トップは有藤通世、2位はレロン・リー

2022年は2年連続の2位から一転となった3年ぶりのBクラスとなる5位に終わったロッテ。打線はリーグ3位の501得点を記録するも、本塁打はリーグ5位の97本と長打力不足に泣いた1年だった。

ただ、過去には3度の三冠王を獲得した落合博満や、史上最年少となる31歳7か月で2000安打を達成した榎本喜八など数々の強打者を輩出してきた。前身球団を含めて、ロッテの歴代の通算本塁打ランキングを紹介する。

ロッテの通算本塁打ランキング(前身球団含む)


歴代トップは348本塁打で“ミスターロッテ”有藤通世。高知高から近畿大を経て1968年ドラフト1位で東京オリオンズ(翌年からロッテオリオンズ)に入団すると、1年目から三塁のレギュラーを獲得し、打率.285、21本塁打の成績で新人王に輝いた。2年目以降も安定した活躍を見せ、15年連続で100安打以上を記録。

本塁打も17年連続で2ケタを記録するなど長年打線の中心として活躍した。86年限りで現役を引退。翌87年から89年まで監督を務め、生涯オリオンズ一筋を貫いた。

2位はレロン・リーで283本塁打。1977年にロッテへ入団すると、1年目から打率.317、34本塁打、109打点の好成績で本塁打と打点の二冠を獲得した。以降もハイレベルな打撃を披露し、3割を切ったのは退団した87年のみ。通算打率.320はNPB歴代トップ(4000打数以上)で、30本塁打以上も5度記録した。

山内一弘、榎本喜八、落合博満と球史に残る大打者がランクイン

3位は山内一弘の262本塁打。1952年に毎日オリオンズに入団し、毎日および大毎オリオンズで「ミサイル打線」の主軸打者として活躍した。3年目に28本塁打で初の2ケタ本塁打を記録すると、59年(25本)と60年(32本)には2年連続本塁打王を獲得。退団する63年まで10年連続で2ケタ本塁打をマークした。

63年オフに小山正明との「世紀の大トレード」が成立し、阪神へ移籍。67年には史上2人目の通算2000安打を達成した。同年オフに広島へ移籍し、70年に現役を退いている。

4位は245本塁打の榎本喜八。通算2314安打をマークした“安打製造機”は早稲田実業高から1955年に毎日へ入団すると、1年目から一塁のレギュラーを獲得し、新人王に輝く。その後は華々しい活躍で首位打者を2回、最多安打のタイトルは4回獲得。68年には史上最年少となる31歳7か月で2000安打を達成した。

本塁打はシーズン最多が66年の24本だったが、在籍17年間で2ケタ本塁打を14度記録するなどコツコツと積み上げ、245本にまで達した。72年にトレードで西鉄へ移籍し、同年限りで現役を引退している。

5位は落合博満の242本塁打。秋田工高から東洋大に進学するも中退し、東芝府中を経て1978年ドラフト3位でロッテに入団した。3年目に打率.326で首位打者を獲得すると、翌82年には打率.325、32本塁打、99打点で自身初の三冠王に輝いた。

その後も打撃の進化は止まらず、85、86年にも2年連続で三冠王となり、史上最多3度目の三冠王を獲得した。86年オフに4選手との交換トレードで中日へと移籍。以降、巨人、日本ハムと渡り歩き、通算ではNPB歴代6位となる510本塁打を積み上げた。

6位は232本塁打の初芝清。二松学舎大附高から東芝府中を経て1988年ドラフト4位で入団すると、2年目の90年に三塁の定位置を掴む。同年オープンした千葉マリンスタジアムのこけら落としの試合で、球場初本塁打を放つなど18本塁打をマークした。95年には自己最多の25本塁打を放ち、80打点で自身唯一のタイトルとなる打点王を獲得。ロッテ一筋で17年間プレーし、2005年に現役を引退した。

現役選手はランクインならず

7位はジョージ・アルトマンで193本塁打。1968年に東京オリオンズへ入団すると、1年目から打率.320、34本塁打、100打点の好成績で打点王を獲得。球団名がロッテとなって2年目の70年には、打率.319、30本塁打の活躍で初のリーグ優勝に貢献した。

74年には開幕から打ちまくり三冠王もうかがう勢いだったが、大腸ガンが発覚して離脱。これを機に一致団結したチームは初の日本一へと駆け上がった。だが、このオフの契約交渉が折り合わず退団。阪神へと移籍するも75年限りで現役を引退した。

8位には183本塁打で堀幸一が入った。長崎・海星高から1987年ドラフト3位で入団。3年目から一軍に定着し、91年に初の規定打席に到達して20本塁打を記録した。98年には全打順本塁打を達成。2003年には自己最多の22本塁打を放つなど中距離打者として長らくレギュラーを務め、2010年に現役を引退した。13年からはコーチを務めている。

9位は山崎裕之で182本塁打。埼玉県立上尾高から1965年に東京オリオンズへ入団すると、4年目の86年に初の2ケタとなる14本塁打を記録。70年には自己最多の25本塁打を放つなど、在籍14年で10度の2ケタ本塁打をマークした。78年オフにトレードで西武に移籍して黄金期の礎を築き、84年限りで現役を引退した。

10位には130本塁打のレオン・リー。2位に入ったレロンの実弟で、兄から1年遅れて78年に入団すると、1年目から打率.316、19本塁打の好成績を残す。2年目は打率.304、35本塁打、93打点、3年目は打率.340、41本塁打、116打点と年々成績を伸ばすも、タイトルには縁がなく、82年オフにトレードで大洋(現DeNA)へと移籍した。その後、86年にヤクルトへ移り、87年に退団。NPB通算では268本塁打を記録した。

残念ながら現役選手の名前はなかった。2022年は高卒4年目の主砲候補・山口航輝がチーム最多の16本塁打を放った。将来的に、有藤通世の球団記録を抜くような大砲へと成長することが期待される。

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