愛工大名電が初戦突破

開催中の第104回全国高校野球で愛工大名電(愛知)が星稜(石川)を14−2で下して初戦突破した。元中日・岩瀬仁紀氏を父に持つ右腕・岩瀬法樹(3年)が登板するなど話題性も十分。2回戦は八戸学院光星(青森)と対戦。今後の戦いぶりが注目される。

愛工大名電と言えば、愛知県の「私学4強」の1校として知られる。中京大中京、東邦、愛工大名電、享栄のライバル4校は激しいつばぜり合いを演じ、たくさんのドラマを生んできた。改めてその歴史を振り返りたい。

全国最多の甲子園136勝を誇る中京大中京

4強の中でも最も甲子園出場回数が多く、高校球界全体を引っ張ってきたと言っても過言ではないのが中京大中京だ。甲子園には春32回、夏28回出場。そのうち春は4回、夏は7回優勝している。

中京商だった戦前の最大の実績は、今も燦然と輝く史上唯一の選手権3連覇だろう。1931年に決勝で嘉義農林(台湾)を破って初優勝を果たすと、1932年は決勝で松山商(愛媛)との延長11回の激闘を制して2連覇。さらに1933年は準決勝で明石中(兵庫)との延長25回の死闘を制し、決勝で平安中(京都)を破って3連覇を果たした。

夏の3連覇に隠れがちだが、センバツも1931年は準優勝、1932年、1933年はベスト4に進出。当時は5年制の中等学校だったため、エース吉田正男は6季連続で出場し、史上最多の甲子園通算23勝(3敗)を挙げた。あのPL学園・桑田真澄の20勝をも上回っており、おそらく破られることはないだろう。

さらに1937年、38年には夏春連覇。1938年センバツでは東邦商との愛知対決を制しての優勝で、まさに全国有数の強豪だった。

その後も勝利を積み重ね、1966年には作新学院に続いて史上2校目の春夏連覇。翌1967年に中京に改称し、1982年には、後にドラフト1位で阪急に入団する2年生エース野中徹博を擁して春夏連続ベスト4に進出した。さらに翌1983年夏の準々決勝では、夏春夏3連覇を目指していた池田(徳島)の水野雄仁と投げ合い、甲子園を沸かせた(結果は1−3で敗戦)。

1995年には中京大中京に改称。2009年夏には、現在も広島で活躍する堂林翔太を擁して7度目の選手権制覇。日本文理との壮絶な決勝戦は今も名勝負として語り継がれている。

これだけ長きにわたってトップクラスに君臨している高校は全国でも少ない。センバツ通算58勝、選手権通算78勝、春夏通算136勝はいずれも全国最多。2023年は開校100周年の節目でもあり、名門がさらに記録を伸ばすか楽しみだ。

センバツ5回優勝「春の東邦」

センバツで中京大中京に次ぐ甲子園56勝を挙げているのが東邦だ。春30回、夏17回の甲子園出場を誇り、優勝は春のみ5回と極端にセンバツで強く「春の東邦」の異名を持つ。

東邦商だった1934年センバツ決勝で浪華商(大阪)を破って初優勝を果たすと、1939年センバツで2度目の優勝。1941年センバツでも頂点に立っている。戦後は東邦に改称し、1977年夏には細身の体躯から「バンビ」と呼ばれた1年生エース坂本佳一を擁して準優勝。夏はこれが過去最高成績となっている。

1989年には左腕・山田喜久夫の力投で決勝に進出。元木大介(現巨人ヘッド兼オフェンスチーフコーチ)のいた上宮(大阪)に延長10回逆転サヨナラ勝ちして頂点に立った。

2019年には現中日の石川昂弥を擁して勝ち上がり、決勝で習志野(千葉)を破って5度目のセンバツ制覇。平成最初と最後のセンバツ優勝校として話題になった。

2022年は春の県大会で優勝したが、夏は県大会決勝で愛工大名電に敗れ、甲子園出場はならなかった。2023年は創立100周年だけに甲子園での活躍が期待される。

プロに多数の名選手輩出した愛工大名電

愛工大名電は1912年に名古屋電気学講習所を創立され、1949年に名古屋電気、1960年に名古屋電気工業となった。甲子園初出場は名古屋電工時代の1968年センバツだった(準々決勝進出)。

1976年に再び名古屋電気に戻ると、1981年夏、前ソフトバンク監督の左腕・工藤公康を擁してベスト4入り。準決勝で金村義明のいた報徳学園(兵庫)に敗れたが、初戦の長崎西戦でノーヒットノーランを達成した工藤は同年ドラフトで西武入りし、プロで224勝を挙げる名投手となった。

1983年に愛工大名電に改称し、初の全国制覇は2005年センバツ。決勝で神村学園(鹿児島)に快勝して、前年2004年センバツ決勝で済美(愛媛)に敗れて逃した紫紺の大旗をつかんだ。

これまで春9回、夏13回甲子園に出場。イチローや山﨑武司らプロで活躍した選手も多数輩出しており、今夏も注目校のひとつだ。

2000年を最後に甲子園から遠ざかる享栄

私学4強の中で最も甲子園から遠ざかっているのが享栄だ。春11回、夏8回出場しているが、最後の出場は2000年センバツ(初戦敗退)。2021年秋の県大会で優勝して久々の甲子園に近付いたが、2022年夏は県大会準決勝で東邦に敗れた。

初めての甲子園は享栄商時代の1933年センバツ。準々決勝に進出したが、同じ愛知の中京商に敗れた。中退したためあまり知られていないが、400勝投手・金田正一も享栄商出身。1年生だった1948年夏にベスト8入りしたが、金田は登板していない。

1967年に享栄に改称し、全国の注目を集めたのは1983年センバツだろう。強打者・藤王康晴が現在も大会最多タイ記録の3本塁打を放ち、ベスト8入り。準々決勝で東海大一(静岡)に敗れたが、藤王は同年ドラフト1位で地元・中日に入団した。

さらに3年後の1986年には、左腕エース近藤真市を擁して春夏連続出場。夏は3回戦で高知商(高知)に敗れて甲子園を去ったが、近藤はドラフト1位で中日入りし、1年目に初登板ノーヒットノーランという史上初の快挙を成し遂げた。

現在、享栄の指揮を執るのは元中京大中京の大藤敏行監督。ライバル校から転任し、名門復活を目指している。甲子園で「KYOEI」のユニフォームを見られる日を楽しみに待とう。

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