大洋、日本ハム、巨人、広島の4球団が原指名

夏の甲子園で愛甲猛擁する横浜が初優勝を果たした1980年。秋のドラフトは東海大の強打者・原辰徳が目玉だった。

当時は指名が重複した場合は抽選、外れた場合はウェーバーというルール。原には大洋、日本ハム、巨人、広島の4球団が競合し、プリンスホテルの石毛宏典に阪急と西武の2球団、新日鉄室蘭・竹本由紀夫にヤクルトと近鉄の2球団が競合した。

1980年ドラフト1巡目指名選手の成績


外れ1位も含め、各球団1位指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

南海は山内和宏、中日は中尾孝義、阪神は中田良弘

南海はリッカーの右腕・山内和宏を指名。1983年に18勝で最多勝に輝くなど、2桁勝利を5度マークし、中日移籍後の1992年に引退した。通算326試合登板で97勝111敗1セーブをマークしている。

中日はプリンスホテルの捕手・中尾孝義を指名。2年目には119試合に出場して打率.282、18本塁打で優勝に貢献し、セ・リーグMVPに輝いた。巨人、西武と移籍して1993年に現役引退。通算980試合出場で699安打、109本塁打の成績を残している。

阪急は石毛宏典を外して松商学園高の右腕・川村一明を指名。しかし、入団を拒否してプリンスホテルに進み、3年後のドラフトで西武から4位指名されてプロ入りした。

阪神は日産自動車の右腕・中田良弘を指名。1981年から1985年まで18連勝をマークし、同年は12勝を挙げて21年ぶり優勝に貢献した。1994年に引退するまで通算33勝23敗14セーブの成績を残している。

石毛宏典は西武、原辰徳は巨人が引き当てる

西武はプリンスホテルの遊撃手・石毛宏典を指名。1年目に打率.311、21本塁打をマークして新人王、1986年にはパ・リーグMVPに輝くなど西武黄金時代を支えた。ダイエー移籍後の1996年に引退後はオリックスの監督も務めた。通算1796試合出場で1833安打、236本塁打の成績を残している。

大洋は原辰徳を外して峰山高の左腕・広瀬新太郎を指名。西武、ヤクルトと渡り歩いて1992年にユニフォームを脱いだ。通算84試合登板で3勝7敗だった。

日本ハムは原を外して秋田商高の右腕・高山郁夫を指名。しかし、入団を拒否してプリンスホテルに進み、1984年ドラフト3位で西武入りした。

東海大のスター候補・原辰徳を引き当てたのは巨人だった。首都大学リーグ通算21本塁打の打力と甘いマスクですでに人気選手だった原は、1年目に22本塁打で新人王。その後も長く巨人の4番を務め、1995年に引退した。通算1675安打、382本塁打、1093打点。現在は巨人の監督として15シーズン目に突入している。

ロッテは愛甲猛、広島は川口和久

ロッテは夏の甲子園優勝投手の横浜高・愛甲猛を指名した。投手としては勝ち星を挙げられず、1984年に野手転向。中日移籍後の2000年に引退した。通算1142安打、108本塁打、513打点の成績を残している。

ヤクルトは新日鉄室蘭の右腕・竹本由紀夫を引き当てた。前年ドラフトでロッテの1位指名を拒否し、満を持してのプロ入りだったが、1勝も挙げることなく4年でユニフォームを脱いだ。通算37試合登板で0勝5敗だった。

近鉄は竹本を抽選で外し、滝川高の左腕・石本貴昭を指名。1985年にはリリーフで19勝3敗7セーブをマークし、最高勝率と最優秀救援投手のタイトルを獲得した。中日移籍後の1992年に引退。通算267試合登板で35勝19敗48セーブの成績を残した。

広島は原を外してデュプロの左腕・川口和久を指名。1983年に15勝を挙げると、1986年から6年連続2桁勝利をマークした。FAで巨人に移籍後の1998年に引退。通算139勝135敗4セーブの成績を残している。

原、石毛、愛甲らスター選手の多かった1980年組。2巡目以下では桜井商高・駒田徳広が巨人2位、亜細亜大・大石大二郎が近鉄2位、中央大・高木豊が大洋3位でプロ入りしている。なお、巨人4位指名の中京高(現中京大中京高)・瀬戸山満年は入団拒否し、阪急1位・川村一明、日本ハム1位・高山郁夫とともにプリンスホテルに進んだ。

【関連記事】
・清原和博に6球団競合した1985年ドラフトの答え合わせ、外れ1位の成績は?
・立浪和義らPLナインが注目された1987年ドラフトの答え合わせ、外れ1位の成績は?
・松井秀喜に4球団競合した1992年ドラフトの答え合わせ、外れ1位の成績は?