5選手が計16度の本塁打王に輝く

プロ野球の2020年シーズンもいよいよ終盤戦。ペナントの行方とともに気になるのが個人タイトル争いだ。

1950年の2リーグ分立以降で個人タイトルを獲得した選手数を球団別に調べてみた。本塁打王は下表の通りとなっている。

本塁打王獲得選手数ランキング


本塁打王のタイトルを獲得した選手が最も多い球団は中日と日本ハム。ソフトバンクは強力打線のイメージが強いが、前身球団を含めても意外に5人しかいない。今回はソフトバンクの歴代本塁打王を振り返ってみたい。

野村克也は8年連続、門田博光は40歳で二冠王

1リーグ時代は鶴岡一人がタイトル獲得したこともあったが、2リーグ分立後に初めて本塁打王に輝いたのが南海時代の野村克也だった。

ソフトバンクの歴代本塁打王


峰山高(京都)からテスト生として南海に入団し、3年目の1956年に正捕手定着。1957年に30本塁打で初タイトルを獲得すると、1961年から8年連続本塁打王。1963年には当時日本新記録の52本塁打、1965年には戦後初の三冠王に輝いた。

歴代2位の通算657本塁打をマークし、監督としてもヤクルトを3度の優勝に導くなど通算1565勝を挙げた。

門田博光はクラレ岡山から1969年ドラフト2位で南海に入団し、1981年に44本塁打で初のキングに輝くと、1983年にも40本を放って2度目のタイトル獲得。40歳となった1988年には44本塁打、125打点で二冠王となり、「不惑の大砲」と呼ばれた。オリックス、ダイエーと移り、引退までに歴代3位の通算567本塁打をマークしている。

小久保裕紀は通算413発、松中信彦は三冠王

青山学院大から1993年ドラフト2位でダイエー入りした小久保裕紀は、1995年に28本を放って本塁打王。1997年には114打点で打点王に輝き、巨人、ソフトバンクと移籍してプロ通算413本塁打、1304打点をマークした。引退後は侍ジャパンの監督を務めた。

アトランタ五輪代表の4番として活躍し、銀メダルを手土産にダイエー入りした松中信彦は、2003年に123打点で打点王に輝くと、翌2004年に44本塁打、120打点、打率.358で三冠王。翌2005年も46本塁打、121打点で二冠王に輝いた。引退まで通算352本塁打をマークしている。

キューバ出身のアルフレド・デスパイネは2014年シーズン中に来日し、ロッテ入団。2017年にソフトバンクに移籍し、35本塁打、103打点で二冠王に輝いた。

現在、「6人目」に最も近いのは柳田悠岐だろう。近い将来のキング獲得が期待される。

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