ロッテ、大洋、日本ハム、阪神、ダイエー、ヤクルト、オリックス、近鉄が野茂指名

夏の甲子園で吉岡雄二擁する帝京が、大越基のいた仙台育英を下して初優勝した1989年。秋のドラフトでは新日鉄堺の剛腕・野茂英雄が目玉だった。

当時は指名が重複した場合は抽選、外れた場合はウェーバーのルール。野茂にはロッテ、大洋、日本ハム、阪神、ダイエー、ヤクルト、オリックス、近鉄と史上最多の8球団が競合した。

1989年ドラフト1巡目指名選手の成績


外れ1位も含め、各球団1位指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

ロッテは小宮山悟、大洋は佐々木主浩、日本ハムは酒井光次郎、阪神は葛西稔

ロッテは野茂を外して早稲田大の右腕・小宮山悟を指名。二浪して早大入学し、東京六大学リーグ通算20勝を挙げた苦労人は横浜移籍後の2001年オフにFA宣言してメッツ入り。さらにロッテに復帰して2009年まで現役を続け、日米通算117勝144敗4セーブ7ホールドの成績を残した。現在は母校・早大の監督を務めている。

大洋は野茂を外して東北福祉大の右腕・佐々木主浩を指名。最優秀救援投手に5度輝くなどクローザーとして活躍し、マリナーズでも4年間プレーした。日米通算50勝54敗381セーブ1ホールドをマークした。

日本ハムは野茂を外して近畿大の左腕・酒井光次郎を指名。1年目に10勝を挙げ、阪神移籍後の1997年に引退するまで通算23勝36敗1セーブの成績を残した。

阪神は野茂を外して法政大のサブマリン・葛西稔を指名。野村克也監督の下では、左腕・遠山奬志との「遠山−葛西−遠山」のリレーが名物になるなど主に中継ぎとして活躍し、2002年に引退するまで通算36勝40敗29セーブの成績を残した。

元木大介はダイエー入り拒否、ヤクルトは外れ1位で西村龍次

ダイエーは野茂を外し、上宮高で甲子園を沸かせたスラッガー・元木大介を指名した。しかし、巨人入りを熱望する本人を説得することができず獲得を断念。元木は浪人した末、1年後に巨人から1位指名された。

ヤクルトは野茂を外してヤマハの右腕・西村龍次を指名。1年目から4年連続2桁勝利を挙げるなど主に先発で活躍し、通算75勝68敗2セーブをマークした。近鉄、ダイエーと移籍し、2001年に引退した。

西武は松下電器のサイドスロー・潮崎哲也を単独指名。シンカーを武器に中継ぎ、抑えで活躍し、2004年に引退するまで通算82勝55敗55セーブの成績を残した。

中日はNTT東京の右腕・与田剛を指名。1年目は4勝5敗31セーブで最優秀救援投手と新人王に輝いたが、その後はケガに泣き、日本ハム、阪神と渡り歩いて2000年オフに戦力外となった。通算8勝19敗59セーブだった。現在は中日の監督を務めている。

オリックスは佐藤和弘、巨人は大森剛を単独指名

オリックスは野茂を外して熊谷組の佐藤和弘を指名。髪型から登録名を「パンチ」に変更するなど人気選手となった。1994年に引退するまで通算149試合に出場して71安打、3本塁打だった。

広島はNTT中国の右腕・佐々岡真司を単独指名した。1年目は新人王こそ与田に譲ったものの13勝11敗17セーブの好成績を収め、2年目には17勝で最多勝。以降も広島ひと筋で2007年に引退するまで通算138勝153敗106セーブ5ホールドをマークした。現在は広島の監督を務めている。

野茂英雄を引き当てたのは近鉄の仰木彬監督だった。1年目から18勝を挙げてタイトルを総なめにし、独特のフォームで「トルネード旋風」を起こした。メジャーリーグでも活躍し、日米通算201勝155敗1セーブをマークした。

巨人は慶応義塾大で17本塁打をマークしていた大森剛を単独指名。しかし、プロではレギュラーをつかめず、近鉄移籍後の1999年に戦力外となった。通算132試合出場で29安打、5本塁打だった。

1巡目指名だけでもメジャーリーガー3人、現役監督2人という大豊作だった1989年組。2巡目以下でも阪南大高・岩本勉が日本ハム2位、トヨタ自動車・古田敦也がヤクルト2位、甲子園優勝投手の帝京高・吉岡雄二は巨人3位、熊本工・前田智徳が広島4位、西日本短大付高・新庄剛志が阪神5位で入団している。

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