個性豊かな名馬が揃うステイヤーの系譜

2009年5月3日、天皇賞(春)。テレトラック横手内のウインズ横手に向かう車内で、父といつもの様に予想を組み立てていた。結論は「日経賞組が軽視されすぎ。アルナスラインとマイネルキッツでもう一度」。

しかし、マークシートに塗り込むころには「ディープスカイ、カワカミプリンセス、マツリダゴッホをまとめて倒したドリームジャーニーで決まり」と話が変わってしまった。結果はご存知の通り日経賞の2頭で決まり。「最初の通りに買っていれば軽トラが買えていた」と帰路でボヤいたのが忘れられない思い出だ。

さて、今週は天皇賞(春)。そこで、筆者の心に残る三頭のステイヤーを紹介したい。

淀を愛した、孤高のステイヤー。ライスシャワー

ライスシャワーの主な勝鞍,ⒸSPAIA


JRAのヒーロー列伝のポスターに刻まれているキャッチコピーが、いかにこの馬の長距離適性が優れていたかを如実に表している。生涯成績25戦6勝。主な勝鞍は、

1992年 菊花賞(京都・芝3000m)
1993年 日経賞(中山・芝2500m)
1993年 天皇賞(春)(京都・芝3200m)
1995年 天皇賞(春)(京都・芝3200m)

となっている。皐月賞以降2000m以上の重賞レースを走り続け、距離別成績は下記となる。

2000m [0-0-0-3]
2200m [0-2-1-3]
2400m [0-1-0-1]
2500m [1-2-1-3]
3000m [1-0-0-0]
3200m [2-0-0-0]

数字だけで見ると彼は3000m以上のレースで一度も負けることなくGⅠを3勝、重賞勝ちもすべて2500m以上なのだから、生粋のステイヤーと言っても過言ではないだろう。

92年の菊花賞では無敗の二冠馬ミホノブルボンを、93年の天皇賞(春)では2連覇中だったメジロマックイーンを破るなど、戦ってきたライバルたちも超一流だった。

94年以降、440kg前後の馬体ながら常に斤量58kg以上を背負い走り続けたライスシャワー。唯一56kgで走ることが出来た有馬記念では、その年の三冠馬ナリタブライアンに0.9秒差の3着だった。

勝てない日々が続くなか「このまま終わるわけない……」と当時、子供心にそう思っていた。世間の評価は「刺客」とか「マーク屋」的な見られ方をしていたが、私にはどうしてもそうは見えなかった。日本ダービーのときも、マックイーンを退けた93年の天皇賞(春)のときも、ライスシャワーは最軽量馬ながら正攻法で戦い続けているように見えた。自身が勝つために最善の走りをする。だからか、刺客のキャッチフレーズに反骨心を覚え応援していた。

気付けば約2年間勝ち星から見放されていた95年の天皇賞(春)。下の世代に人気を譲り、4番人気でスタート。3コーナーを過ぎるとスパートし、直線で逃げ込みを図る姿にテレビの前で床をバンバン叩いて応援を続けていた。猛追するステージチャンプ、2頭が並んだところがゴールだった。脚色は完全に劣勢、どちらが勝ったか全くわからなかったが、結果はハナ差しのぎ切り728日ぶりの勝利。自身の走りを見せ根性で勝ち切った。

強いライスシャワーが帰ってきた。あの日の感動は今も色あせることなく胸に残っている。

主演作12本。メジロマックイーン

メジロマックイーン GⅠの軌跡,ⒸSPAIA


このフレーズもJRAヒーロー列伝のポスターから。21戦12勝[12-6-1-2]。キャッチコピー通りである。しかしマックイーンは最初から活躍していたわけではない。脚部不安などもありデビューは年明け。その後も芝ダート問わず条件戦であと一歩が続く日々。初重賞挑戦は1990年の菊花賞だった。レース内容は完勝という言葉以外見つからず、重馬場ながら当時の菊花賞史上3位のタイムで制した。

古馬になってからマックイーンは一気に強さを発揮する。5歳以降の成績を当時の単勝オッズも踏まえながら振り返ってみたい。なお、馬齢は当時の旧齢、改修工事などの影響で開催レース場は現在とは一部異なっている。

1991年 5歳時
阪神大賞典 1着(中京・芝3000m)1.2倍
天皇賞(春) 1着(京都・芝3200m)1.7倍
宝塚記念 2着(京都・芝2200m)1.4倍
京都大賞典 1着(京都・芝2400m)1.1倍
天皇賞(秋) 1位降着18着(東京・芝2000m)1.9倍
ジャパンカップ 4着(東京・芝2400m)1.9倍
有馬記念 2着(中山・芝2500m)1.7倍

1992年 6歳時
阪神大賞典 1着(阪神・芝3000m)1.3倍
天皇賞(春) 1着(京都・芝3200m)2.2倍

1993年 7歳時
産経大阪杯 1着(阪神・芝2000m)2.4倍
天皇賞(春) 2着(京都・芝3200m)1.6倍
宝塚記念 1着(阪神・芝2200m)1.5倍
京都大賞典 1着(京都・芝2400m)1.2倍

GⅡレースは91年の阪神大賞典以外すべて59kgを背負いながら3馬身以上の差をつけ圧勝。また、トウカイテイオーとの一騎打ちムードとなった92年の天皇賞(春)と、骨折の影響で約1年ぶりのレースとなった93年の産経大阪杯以外のすべてのレースで単勝1倍台の圧倒的な支持を集めた。このことから考えても、当時マックイーンがいかにファンに支持されていたかが分かる。

京都大賞典では2分22秒7のコースレコードを樹立。この数字は衝撃でしかなかった。今から約30年前、このレースのレコードタイムは2分24秒6。つまりレコードを1秒9も更新したのである。しかも10頭立て、天皇賞(秋)の前哨戦としての仕上げ、斤量59kgを背負った状態でだ。7歳にして1頭の怪物的サラブレッドが誕生した瞬間だった。

しかし運命とは皮肉なもので、天皇賞(秋)の追い切りで故障が発生し現役を引退。それ以降の活躍は夢となった。だからこそ、最強馬がだれか議論になった際には必ずマックイーンの名前があがるのだろう。

歴史的大差勝ちで覚醒した才能。メジロブライト

1998年 天皇賞(春),ⒸSPAIA


最後の1頭は悩みに悩んだ。ビワハヤヒデ、オルフェーヴル、ゴールドシップ。ディープインパクトやキタサンブラックも勝鞍を見るとステイヤーと言えるのではないか。GⅠ馬以外にも8年連続で阪神大賞典と天皇賞(春)に出走したトウカイトリックもいる。

そんななかで1頭の名前が頭に浮かんだ。メジロブライトである。クラシックでは皐月賞4着、日本ダービー3着、菊花賞3着。常に上位人気に支持されながら父メジロライアン同様、あと一歩栄光に手が届かなかった。

そのブライトは3600mのステイヤーズSで一変する。雨天の中山競馬場に訪れたファンをアッと言わせる大差勝ちを演じたのだ。2着につけた差は1.8秒。これはサイレンススズカが金鯱賞で付けたタイム差と並び、グレード制導入後の平地重賞では最大の記録である。しかもラスト200mを切ってから突き放しただけに、衝撃度は凄まじかった。

その勢いに乗りAJCC、阪神大賞典を連勝。そして1998年5月3日の天皇賞(春)を迎えたる。

1着 メジロブライト(河内洋・2番人気)
2着 ステイゴールド(熊沢重文・10番人気)
3着 ローゼンカバリー(横山典弘・5番人気)
4着 シルクジャスティス(藤田伸二・1番人気)
5着 ダイワオーシュウ(柴田善臣・3番人気)

昨年のグランプリホースであるシルクジャスティス、菊花賞2着馬ダイワオーシュウ、覚醒前とはいえダイヤモンドS2着、日経賞4着のステイゴールドなど、同級生たちを難なく蹴散らした。この半年間のメジロブライトの強さは間違いなく、歴代ステイヤーたちと並んでも胸を張れる走りだった。

今年は5月1日に天皇賞(春)が開催される。今後の長距離界を引っ張る存在はどの馬になるか、今から楽しみでならない。

《ライタープロフィール》
高橋楓。秋田県出身。
競馬のWEBフリーペーパー&ブログ『ウマフリ』にてライターデビュー。競馬、ボートレース、競輪の記事を中心に執筆している。

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