西武、ヤクルト、南海、阪神、阪急、近鉄の6球団が岡田指名

箕島が甲子園春夏連覇を達成した1979年。秋のドラフトは早稲田大で20本塁打を放っていた岡田彰布に注目が集まっていた。

当時は指名が重複した場合は抽選、外れた場合はウェーバーというルール。岡田には西武、ヤクルト、南海、阪神、阪急、近鉄の6球団が競合し、前年に広島の1位指名を拒否していた日本鋼管の左腕・木田勇にも巨人、日本ハム、大洋の3球団が競合した。

1979年ドラフト1巡目指名選手の成績


外れ1位も含め、各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。

西武は鴻野淳基、巨人は林泰宏を外れ1位

西武は岡田を外し、名古屋電気高(現愛工大名電高)の鴻野淳基を指名。巨人移籍後の1987年には94試合に出場し、1993年に大洋退団後は韓国でもプレーした。通算450試合出場で193安打、14本塁打の成績を残している。

ヤクルトは岡田を外して国士舘大・片岡大蔵を指名。新居浜商高時代に夏の甲子園で準優勝し、大学時代に東都通算14勝を挙げた右腕に期待は高かったが、ケガもあって一軍では4試合の登板に終わり、白星を挙げることはできなかった。

南海は岡田を外して日産自動車の右腕・名取和彦を指名。1年目に30試合に登板して5勝を挙げたものの1983年に引退。通算35試合登板で5勝13敗の成績を残している。

巨人は木田を外して市立尼崎高の右腕・林泰宏を指名。一軍登板を果たせないまま近鉄、大洋と移籍し、1985年にユニフォームを脱いだ。

岡田彰布は阪神、木田勇は日本ハム、牛島和彦は中日

ロッテは新日鉄室蘭の右腕・竹本由紀夫を指名したが入団拒否。翌年ドラフトでヤクルトから1位指名を受けてプロ入りしたが未勝利に終わっている。

北陽高から早稲田大に進み、東京六大学リーグ通算117安打、20本塁打をマークした岡田彰布は地元・阪神が引き当てた。1年目に18本塁打で新人王に輝くと、1985年には打率.342、35本塁打、101打点で優勝に貢献。オリックス移籍後の1995年に引退するまで、通算1520安打、247本塁打をマークした。引退後は阪神とオリックスで監督を務めた。

3球団競合の日本鋼管・木田勇は日本ハムが引き当てた。1年目に22勝8敗4セーブをマークして最多勝、最優秀防御率、最高勝率、MVP、新人王などタイトルを総なめ。しかし、2年目以降は伸び悩み、大洋、中日と移籍して1990年に引退した。通算60勝71敗6セーブの成績を残している。

中日は「ドカベン」香川伸行とともに甲子園を沸かせた浪商高(大体大浪商高)のエース牛島和彦を指名。ロッテ時代も含めて主にリリーフとして活躍し、通算395試合登板で53勝64敗126セーブをマークした。引退後は横浜の監督を2005年から2シーズン務めた。

阪急は木下智裕、大洋は杉永政信

阪急は岡田を外して東海大の左腕・木下智裕を指名。1983年には41試合に登板して9勝を挙げ、巨人移籍後の1988年に引退した。通算119試合登板で10勝8敗1セーブだった。

大洋は木田を外して鯖江高の右腕・杉永政信を指名。大型右腕として期待されたが、一軍では3試合に登板しただけで1勝も挙げることはできず、1985年に戦力外となった。引退後は審判に転身し、現在もグラウンドに立っている。

近鉄は岡田を外して名城大の右腕・藤原保行を指名。2年目にプロ初勝利を挙げたが、ケガもあって大成せず1987年に引退した。通算11試合登板で1勝2敗だった。

広島は地元・広島の府中東高・片岡光宏を指名。投手としてプロ入りしたが白星を挙げることはできず1985年に野手転向し、中日、大洋と所属を変えて1991年にユニフォームを脱いだ。通算179試合出場で96安打、15本塁打の成績を残している。

岡田、木田、牛島の実績が飛び抜けている1979年組。2巡目以下では浪商高・香川伸行が南海2位、王子製紙苫小牧・高沢秀昭がロッテ2位、電電九州・山内孝徳が南海3位、大分商高・岡崎郁が巨人3位で入団している。

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