阪神、ヤクルト、ロッテ、中日、日本ハム、近鉄、広島、西武の8球団が小池指名

沖縄水産が初めて夏の甲子園決勝に進出したものの天理に敗れて準優勝に終わった1990年。秋のドラフトの目玉は亜細亜大で東都通算28勝を挙げていた左腕・小池秀郎だった。

当時は指名が重複した場合は抽選で、外れた場合はウエーバー方式のため、2度外して「外れ外れ1位」になることはなかった。小池には阪神、ヤクルト、ロッテ、中日、日本ハム、近鉄、広島、西武が指名。前年の野茂英雄に続き、史上最多タイの8球団競合となった。

1990年ドラフト1巡目指名選手の成績


外れ1位も含め、各球団1位指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

阪神は湯舟敏郎、ヤクルトは岡林洋一を外れ1位

阪神は小池を外して本田技研鈴鹿の湯舟敏郎を指名。興国高(大阪)から奈良産大と地元出身の左腕は1992年にノーヒットノーランを達成するなど主に先発で活躍し、近鉄に移籍した2001年に引退するまで通算60勝79敗3セーブの成績を残した。

ダイエーは日本生命の即戦力右腕・木村恵二を単独指名。1995年にはリリーフとして21セーブを挙げるなど通算31勝53敗41セーブの成績を残した。西武移籍後の2000年オフに戦力外通告を受けて引退。イチローにプロ初安打を許した投手としても記録されている。

ヤクルトは小池を外して専修大の右腕・岡林洋一を指名。1992年には15勝を挙げてリーグ優勝に貢献するなど、2000年オフに引退するまで通算53勝39敗12セーブをマークした。

小池秀郎を引き当てたのはロッテだった。その瞬間、ガッツポーズする金田正一監督と対称的に小池はニコリともしなかった。結局ロッテ入りを拒否し、松下電器に入社。2年後の1992年にドラフト1位で近鉄入りした。

中日は小島弘務、日本ハムは住吉義則、近鉄は寺前正雄

中日は小池を外して住友金属の右腕・小島弘務を指名。ロッテ移籍後の1999年オフに戦力外となるまで通算19勝15敗8セーブの成績を残した。

日本ハムは小池を外してプリンスホテル・住吉義則を指名。ロッテ移籍後の1996年にユニフォームを脱ぐまで通算30試合出場で7安打だった。

大洋は福井工大の左腕・水尾嘉孝を指名。オリックス、西武と渡り歩き、2003年に戦力外通告を受けた後も米球界に挑戦した。通算269試合登板で7勝9敗2セーブだった。

近鉄は小池を外し、北陽高(現関大北陽高)の寺前正雄を指名。センバツ準決勝の新田戦で延長17回の激闘を演じた長身右腕への期待は大きかったが、一軍で勝利を挙げることはできなかった。阪神に移籍した1999年オフに戦力外となった。

広島は瀬戸輝信、西武は長見賢司、浪人の元木大介は念願の巨人1位

広島は小池を外して法政大の捕手・瀬戸輝信を指名。2004年オフに引退するまで通算537試合出場で274安打、10本塁打の成績を残している。

オリックスは立命館大で通算40勝をマークしていた長谷川滋利を指名した。1995年に12勝を挙げてリーグ優勝に貢献するなどNPBで57勝の実績を引っ提げてメジャー挑戦。MLBでも45勝を挙げ、日米通算102勝89敗37セーブ83ホールドの成績を残した。

巨人は前年のドラフトでダイエーの1位指名を拒否して浪人していた元木大介を単独指名。上宮高時代に甲子園で通算6本塁打を放ったスター候補は念願の巨人入りを果たした。2005年に引退するまで通算1205試合に出場して891安打、66本塁打。現在は巨人のヘッドコーチを務めている。

西武は小池を外して伊丹西高の右腕・長見賢司を指名。5年目に野手転向したが横浜移籍後の2000年オフにユニフォームを脱いだ。通算6試合出場で2安打だった。

1巡目では湯舟、木村、岡林、小島、長谷川ら好投手の多かった1990年組。2巡目以下では3球団競合した鹿児島実・内之倉隆志がダイエー2位、2球団競合の東北福祉大・矢野輝弘(現阪神監督)が中日2位、亜細亜大・高津臣吾(現ヤクルト監督)がヤクルト3位、新日鉄君津・下柳剛がダイエー4位、横浜高・鈴木尚典が大洋4位で入団している。

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