若松勉:1972〜89年

プロ野球では各球団によって重みの違う背番号がある。ヤクルトで永久欠番に指定された背番号はないものの、古田敦也氏が背負った「27」や若松勉氏が背負った「1」などは大切に扱われており、単なる数字ではない。ヤクルト歴代の主な背番号1を紹介する。 

若松は北海高から電電北海道を経て1970年ドラフト3位でヤクルトに入団。身長168センチの小柄ながらシュアな打撃で1年目から112試合に出場して打率.303をマークした。

2年目の1972年に打率.329、1977年には打率.358で2度の首位打者に輝く。1978年には打率.341をマークして初優勝に貢献し、セ・リーグMVPに選ばれるなど、1989年に引退するまで通算2062試合出場、2173安打、220本塁打、884打点。生涯打率.31918はNPB通算4000打数以上の打者ではレロン・リーに次いで歴代2位のハイアベレージだった。

引退後はコーチを経て1999年からヤクルトの監督を務め、2001年に優勝。7シーズンで496勝を挙げた。

池山隆寛:1992〜99年

池山隆寛は市立尼崎高から1983年ドラフト2位でヤクルトに入団。思い切りのいいスイングで頭角を現し、1988年に31本塁打、81打点をマークすると、1992年まで5年連続30発を放った。

入団当初は背番号36だったが、1992年から「1」に変更。「ブンブン丸」の愛称で親しまれ、広沢克己が1994年オフにFAで巨人に移籍するまでヤクルト打線を牽引した。

成績の下降に伴い、2000年から背番号36に戻して心機一転を図ったが、2002年限りで現役引退。通算304本塁打は現在も球団最多記録となっている。

引退後はヤクルトと楽天でコーチを歴任し、現在はヤクルトの二軍監督を務めている。

岩村明憲:2001〜06年

岩村明憲は宇和島東高から1996年ドラフト2位で入団し、2000年に18本塁打、66打点をマークして翌2001年、背番号48から「1」に変更した。

2004年には44本塁打、103打点をマーク。タイトルにこそ届かなかったが、力強い打撃でキャリアハイの成績を収めた。

2006年オフにポスティング・システムでMLBデビルレイズに移籍。メジャーでは4シーズンプレーし、通算16本塁打を放った。2011年に楽天入りして日本球界復帰し、2013年からヤクルトでプレーしたが、その時は背番号48だった。

NPBでは通算193本塁打。2014年オフにヤクルト退団後はBCリーグの福島ホープス(現福島レッドホープス)の選手兼任監督に就任し、現在も指揮を執っている。

青木宣親:2010〜11年

現役の青木宣親も2年間だけ「1」を背負った。早稲田大から入団した当初は背番号23だったが、2005年に打率.344、2007年に.346で首位打者のタイトルを獲得するなど実績を挙げ、2010年から「1」を継承。同年も打率.358で3度目の首位打者に輝いた。

2011年オフにポスティングシステムでブルワーズ移籍。メジャー通算6年で774安打、打率.285をマークした。2018年にヤクルトに復帰後は背番号23を背負い、現在もプレーしている。

山田哲人:2016年〜

青木の退団後、4年間空き番だった「1」を受け継いだのが山田哲人だ。履正社高から2010年ドラフト1位で入団し、2015年に38本塁打、100打点、34盗塁、打率.329で本塁打王、盗塁王、最高出塁率のタイトル獲得とともにトリプルスリーを達成。翌2016年から青木の後を追うように背番号23から「1」に変更した。

その後も2016、2018年と3度のトリプルスリーを達成。2021年は34本塁打、101打点で優勝にも貢献し、リーグを代表する強打者の一人となっている。

【関連記事】
・ヤクルト・山田哲人に期待される日米3人目の大偉業とは?
・斎藤佑樹と大石達也に沸いた2010年ドラフトの答え合わせ、一番出世は?
・巨人の背番号6の歴史、土井正三、篠塚利夫、坂本勇人が受け継ぐ強打の内野手の系譜