましたよね。


工藤 間違いなく、そういう見方をする人はいたと思います。年齢を考えれば仕方がない。でも、まあ……。やっぱり、小学生の頃からジェフのエンブレムを身につけてサッカーをしてきて、ジェフに対する感謝もあったし、“生え抜き”という意識も自分の中にはずっとあって。ジェフで初めてJ1のピッチに立たせてもらったし、ナビスコカップ(現JリーグYBCルヴァンカップ)を2度も取って、J2降格も味わって。そういう状況で外に出てしまったけれど、なんて言うんだろう……。そもそも、出ていく時は「戻ってくることは2度とないだろうな」と思っていたんです。


――どうして?


工藤 オファーがある可能性が、ゼロに近いと思っていたので。もちろん、ジェフのことはずっと気になっていました。地元(市原市)に帰れば意識しなくてもジェフの雰囲気を感じますから。ジェフの選手や昔の仲間に会えば「戻って来いよ」と言われるし、「戻りたいですよ」なんて半分冗談で返すけれど、現実的にオファーが来ることはないと思っていたんです。


――あの……昔話を掘り下げるのもアレですけれど、そもそもどうして移籍したんですか?


工藤 移籍する数年前から、オファーはちょこちょこもらっていたんです。でも、それを断って、自分としてはJ2に落ちてもジェフで頑張ろうと思っていました。で、J2で1年戦って、上がれなくて、そのタイミングでクラブから受けた評価が、ちょっと、どうしても、うーんという感じで……。


――納得できなかった?


工藤 はい。だったら、ここを出て、違うところでチャレンジしてみようと。その時に初めて。それまでは、「ずっとジェフでやるんだろうな」と思っていましたから。


――でも、実際のところ、当時はそういうこともありましたよね。うまくいっていない感じ。ただ、“生え抜き”である工藤選手の移籍は、サポーターの皆さんにとってもかなり複雑な気持ちだったのではないかと。


工藤 それが分かっていたから、難しかったですね。移籍することを決めてからも、街で会ったサポーターさんに「来年も頑張ってください」と言われて、心が痛くて。どう思われても仕方ないけれど、そこで舞台裏の話をするわけにもいかないですから。でも、やっぱり、あの時クラブから受けた評価に対して、自分自身がめちゃくちゃ悔しかったんだと思います。小学生の頃からお世話になってきたコーチに挨拶しに行った時も、多分、俺、泣いちゃってますから。


――多分(笑)。


工藤 はい、多分(笑)。



――ところで急に話を変えますけれど、どうしても聞きたいことがあって。


工藤 はい。


――「奇跡の残留」の年。2008年。ゴールデンウィークの最後にやった浦和レッズ戦、覚えてませんか?


工藤 レッズ戦……。ああ、はい。確かアウェイですよね?


――そう。あの試合、僕がこれまでジェフを見てきた13年の中で、圧倒的に一番悔しかった試合なんです。で、当時の取材ノートを見たらそれを思い出しちゃって。あの試合、普段は感情を全く表に出さない工藤選手も、めちゃくちゃ悔しそうだったことを思い出しました。


工藤 覚えていますよ。


――結果は0−3の完敗。その上、最後の10分ぐらいはずっとフラフラとボールを回されて……。自分は見ているだけなのに、それがすごく屈辱的で。


工藤 うん。めちゃくちゃ覚えてます。めちゃくちゃ悔しかったですね。確か、試合後に坂本(將貴)さんと間瀬(秀一/当時コーチ)さんと一緒に、「こんなに悔しい試合はない」って、本気で怒りながらそう話していたんですよ。そんなこともありました。


――あの頃って、どんなことを考えてました? そういう試合があったり、奇跡の残留があったり、J2降格があったり。つまり、メンタル的にはかなり忙しかったと思うんです。


工藤 バタバタしたし、苦しかったし、難しかったですよね。あの頃の自分はちゃんとスタメンで試合に出るようになって、7番をもらって、10番をもらって、そういうタイプじゃないのに「自分がやらなきゃ!」と思うようになって。それがキツかったかもしれません。今ぐらいの年齢になると、アカデミーの子にアドバイスしなきゃいけないこともあるじゃないですか。例えば、「調子が良くない時の気持ちの作り方」とか。そういう時は、あの頃の話をするんです。「自分らしくないことで頑張り過ぎてしまった」と。


――そう考えると、移籍という決断は決してネガティブなものじゃなかった。


工藤 京都、広島、松本と、行った先々で自分に合うサッカーを経験させてもらったし、本当にのびのびとプレーさせてもらいました。今になって振り返ると、毎年毎年、いろいろな吸収があって、だからずっと「成長したい」という気持ちが途切れなかった。いろいろな土地で、いろいろな人に出会ったり、いろいろな監督の下でサッカーして、それを少しずつ吸収して成長することができたという実感がある。だから、「あの時、ジェフを離れて良かった」とも思います。


――分かります。でも、僕自身は、「ジェフを離れるならちゃんと日本代表になってよ」と思っていました。


工藤 ありがとうございます(笑)。


――ところで、水内猛さんのYouTubeチャンネルって見たことあります?


工藤 ああ、ありますよ。


――中島浩司さんの回は?


工藤 それはまだです。


――ベストイレブンに工藤選手の名前があって、それがうれしくて。やっぱり、工藤選手のことを「天才的」と言っていました。そういう人って、実は結構いるじゃないですか。


工藤 いや、まれに、本当にちょこっといるくらいかなと。決して全国的じゃないです(笑)。


――いや、でも、僕もそう思う一人で。でも、もしそうだとしたら、“天才”工藤浩平にとっての壁はなんだったんだろうと考えるんです。


工藤 深い話ですね。うーん……。でもやっぱり、自分で思うのは、結局、ツメが甘いんだろうなって。「ここで勝てば」とか「ここで点を取れば」とか、そういう時に結果を残せなかった。運を引き寄せられなくて、惜しいところで終わってしまった。曖昧な表現になっちゃいますけど、つまり“持ってない”というか。


――実は、さっき話した取材ノートが面白くて。例の浦和戦。後半25分。下村東美からのラストパスを受けて決定機を迎えた工藤浩平はそれを決められなかった。僕のノートには「外しやがった」と書いてありました(笑)。


工藤 ハハ(笑)。そのノート最高ですね。いや、でも、本当にそういうことだと思うんです。大事なところでは絶対に決めなきゃ、その“上”にはいけない世界ですから。


――話を戻しますね。僕は、工藤選手がジェフに戻ってきた2018年、8年ぶりのフクアリ(フクダ電子アリーナ)となった最初の試合のことが忘れられません。


工藤 ヴァンフォーレ甲府戦(第25節)ですよね。


――8年ぶりに戻ってきて、少なからず疑いの目もあった中で、本当に素晴らしいパフォーマンスでした。33歳でもめっちゃ走るし、どんどんボールを受けて、配って、1人でリズムを作っていた。あれは本当にカッコ良かった。


工藤 あのタイミングで帰ってきて、年齢的なことも含めて「どう思われるんだろう」と思っていたし、京都や松本にいた時はフクアリでブーイングされたこともあったので、気持ちは入っていました。あの試合、ジェフに戻ってきて最初の試合で、自分自身のことをすべて判定されると思ってたんです。いいか悪いか。使えるのか使えないのか。


――特別なゲームだった。


工藤 そうですね。結果的に勝てたし、自分自身のプレーも悪くなかったし、できればそのまま使ってほしかったですけど(笑)。まあ、それは冗談ですけど、やっぱり“持ってない”ということですよね。8年ぶりのフクアリだったのに、黄色のユニフォームじゃなく特別仕様のサマーユニフォームでしたから。


――(笑)。でも、あの試合があったから、恐らくジェフのサポーターの皆さんも「工藤浩平はまだいける」と思った気がします。だからこそ、あれから2年後の今でも同じように期待していると思うし、プレーする姿を見たいと思っているんじゃないかと。


工藤 そうだったらうれしいし、もっと見せないといけないですよね。やれるところを。


――どうですか? 個人とチームの現状は。未知の状況と向き合っていると思いますが。


工藤 チームについては、すごくいい状態にあると思います。今シーズンから監督が代わって、キャンプで厳しいトレーニングをして、苦しみながらも開幕戦で勝って、いい流れを作って。そういう時にこういう状況になってしまったけれど、みんなが気持ちを切らすことなくトレーニングして再開に備えてました。「今年J1に上がるんだ」という気持ちは途切れてません。


――今シーズンのあまりにも変則的なJ2リーグを戦い抜いて、しかも“結果”を出すために必要なことは?


工藤 “誰が試合に出ても”という状態を作ることが大事だと思います。ジェフで一緒にプレーした山岸智がサンフレッチェ広島でプレーしていた頃、ほとんど出場機会がなかったのに与えれたチャンスで決勝ゴールを奪って優勝に貢献したシーズンがありましたよね。やっぱり、あれができる選手が1人でも多くいるチームが強いし、最後に結果を残すのはああいうチームだと思うんです。僕自身、今はまだサブ組でプレーすることが多いけれど、チャンスが来た時に結果を残したい。そういう存在になりたいと思っています。


――“持っている工藤浩平”を発揮できるか。


工藤 ホントにそう。今まで発揮できなかったので、ジェフがJ1に上がる年に、ついにそういう姿を見せられたらいいなと思います。大好きなジェフをなんとしてもJ1に上げたいという気持ちが強いので、“持っている工藤浩平”に期待してください。