アメリカ航空宇宙局(NASA)が開発した「サターンV」は、人類を月に送り込むアポロ計画で1960年代から1970年代にかけて使用された、高さ110m、総重量2800トンという巨大なロケットです。発射時の推力は3480万ニュートンであり、これを超える予定があるのはNASAの「SLS(スペース・ローンチ・システム)」と、スペースXの「スーパーヘビー」だけです。

【▲図1: アポロ17号を搭載したサターンVの発射映像。当時は湿度の高い夜間だったので、白っぽい波として音が可視化されています。 (Image Credit: NASA, Discovery Channel) 】

【▲図1: アポロ17号を搭載したサターンVの発射映像。当時は湿度の高い夜間だったので、白っぽい波として音が可視化されています。 (Image Credit: NASA, Discovery Channel) 】

さて、サターンVに関しては、以下のような都市伝説がインターネット上でまことしやかに囁かれてきました。サターンVの発射音はあまりにも強烈であるため、音のエネルギーでコンクリートを溶かし、1マイル (1.6km) 先にある草を燃やした、というのです。これは本当なのでしょうか?

ブリガム・ヤング大学のKent L. Gee氏などの研究チームは、サターンVの発射音について研究し、この噂は誤りであると結論付けました。Gee氏らの論文は、The Journal of the Acoustical Society of Americaの音響学教育に関する特別号の一部として掲載されました。

Gee氏らが研究に取り組んだ目的の1つは、音響学の教育者やロケットの騒音に関する研究者に向けて、収集の難しい古い歴史的資料をまとめること。そしてもう1つの目的は、インターネット上の噂を否定するという、一種のアウトリーチを図ることでした。そのことは論文のタイトル「Saturn-V sound levels: A letter to the Redditor」に含まれている単語「Redditor」にも現れています。Redditorとは英語圏のソーシャルメディアの1つ「Reddit」に書き込んでいる人々のことであり、Redditorに宛てた論文であることを示しています。

■音のエネルギーによる瞬間的な温度上昇は21℃だったと推定

音のエネルギーと環境への影響を知る上で重要なのは、「全音響パワーレベル (Overall sound power level) 」と「音響効率 (Acoustic efficiency) 」です。全音響パワーレベルは、分かりやすく言えば音のエネルギーに相当します。そして音響効率は、ロケットエンジンなどの機械出力が、どの程度音のエネルギーに変換されたかの割合です。これは歴史的には0.5%であると推定されており、近年のロケットの例として、スペースXの「ファルコン9」では0.31%と測定されています。

仮に音響効率を0.5%として計算すると、サターンVの1段目「S-IC」の全音響パワーレベルは203〜204デシベル (※) であると分かりました。この値は、S-ICのテスト時に測定された値と一致しています。航空機のジェットエンジンが120〜160デシベルと言われていますので、サターンVの1段目は低く見積もっても航空機の1万倍もの音を出していることになります!

※…デシベル (dB) は複数の意味があり、この場合には音のエネルギーを表しています。日常的に使われるデシベルは音の大きさ (音圧レベル) を表し、今回使用したデシベルとは定義が異なります。今回の全音響パワーレベルの表記は、厳密には「dB re 1pW」と書きます。

ちなみに、エネルギーの最大値が出ている波長は15〜20Hzであり、それより高い波長では、エネルギーの値は指数関数敵に減少していきます。人間の耳で聞き取れる波長の下限は20Hzとされているため、耳で聞こえている発射音は、全体のエネルギーのほんの一部しか占めていないことになります。

【▲図2: ケネディ宇宙センター39A射点から打ち上げられた「アポロ11号」のサターンVロケット(Image Credit: NASA) 】

【▲図2: ケネディ宇宙センター39A射点から打ち上げられた「アポロ11号」のサターンVロケット(Image Credit: NASA) 】

この推定をもとに、Gee氏らはインターネット上で広く流布されている「220デシベル」や「235デシベル」という記述を除外できると言います。220デシベルは音への変換効率が25%であることを意味し、0.5%とは50倍ものズレが生じています。また235デシベルに至っては、サターンVの1段目エンジンの出力が全て音に変換された場合を超えており、0.5%の変換率では1段目が1400本ほど必要になってしまいます。このことから、これらの値に音響学的な根拠はないと言うことになります。

また、一部の記述では、サターンVの1段目の実際の全音響パワーレベルが引用されていますが、Gee氏らは、その後の変換に誤りがあると指摘しています。ロケットエンジンの噴射したガスから発せられる音は、ガスが噴射されるエンジンのノズルではなく、そこから離れた場所で最大になると推定されます。その距離はノズルの直径の10倍から30倍程度で、ノズルそのものよりも面積が相当広くなります。音を発する面積が広くなれば、それだけ環境に与える音の影響は小さくなります。

【▲図3: ケネディ宇宙センター第39発射施設における、サターンV発射時の最大音量の推定値。音量が10デシベル下がるとエネルギーは10分の1になるため、距離が離れるほど音のエネルギーは指数関数的に小さくなっていきます。 (Image Credit: Gee, et.al.) 】

【▲図3: ケネディ宇宙センター第39発射施設における、サターンV発射時の最大音量の推定値。音量が10デシベル下がるとエネルギーは10分の1になるため、距離が離れるほど音のエネルギーは指数関数的に小さくなっていきます。 (Image Credit: Gee, et.al.) 】

Gee氏らは、様々なロケットの打ち上げ時に測定された値を元に、サターンVのロケットエンジンの音量は、ノズルから81mの距離で瞬間的に最大182デシベルであると推定しました。この場所では、音波によって瞬間的に大気圧の25%の圧力が発生し、断熱圧縮によって21℃の温度上昇をもたらすと推定されます。

断熱圧縮とは、空気を圧縮すると温度が上昇する現象です。音は空気の圧縮と膨張が波として伝わっていく現象であり、音は温度の上昇をもたらしますが、影響は非常に小さく、通常は測定不能なほど小さいです。今回推定された21℃という上昇幅は、音波の影響としては非常に大きいのですが、上昇幅が小さい上に、瞬間的に冷却されることも考えると、コンクリートを溶かすことはあり得ません。音による影響は距離が離れるほど指数関数的に小さくなるため、1マイル先の草を燃やすこともあり得ません。そう考えますと、これらの都市伝説は正しくない、と結論付けることができます。

■噂の元になったのは何だったのか?

ただ、火のない所に煙は立たぬとも言います。この都市伝説も、何かの勘違いが元で起きたと仮定すれば、本当の理由を推定できるかもしれません。ロケットエンジンの噴射は極めて温度が高いですし、圧力も強烈です。噴射を受けるコンクリートはその圧力を直に受ける上に、散水された水や雨が染み込んでいれば、水の蒸発で圧力が生じるため、コンクリートを粉砕させる可能性があります。もしもこのような現象が実際に生じていれば、「コンクリートを溶かした」という噂の元になった可能性があります。

また「草が燃えた」という噂は、軍用ジェットエンジンの研究で時々報告される「パチパチ」という音が元になった可能性があります。これはエンジンから生じる非常に大きな音における音波の形状が原因で生じていると考えられています。ロケットエンジンでは同様の報告や研究はないものの、理由として十分に考えられます。

今回のGee氏らの研究は、インターネット上に広まる噂の真偽について白黒をつけるとともに、ロケットエンジンという強烈な音源が周囲の環境にどのような影響を与えるのかを推定する1つの指標となります。

 

Source

Kent L. Gee, et.al. “Saturn-V sound levels: A letter to the Redditor”. (The Journal of the Acoustical Society of America) Wendy Beatty. “Saturn V Was Loud But Didn’t Melt Concrete”. (American Institute of Physics) Kent L. Gee, et.al. “Propagation of crackle-containing jet noise from high-performance engines”. (Noise Control Engineering Journal) Daniel C. Allgood. “A Brief Historical Survey Of Rocket Testing Induced Acoustic Environments At Nasa Ssc”. (NASA, Engineering Analysis Record)

文/彩恵りり