息子もプロ野球選手の会田照夫

ヤクルト・奥川恭伸の背番号が11から18に変更される。2021年に9勝を挙げて優勝に貢献したが、2022年は3月29日の巨人戦に登板したのみ。2023年からエースナンバーを背負って心機一転を図る。

これまでヤクルトの18番を背負ってきた選手を振り返ると、数々の名プレーヤーが名を連ねている。1971年から背負ったのが会田照夫だった。

埼玉・上尾高から東洋大、三協精機を経て1970年ドラフト8位で入団。1年目から先発に定着して6勝を挙げる。2年目以降は中継ぎでの起用が増えたが、1976年には10勝をマーク。10年間の現役生活で273試合に登板し、29勝45敗3セーブの成績を残した。

会田の三男・会田有志も2005年大学・社会人ドラフト7巡目で巨人入りし、2007年に3勝したことで、プロ野球史上初の父子一軍勝利となった。

サッシーこと酒井圭一

酒井圭一は長崎・海星高のエースとして1976年夏の甲子園でベスト4入り。当時話題になっていた「ネッシー」にちなんで「サッシー」と呼ばれ、大旋風を巻き起こした。

同年ドラフト1位でヤクルト入りすると背番号18を与えられた。3年目に28試合に登板してプロ初勝利を含む4勝を挙げる活躍。しかし、怪我の影響もあって成績は伸びず、1984年には背番号23に変更した。

1990年に引退するまで215試合に登板し、6勝12敗4セーブ。引退後は打撃投手を経て、スカウトとして未来のエース獲得に奔走した。

全日本のエース伊東昭光

酒井の後、2年の空白期間を経て18番を受け継いだのが伊東昭光だ。本田技研時代にロサンゼルス五輪の日本代表として金メダル獲得。1985年ドラフト1位でヤクルトに入団した。

3年目となる1988年にはリリーフとして18勝を挙げて最多勝のタイトル獲得。規定投球回に達していない投手の最多勝は史上初だった。

その後は1993年に13勝、1995年に10勝を挙げるなど通算87勝76敗21セーブをマーク。引退後は投手コーチや二軍監督を務め、2018年に編成部長に就任した。

2年目に最多勝を獲得した藤井秀悟

藤井秀悟は今治西高から早稲田大を経て1999年ドラフト2位(逆指名)でヤクルトに入団。当初は背番号23だったが、2年目の2001年に14勝を挙げて最多勝を獲得すると、翌2002年から背番号18に変更された。

2008年1月に川島慶三、橋本義隆、押本健彦との3対3の交換トレードで坂元弥太郎、三木肇とともに日本ハムへ移籍。ヤクルトでは53勝を挙げた。

その後、巨人、DeNAとわたり歩き、通算83勝をマーク。引退後は巨人の打撃投手などを務めていたが、2022年に関西独立リーグ・06BULLSのGM補佐兼投手コーチに就任し、2023年から監督を務めることになった。

元「高校BIG4」寺島成輝

2014年から3年間背負った杉浦稔大から18番を受け継いだのが寺島成輝だった。

履正社高時代に横浜・藤平尚真(現楽天)、作新学院・今井達也(現西武)、花咲徳栄・高橋昂也(現広島)とともに「高校BIG4」と呼ばれ、2016年ドラフト1位でヤクルトに入団。左腕から繰り出す力強いストレートを高評価され、背番号18を与えられた。

4年目の2020年には30試合登板して待望のプロ初勝利をマーク。しかし、ケガもあって伸び悩み、2022年オフに戦力外通告を受けた。

言うまでもなく、18番を与えるのは球団の期待の表れ。奥川は今後どんな大投手になっていくのだろうか。日本一奪回に欠かせないピースであることは確かだ。

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