宣言残留が10人、移籍6人中4人がセ・リーグ

フリーエージェント制度が導入されて2年目の1994年。長嶋巨人が西武を破って日本一に輝いた日本シリーズ終了後、FA権を行使した選手は16人に上った。

そのうち、巨人・岡崎郁、川相昌弘、原辰徳、吉村禎章、阪神・久保康生、長嶋清幸、西武・伊東勤、辻発彦、吉竹春樹、渡辺久信の10人は残留。まだまだ生え抜き信奉が強く、FA宣言して残留する、つまり移籍する権利を事実上放棄することが球団への忠誠心を示す手段でもあった。

一方、交流戦も実施される前で、テレビ中継や観客動員でセ・パの格差が大きく、特に巨人の人気が飛び抜けて高かった時代。他球団への移籍を選んだ広島・川口和久、ヤクルト・広沢克己、西武・石毛宏典、工藤公康、オリックス・山沖之彦、近鉄・金村義明の6人中4人はセ・リーグ、うち2人は巨人のユニフォームに袖を通した。

1994年にFA移籍した選手の移籍先での通算成績


6選手の移籍後の成績を振り返る。

川口和久は巨人4年で計8勝どまり、広沢克己は5年で自由契約

鳥取城北高からデュプロを経て1980年ドラフト1位で広島に入団した川口和久は、14年にわたって広島の左腕エースとして活躍。1986年から6年連続2桁勝利を挙げるなど、35歳だった当時、すでに通算131勝をマークしていた。

都内の実家に住む義父の看病のため夫人が移籍を希望し、広島に愛着を感じていた川口は熟考。夫婦で話し合いを重ねた末、長嶋茂雄監督のラブコールに応えて移籍を決断した。

しかし、期待された左腕は移籍1年目の1995年に4勝6敗、翌1996年も1勝4敗3セーブ、1997年も3勝3敗1セーブと不本意な成績に終わった。1998年は1勝も挙げることができず現役を引退。巨人では通算85試合で8勝13敗4セーブだった。

明治大からドラフト1位でヤクルトに入団した広沢克己は、1991年に99打点、1993年に94打点で2度の打点王を獲得。池山隆寛とともに野村ヤクルトの主軸を形成した。

1994年にFA宣言して巨人入りすると、移籍1年目の1995年は20本塁打、72打点。3年目の1997年も22本塁打、67打点と一定の成績を残した。しかし、清原和博や松井秀喜、高橋由伸、清水隆行らとのポジション争いに敗れて出番を減らし、1999年に自由契約。阪神に移籍して、史上初めて巨人と阪神で4番を務めた打者となった。結局、巨人5年間では通算384試合出場、56本塁打、178打点だった。

監督オファー蹴った石毛宏典は2年で引退、工藤公康は5年で49勝

プリンスホテルからドラフト1位で西武に入団し、1981年に新人王に輝くなど西武黄金時代の中心選手として活躍した石毛宏典は、1994年オフ、38歳になっていた。日本一を逃して辞任した森祇晶監督の後任として監督の打診を受けたが、通算2000安打まで残り200本を切っていた石毛は、まだまだ現役にこだわりたかった。

FA宣言し、新人時代に西武の監督だった根本陸夫氏が専務を務めていたダイエーに移籍。しかし、1年目の1995年は52試合出場で打率.200、翌1996年はわずか18試合出場に終わり、現役引退した。西武2年で70試合出場のみ。結局、2000安打も達成できなかった。

もう一人、西武からダイエーに移籍したのが工藤公康だった。1985年、1987年、1993年と3度の最優秀防御率に輝いた左腕は、1991年から4年連続2桁勝利を継続中だった。移籍1年目の1995年も12勝(5敗)をマークするなど、5年在籍して49勝を挙げた。

その後、2度目のFAで巨人に移籍し、横浜、西武とわたり歩いて実働29年で224勝。現在はソフトバンクの監督を務めている。

山沖之彦は一軍登板なし、金村義明は2年でトレード

専修大から1981年ドラフト1位で阪急に入団した山沖之彦は、1987年に19勝を挙げて最多勝に輝くなど、通算112勝をマークしていた。1994年にFA宣言すると、阪神とヤクルトが獲得に名乗りを挙げ、山沖は阪神を選択。しかし、翌1995年は一度も一軍登板できないまま現役を引退した。

報徳学園で甲子園優勝し、山沖と同じ1981年ドラフト1位で近鉄に入団した金村義明は、「いてまえ打線」の主軸として活躍。FA宣言して中日入りしたが、2年で計70試合出場、1本塁打、11打点に終わり、1997年に小野和義との交換トレードで西武に移籍した。

1994年のFA移籍組は大物が多かったが、移籍先で期待通りの活躍ができたのは工藤くらいだろうか。野球人生を左右するFA宣言の難しさが改めて浮き彫りになる年だった。

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