19歳で海外への扉を開いた奥川雅也は、21歳になった。知らない土地でがむしゃらに戦った2年間を「本当に早かった」と振り返る。


 そう笑って言えるのは、ザルツブルクのセカンドチームにあたるFCリーフェリング(オーストリア2部)で経験を重ね、武器であるドリブルが通用するという確信を得たからだろう。1年目は30試合、2年目は34試合に出場。主将を打診されるほど、チームの中心的存在になっていた。


 一方で焦りも感じていた。「自分が思い描いていたほど、とんとん拍子に進んでいないけど、足踏みも大事」。自分に言い聞かせるように話す姿が印象的だった。



インタビュー=高尾太恵子

取材協力・写真=ナイキジャパン



■余裕が生まれた移籍2年目


――1年目に続いて、継続して試合に出続けたシーズンだったと思います。

いい経験を積めた1年だったと思います。自分のプレーを出せたと実感できました。


――具体的にどういう部分でしょう?

やっぱりドリブルですね。昔からドリブルが一番好きでしたし、今でも一対一の練習では負けません。海外でも通用するという自信を持てたし、もっと極めていきたいと思っています。


――フィジカル面で苦労することはなかったですか?

練習からフィジカルコンタクトが激しいので、自然と鍛えられました(笑)。最初は本当に怖かった。ウォーミングアップのボール回しでも、お構いなしに当たってくるんですよ。


――体の使い方も変わってきたのではないでしょうか。

そうですね。「いかにフリーでボールを受けるか」を常に考えるようになりました。試合では相手が突っ込んでくるので、当たってしまうこともありますけど、うまく体の向きを変えながらボールをキープすることを意識して取り組んでいます。


――監督にはどういったことを求められていますか?

1年目は守備を強調されましたね。守備がある程度できるようになった昨シーズンは、ボールを運ぶことやシュート、アシストという攻撃的な部分をより求められるようになりました。自分でゴールを奪うよりも周りに点を取らせるのが僕のスタイルなので、もう少しアシストをしたかったです。



――奥川選手は21歳ですが、それでもチームでは年長者ですよね(笑)。

もうベテランですよ(笑)。とは言っても、年齢なんて関係なくガツガツ言ってくる選手が多いので、年上という実感はほとんどないです。監督にはシーズン前にキャプテンを打診されたんですけど、即断りました。


――それはどうして?

小学生の頃、ずっとキャプテンをやっていたので、チームをまとめる大変さは分かっている。「キャプテンだから」と見られるのも苦手なので、断りました。


――あまりリーダーシップをとるほうではないと。

そうですね。キャプテンが言うことと反対のことをしようとするタイプというか。キャプテンを困らせるタイプです(笑)。


――それは意外です(笑)。プライベートはどんな過ごし方をしているのですか?

2年目からはプライベートでもチームメートと一緒にいる時間が増えました。(南野)拓実くんがトップチームにいるので、最初は頼っていた部分が大きかったんですが、僕から「どこか行こうか」と誘うことが増えました。きっと1年目は余裕がなかったんだと思います。いろいろと悩んだ時期もありましたから。


――正直、日本に帰りたいと思うことはありましたか?

かなり思いましたよ(苦笑)。最初は食事も合わなかったですし、言葉の壁もありましたからね。そんな中でも試合に出続けられたことが大きかった。それがなかったら、もっと悩んでいたかもしれません。



■小学生時代に培った自慢のドリブル


――先ほど、ご自身でも「ドリブルが一番好き」と言っていましたが、あのスピード感溢れるドリブルはどのように身につけたのですか?

小学生の時(綾野サッカースポーツ少年団所属)のコーチが厳しくて、ドリブルばかりさせられていたんですよ。だから、自然とドリブルの技術が身についたんだと思います。もう本当にコーチが厳しかった(笑)。


――厳しいコーチの練習とは、どういうメニューだったのですか?

最初にラダートレーニングで細かいステップを踏んだ後に、ボールを使ってドリブルをする。学校に5メートル間隔で木が立っている場所があって、そこで70メートルくらいの距離を1日100往復していました。小学1年生から6年生までずっとですよ(笑)。でも、これが意外と楽しかった。みんなで競争したり、毎回違う触り方をしてみたり。独自のルールを作りながらやっていましたね。


――地味に思える練習も、自分なりに楽しみながらできていたのですね。

指導は厳しかったですけど、練習は楽しかったです。




■募る焦り、それでも前向きに戦う


――19歳で移籍を決断した時、迷いはなかったのでしょうか。

かなり迷いましたよ。京都サンガF.C.にもお世話になっていましたし、「残ってほしい」という言葉も掛けてもらいました。でも、早めに海外を経験しておかないと手遅れになるんじゃないか。そういう気持ちが強くなってきて、今しかないと思ったんです。


――日本を出て約2年が経ちました。ここまでの歩みは順調ですか?

正直、足踏みをしていると思います。これからも必要とされる守備やフィジカル強化をコツコツとやっている状態ですね。テクニックやボールの扱い方には自信があるので、まずは守備が当たり前のようにできるようにしたい。今は求められることに対して、100パーセントで応えられるように取り組んでいるところです。


――焦りはありませんか?

ありますよ。自分が思い描いていたほど、とんとん拍子にはいきませんでしたからね。そういう意味ではかなり焦りはありますけど、足踏みも大事だとプラスに捉えてやっています。


――次のステップとして目指すところは?

まずはトップチームで試合に出ることです。トップで結果を残せば、日本代表に入るチャンスも出てくると思うんです。そして、チャンピオンズリーグに出られるようなチームに行きたいですね。いずれはスペインでプレーがしたいです。


――やはりネイマールへの憧れが強い?

はい、大好きです! 高校生の時はプレー集を見ながら、同じプレーが自然にできるようになるまで練習していました(笑)。あのスピードとテンポは独特で難しいんですよ。


――奥川選手はそのプレースタイルから、「古都のネイマール」と呼ばれていますよね。

実は密かに喜んでいました(笑)。かなりうれしかったです。


――そうだったんですね(笑)。同世代だと、井手口陽介選手(ガンバ大阪)が日本代表デビューを果たしました。

いやあ、すごいですよね。


――と言いつつ、悔しさがこもっていますね。

ずっと一緒にやっていたので、悔しいです。自分も早く同じ舞台に立ちたいですね。


――今は、周囲との差を埋める作業と特長を伸ばす作業のどちらに重点を置いていますか?

どちらもバランス良く取り組んでいます。やっぱりフィジカルは鍛えないとやっていけないですからね。今シーズンは、ゴールにどれだけ向かっていけるか。シュート数も増やしていきたいと考えています。


――そういったプレーが増えれば、存在感も増してくると。

そうです。相手が脅威と感じるような選手になりたいですね。



 インタビューから約1週間後の6月23日、SVマッテルスブルクへの期限付き移籍が発表された。もっと上に行きたい。そんな抑えきれない欲が、一つの決断につながったのかもしれない。そして7月22日、SKラピード・ウィーンとの開幕戦を迎えた。残念ながら、ベンチスタートだった奥川に出番は回ってこなかった。しかし、“足踏み”していた奥川が、オーストリア1部という新たなステージへと一歩を踏み入れたのは間違いない。