巨人の永久欠番は6つ

プロ野球の各球団には偉大な功績を残した選手を称えて永久欠番に認定された背番号がある。巨人なら王貞治氏の「1」、長嶋茂雄氏の「3」など6つの番号が認定されているが、永久欠番ではなくても大切に扱われる背番号もある。

歴代の主力打者やエース級の投手が背負う番号には、各球団で特有の重みがあり、単なる数字ではない。巨人では「25」もそのひとつだろう。歴代の主な背番号25を紹介する。 

富田勝:1973〜75年

田淵幸一、山本浩司とともに「法政三羽ガラス」と呼ばれ、1968年ドラフト1位で南海に入団した富田勝は、山内新一、松原明夫との交換トレードで1973年から巨人に移籍。同年の日本シリーズでは、ケガの長嶋茂雄に代わって全5試合にサードでスタメン出場し、9連覇に貢献した。

ただ、巨人では目立った成績は残せず、3シーズンで計10本塁打にとどまり、1975年オフに張本勲との交換トレードで、高橋一三とともに日本ハムへ移籍。中日に移籍した1981年には史上2人目の全球団本塁打を達成し、引退までに通算1303試合出場、1087安打、107本塁打、打率.270の成績を残した。

谷口功一:1992〜94年

富田の移籍後は平田薫、松原誠、鈴木康友、鴻野淳基と受け継がれ、1992年から背負ったのが谷口功一だ。

天理高2年生時に夏の甲子園で優勝した身長191センチの大型右腕はドラフト1位で巨人に入団。しかし、ケガもあって大成せず、4年目から背番号は48に変更された。1997年に戦力外となり、近鉄にテスト入団したもののNPBで1勝も挙げられずじまい。その後はアメリカの独立リーグでもプレーした。

現在は東大阪市にある独立リーグ球団「06BULLS」の球団代表兼GMを務めている。

川口和久:1995〜98年

川口和久は広島の左腕エースとして7度の2桁勝利をマークするなど通算132勝を挙げ、1994年オフにFA宣言して巨人入りした。

「メークドラマ」と呼ばれた1996年はリリーフとして活躍し、自身初の胴上げ投手。巨人には4シーズン在籍して計8勝13敗4セーブだった。通算成績は435試合登板、139勝135敗4セーブ。最近は故郷の鳥取で農業をする様子が報じられている。

亀井義行:2005〜06年

亀井義行は背番号9のイメージが強いが、入団当初は「25」だった。川口の引退後は平松一宏や三澤興一らが受け継ぎ、2005年、中央大から入団して「25」を背負った亀井は20試合に出場して打率.143だった。

その後「35」を経て、2009年から「9」を背負い、通算1069安打、101本塁打をマーク。2021年限りで引退し、現在は巨人の一軍外野守備走塁コーチを務めている。

李承燁:2007〜10年

韓国・三星時代に当時アジア新記録の56本塁打をマークした李承燁は、2004年にロッテ入り。2006年から巨人に移籍し、1年目に打率.323、41本塁打、108打点の好成績を残した。

2011年にはオリックスでもプレーし、2012年から韓国球界に復帰。NPB通算159本塁打、韓国では歴代最多の467本塁打、1498打点を挙げた。

村田修一:2012年〜17年

2011年のジョシュ・フィールズを挟み、2012年から背番号25をつけたのが村田修一。横浜時代の2007、08年に2年連続本塁打王に輝いたスラッガーは、FA宣言して巨人入りした。

移籍1年目は12本塁打に終わったものの、2年目の2013年にはフル出場して打率.316、25本塁打、87打点をマーク。巨人在籍6年で通算109本塁打を放った。

2017年は118試合に出場しながらオフに自由契約となり、翌2018年はBCリーグ栃木でプレー。NPB復帰を断念して同年限りでユニフォームを脱いだ。

大学時代からNPB、栃木で引退するまで背番号25を貫いた。巨人の打撃兼内野守備コーチを務める現在は「75」を背負っている。

岡本和真:2018年〜

2018年、村田の退団を受けて岡本和真が「38」から「25」に変更した。智弁学園高から2014年ドラフト1位で入団して4年目。自身初のフル出場を果たし、33本塁打、100打点と大きく飛躍するシーズンとなった。その後、4年連続30発をマークし、2020年から2年連続本塁打&打点の二冠王に輝いている。

他球団を見渡しても「25」は投手も多く、固定されたイメージはない。イチローが「51」のイメージを定着させたように、岡本が「25」を自分色に染めるか。今後のさらなる活躍が期待される。

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