巨人の永久欠番は6つ

プロ野球の各球団には偉大な功績を残した選手を称えて永久欠番に認定された背番号がある。巨人なら王貞治氏の「1」、長嶋茂雄氏の「3」など6つの番号が認定されているが、永久欠番ではなくても大切に扱われる背番号もある。

歴代の主力打者やエース級の投手が背負う番号には、各球団で特有の重みがあり、単なる数字ではない。巨人では「6」もそのひとつだろう。歴代の主な背番号8を紹介する。 

土井正三:1965〜78年

育英高から立教大を経て巨人に入団した土井正三は1年目から105試合に出場し、2年目の1966年からはセカンドのレギュラーに定着した。玄人好みの打撃と堅守でV9に貢献し、1978年に引退するまで通算1586試合に出場し、1275安打、65本塁打、425打点、135盗塁、242犠打、打率.263の成績を残した。

引退後は巨人のコーチや解説者を経て1991年から3シーズン、オリックスの監督として指揮。監督在任中は3年連続3位だった。

篠塚利夫:1979〜94年

土井の引退後に背番号6を受け継いだのが篠塚利夫だ。銚子商からドラフト1位で入団して3年間は背番号37だったが、「6」を背負った1979年から頭角を現し、1980年には115試合に出場。1984年に打率.334、1987年に打率.333で2度の首位打者に輝くなど、一時代を築いた巧打者だった。

1994年に引退するまで通算1651試合に出場し、1696安打、92本塁打、628打点、打率.304をマーク。引退後は巨人のコーチを歴任し、2009年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の打撃コーチも務めた。

落合博満:1995〜1996年

ロッテ、中日で強打者として活躍し、背番号6をつけてきた落合博満は、巨人にFA移籍した1994年は「60」を背負った。翌年から篠塚の引退で空き番となった「6」を継承したが、清原和博がFAで西武から加入するのと入れ替わるようにわずか2年で日本ハムへ移籍した。

日本ハムでは背番号3でプレーし、1998年に引退。中日の監督時代の背番号は「66」だった。

石井浩郎:1997〜99年

1997年から「6」を背負ったのが吉岡雄二、石毛博史との交換トレードで近鉄から巨人に移籍した石井浩郎。1994年に33本塁打、111打点で打点王に輝いた実績を持つスラッガーも巨人での3シーズンでは1999年の11本塁打が最多だった。

その後、ロッテ、横浜とわたり歩き、引退後は政治家に転身した。

川相昌弘:2000〜03年

「バント職人」と呼ばれた川相昌弘も6を背負った一人だ。岡山南高からドラフト4位で入団し、「60」「0」を背負ってきたが、2000年から「6」を継承。中日移籍後は「7」を背負って3年間プレーし、ギネス世界記録にも認定された通算533犠打をマークした。

引退後は中日、巨人でコーチや二軍監督などを歴任し、現在は巨人のファーム総監督を務めている。

小久保裕紀:2004年〜06年

2004年から背番号6を受け継いだのが、ダイエーから無償トレードで加入した小久保裕紀。ダイエー時代は背番号9だったが、巨人では3シーズン「6」を背負い、移籍1年目の2004年には41本塁打、96打点の好成績を収めるなど活躍した。

2006年オフにFA宣言してソフトバンクに復帰。引退後は「侍ジャパン」の監督として2017年の第4回WBCに出場した。現在はソフトバンクの二軍監督を務めている。

小坂誠:2007年〜08年

俊足巧打の内野手としてロッテの優勝に貢献した小坂誠は、2005年オフに金銭トレードで巨人に移籍。1年目は背番号2だったが、2年目の2007年から「6」に変更した。

しかし、往年のスピードに衰えが見られ、2008年オフには金銭トレードで楽天に移籍した。引退後は楽天、日本ハム、巨人でコーチを歴任し、現在はロッテの二軍打撃兼内野守備兼走塁コーチを務めている。

坂本勇人:2009年〜

2009年から「6」を受け継いだのが坂本勇人だ。入団当時の「61」から変更し、2016年に打率.344で首位打者、2019年には巨人生え抜きの右打者として初の40本塁打を放つなど、背番号に恥じない活躍を見せている。歴代の背番号6の中では、最高の実績を残していると言っても過言ではない。

坂本は張本勲氏以来のNPB通算3000安打や、立浪和義現中日監督が持つNPB通算487二塁打の記録更新も決して不可能ではないだろう。「6」が巨人で7つめの永久欠番になるほどの活躍が期待される。

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