クラブ世界一を決めるFIFAクラブワールドカップに5大会連続で出場している日本人がいる。ニュージーランドのオークランド・シティでプレーする岩田卓也だ。


 全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、大学を経てFC岐阜に在籍した経験を持つ岩田だが、日本のプロで活躍するには至らなかった。その岩田が海外へと活路を見出したのは2010年。選んだのはオーストラリアだった。ビザの関係もあり、2年で離れることになったが、ニュージーランドで運命のクラブであるオークランドと出会った。


 それからまもなく丸5年が経過する。34歳となり、選手としてのキャリアは終盤に差し掛かった岩田に、これまでのサッカー人生を振り返ってもらうとともに、サッカー選手としての現在、そして未来について話してもらった。


インタビュー=小松春生


◆■海外に出て、僕の性格の“適当さ”がマッチした

―――今シーズン、オークランド・シティは国内リーグのレギュラーシーズンでは1位でしたが、グランド・ファイナルは準優勝でした。一方でOFCチャンピオンズリーグでは優勝し、見事に7連覇を達成。FIFAクラブワールドカップ(以下、CWC)出場の権利を今年も獲得しました。どんなシーズンでしたか?


岩田卓也(以下、岩田) 外国人選手の出場枠もあり、試合に出る機会が減って、すごく苦しかったですね。プレシーズンにケガをしてしまって、5週間くらいチームから離れていた時に、同じポジションの若手がチャンスをつかんだことも大きかったです。外から試合を見ることがつらかったですね。FC岐阜時代も試合に出られなかったことが多かったので、そういった経験はしていましたが、久しぶりにピッチに立てない気持ちがわかって、試合に出られない選手の気持ちも改めて実感しました。友人や日本人の方が試合を見にきてくれているのに出場できていなかったことは、つらかったです。


―――若い選手とのポジション争いという点で言えば、岩田選手は今年4月で34歳となりました。


岩田 もし日本でプレーしていたら、完全に衰えているかもしれませんが、ニュージーランド、オセアニアでプレーしているという点で言えば、まだ衰えを感じてはいません。チームでもトップレベルの運動量はあるので、もっといけると感じています。


―――まだ成長できる点がたくさんあると。


岩田 試合に出られなかった分、メンタルコントロールができるようになったと思います。出続けられた時は“マンネリ化していたかもしれない”と、出場機会を失って気づき、試合に臨む心構えができるようになりました。その心構えでプレーの調子も上がりますし、気持ちが入ることによって、これからも成長できると感じました。


―――2012年10月にオークランド・シティへ加入して、5シーズンを過ごしました。クラブの中でも在籍期間が長い選手になったと思います。


岩田 僕より在籍期間が長い選手は5人ですね。外国籍選手で言えば、3番目に長いです。


―――在籍年数の長さや年齢もあってチームを引っ張る、姿勢を示すことも求められるのではないでしょうか。


岩田 自分は言葉で引っ張るタイプではないので。和気あいあいと、みんなからイジられて盛り上げるタイプです。例えば、僕は5年も在籍しているのに、あまり英語が上達していないので、監督から話を振られてみんなの前で話すと、チームが和んだりするんです。チームを引っ張るようなキャラではないですね。


―――ニュージーランドでの生活は岩田選手のキャラクターに合っていましたか?


岩田 もともと、誰とでもすぐに仲良くなれるタイプでした。上下関係も海外では感じないので、例えば10代の選手が煽ってきても楽しいですね。和気あいあいと楽しんでいるので、特に気を遣っていることはないです。悪く言ったら“適当”ですが、海外に出て、その適当さがマッチしたのかもしれません。日本では少し息苦しく感じた部分も海外ではのびのびとできるので、僕の性格に合っていたかもしれませんね。


―――サッカーに限らず海外で挑戦しようとしている日本人に伝えられることがあれば、その“適当さ”を持つということでしょうか?


岩田 そうですね。目標を皆さん持っていると思います。ただ、そこだけに向かって行くと、様々な他の情報が見えなくなっていきます。目標を持つことは当然大切ですが、そこはブレずにしっかりと持った上で、枝葉を作るというか、柔軟に臨めばもっと世界が広がると思います。


◆■今もコーチをしながらバイトを。そのほうがリズムが合っていた

―――日本を離れて海外でチャレンジをしようと思った理由を教えてください。


岩田 人間関係に悩んだ時期があって、サッカーをすることが苦しくなってしまい、面白くなくなってしまったんです。そこでフッと、「字幕無しで映画が観られたらカッコいいな」って思ったんです。映画が好きだったので。趣味でサッカーをしながら、海外で英語の勉強をしようと思ったのがきっかけですね。


―――サッカーではなく、勉強が一番の目的だったんですね。


岩田 そうです。でも、なんだかんだ言っても、結局向こうでサッカーをやったら、一番になったし、楽しさが戻ってきたんです。最初に入ったクラブ(オーストラリアのエッジヒル・ユナイテッド)がすごく良かったから、今があると思います。


―――なぜ最初にオーストラリアを選んだのでしょうか?


岩田 英語を使う国がアメリカとオーストラリアだと思っていたんです(笑)。アメリカはビザが取るのが難しかったんですが、オーストラリアならワーキングホリデーがあったので選択しました。先輩の友達がオーストラリアでサッカーをしていて、その方に紹介してもらったことも決めた理由の一つです。


―――日本を出てから、多くの苦労があったかと思います。


岩田 本当に英語ができなくて、「こんなにできないのか。もっと勉強しておけばよかった」と、言葉の壁にぶつかったことがつらくて。貯金も無しに行ったので、生活をどうしようかと現地で直面したんですね。日本を出る時は、「何とかなるだろう」と思っていたので。


―――アルバイトをしながら、海外でのサッカー選手キャリアをスタートさせたと。


岩田 そうですね。今もプロ契約はしていませんし、ニュージーランドではどの選手もそうです。今シーズンで言えば、GKがスペイン1部から来ましたけど、契約上はサッカーコーチです。僕はサッカーコーチ以外に、デリバリーの仕事をしたりしています。ニュージーランド移籍初年度はワーキングホリデーだったので、働きながらプレーしていましたが、2年目はサッカーコーチとしてのワーキングビザで在籍したので、他の仕事ができなくなりました。プロみたいな生活にはなりましたが、それが合わなかったんですね。時間ができてしまったことで、なんとなくダラっとしてしまい、そのまま練習に入ったりして、リズムがうまくいかなくなりました。そこで、ビザが切り替わったタイミングでバイトを始めたんですけど、するとその方が自分に合っていたんです。それからはサッカーコーチ以外にバイトもやらせてもらっています。


◆■挑戦、成長、守るもの

―――オークランド・シティでの生活についてうかがいます。まず、オーストラリアでのプレーからオークランドを選択された理由は何でしょうか?


岩田 友人からニュージーランドにオークランド・シティとワイタケレ・ユナイテッドという強いチームが2つあると聞いて、直接行ってチームを探そうと思ったんです。インターネットを使うのが苦手だったので、「調べるより聞いたほうが早い」と(笑)。ちょうど、OFCチャンピオンズリーグ決勝がオークランドで行われるということで見に行き、そのまま試合後、監督に「このチームでプレーしたい」と直接言ったんです。


―――アポなしですか?


岩田 なしですね。「ダメもとでやってみよう」と。監督には断られましたが、諦められずチームジャージを着ているスタッフに、もう一度アプローチをして「監督に聞いたけどダメと言われた」と伝えたら、オークランドの下部組織であるセントラル・ユナイテッドというチームを紹介してもらい、プレーを始めました。3軍からスタートして、ちょうど2軍に上がったタイミングで1軍にケガ人が出たので、僕がそのまま昇格して出場機会をもらいました。すると今度はトップチームのオークランド・シティで、同じポジションの選手が移籍したので、トライアルを受けさせてもらって、契約することができました。幸運でしたね。


 下部組織のセントラルに入団した時、「なんだ、このアジア人は」という空気があったんです。でも、その時に、海外からやってきたという似た境遇を感じたのか、オークランド・シティに在籍していたアルゼンチン人のエミリアーノ・タデと、スペイン人のアルベルト・リエラがどんどん話しかけてくれたんです。すると、周りから「あいつオークランド・シティの選手と仲がいいぞ」と見られるようになって、他の選手も話しかけてくれるようになりました。2人とはプライベートでも付き合いが深まって、生活が充実し始めました。


 今振り返ると、なぜ監督に直談判という選択をしたんだろうと思いますね(笑)。強い気持ちがあったからこそ、どんどん運も味方にできる、挑戦できたんだと思います。海外に出てから、メンタルが成長しました。


―――そこまで強い気持ちを持てた、駆り立てたものは何でしょうか?


岩田 もともと家は裕福ではなく、母を亡くし、妹に迷惑をかけていた状態で最後のチャンスとして、オークランド・シティに入れなかったら、サッカー選手を引退して帰国して、家を支えるという条件でニュージーランドにやってきたからですね。


―――そこからニュージーランド生活を過ごす中でご結婚をされ、2016年12月には長女が誕生されました。守るものが増えましたね。


岩田 現役を引退するまでは結婚しないと考えていたんですが、意気投合してすぐに結婚して、子どもも生まれました。自分がサッカー選手だったと子どもに覚えていてほしいという新しい夢ができたので、もっと現役で頑張らないといけないと思っています。体の管理や食生活も気をつけていかないと長くプレーできないので、もっとしっかりしないといけないと思うようになりました。妻も子どももニュージーランドで生活していますし。


 そもそも僕はすごく適当な性格だったんですけど、こっちだと、しっかりと管理しないとうまく回っていきません。トレーナーもついてはいますが、レベルは日本が上です。なので、任せるよりも自分でコントロールをしていかないとダメだと思うようになりました。ウォーミングアップやクールダウンは、よりしっかり。ちょっとした体のケアもするようになりました。自分の年齢や体とちゃんと向き合っていますね。


◆■このクラブで引退するのがベスト

―――2016年のCWCで、鹿島アントラーズ戦後にミックスゾーンで、「オークランド・シティが契約し続けてくれるなら、ここで引退したい」とコメントされましたが、その気持ちは変わっていませんか?


岩田 もう一度、Jリーガーになりたいという夢はありましたが、カップ戦だけならまだしも、リーグ戦を戦っていくことを考えたら、無理だと感じました。それでもチャレンジしたいという気持ちも持っていましたが、それよりも自分を変えてくれた、このクラブで最後は引退するのがベストかなと。僕自身、このチームが好きなので、ここで引退したいと思います。


―――鹿島戦後では「家族のようなチーム」とも口にされていました。


岩田 すごく良くしてくれるので。子どもを連れて行くと、フロントスタッフの方をはじめ、全員が温かく接してくれます。チームメートもすごく可愛がってくれて。1つの大きな家族の中に僕ら一家がいる感覚です。すごく温かいチームで大好きですね。


―――日本代表でのプレーを意識されたことはありますか?


岩田 ありません。ただ、一度だけ日本代表と試合をした時があって(注:2015年1月、アジアカップ直前の練習試合)、もしかしたらいいアピールができれば…と思ったんですけど、直前に参加していたCWCで3位になった後だったので、すごい脱力感を感じていた時期だったんです。日本代表との試合は決まっていたので、トレーニングをしようと思ったんですが、全く家のベッドから動けないほどで。結局、試合では何もできず、ニュージーランドはプロリーグではありませんが、“プロとしての意識の低さ”が現れたと感じました。日本代表でプレーをしたいとは対戦する前に一度思いましたが、そこが自分の甘さだと。今では日本代表は雲の上の存在です。CWCで3位になった直後だったので、少し調子に乗っていたのかもしれませんね(笑)。


―――一度3位にも輝いたCWC。クラブとしては7年連続、岩田選手個人としては6年連続の出場となります。大会はまだ先ですが、思いを教えてください。


岩田 個人としては5回出場して、4回は初戦敗退しているので、今年はまず初戦を勝って2014年のように勝ち進んで、最後はレアル・マドリードと対戦したいです。レアル・マドリードは今、世界最高のチームで、どんなプレーをしてくるのかは、対戦してみないと感じられないことばかりなので、ピッチに立って世界最高のチームとプレーしたいと。そのためにも、まずは初戦を突破することです。