鶴岡一人が球団初優勝に導く

2022年はオリックスと熾烈な優勝争いを繰り広げるも最終戦で敗れ、2年ぶりのリーグ優勝を逃したソフトバンク。常勝軍団を率いる藤本博史監督は2年目となる翌シーズン、リーグ優勝が絶対命題となる。

2010年以降、6度のリーグ優勝、7度の日本一と常勝の名を欲しいままにしているソフトバンクだが、これまでどのような監督がチームを率いてきたのだろうか。前身球団も含めて歴代の監督を振り返る。

ソフトバンクの歴代監督"


1938年3月1日に南海鉄道を親会社とする南海軍が誕生。初代監督には高須一雄が就任した。初年度は11勝26敗3分に終わり、首位から18ゲーム差の9チーム中8位に終わる。高須は3年間監督を務めたが、兵役で主力選手を軍隊にとられるなど苦戦が続き、2年目の5位が最高成績となった。

1941年からは三谷八郎が監督に就任。1年目に球団初の勝ち越しとなる43勝41敗で4位となるが、2年目の途中に監督を辞任した。この後を受けて加藤喜作が3代目監督に就任したが、、チームは6位に終わった。翌93年に高田勝生が指揮を執るが、こちらもシーズン途中で辞任したため、加藤が再登板。1944年まで指揮を執ったが、兵役による主力選手の離脱で戦力が整わず、最高成績は6位だった。

終戦後の1946年からは当時29歳の鶴岡一人(山本一人)が選手兼任監督に就任。1年目に球団初優勝を成し遂げると、52年までに4度のリーグ優勝に導いた。52年限りで現役を引退し監督業に専念する。

専任監督となった鶴岡は、1968年までの通算23年間もの長きにわたって指揮官を務め、リーグ優勝11回、日本シリーズも2回制覇。1959年には4連勝で日本一に輝き、「涙の御堂筋パレード」で2リーグ分裂後としては初めて、大阪に日本一の優勝旗を掲げた。

ただ、鶴岡は1965年オフに一度監督を辞任している。後任として百万ドルの内野陣の一人として活躍した蔭山和夫が11月13日に新監督に就任したが、そのわずか4日後に急死。再び監督の座に就くこととなった鶴岡は、この年リーグ優勝を果たすなど改めて3年間監督を勤めあげ、68年をもって勇退した。

野村克也が南海最後の優勝監督に

鶴岡の勇退を受け1969年、飯田徳治が監督に就任。サンケイ(現ヤクルト)でも監督経験のあった飯田だが、主力選手に故障者が続出したこともあり、戦後初の最下位に終わった。この責任を取る形で監督を辞任。後任には野村克也が選手兼任で監督に就任した。

「シンキング・ベースボール」を掲げた野村は初年度2位に入ると、前後期制が導入された1973年に前期優勝。阪急とのプレーオフも制し、7年ぶりのリーグ優勝を果たした。巨人との日本シリーズでは1勝4敗で敗れている。その後も76、77年に2位に入るなど毎年のように優勝争いを繰り広げたが、あと一歩届かず。77年9月28日に女性関係を問題視され、公私混同を理由に監督を解任された。

1978年、野村の後任として広瀬叔功が監督に就任した。恩師・鶴岡の「古き良き鶴岡時代」への回帰を目標としたが、球団のやり方に納得できないとして江夏豊、柏原純一の投打の主軸が退団した影響もあり、3年間で最下位が2度と低迷。80年限りで監督を辞任した。

1981年、野村時代のヘッドコーチであるドン・ブレイザーが監督に就任。野村に伝授した「シンキング・ベースボール」を掲げるも、成績は最下位、5位と低迷。さらに持病の心臓病に加えて痛風も併発するなど健康上の問題もあり、82年限りで辞任した。

1983年からは、前年二軍監督として手腕を発揮していた穴吹義雄が就任。「もうける野球」を掲げ、試合勝利後にベンチ前で万歳三唱するなどチームの再建と観客動員のアップを目指したが、3年間で5位2回、6位1回と低迷。85年シーズン終了後に解任された。

1986年、杉浦忠が新監督に就任。再建を託されチームの若返りを図る中、初年度は前年に続き最下位に沈んだ。翌87年は善戦するも4位に終わると、88年のシーズン中にダイエーへの球団売却が決定した。南海ホークスとしての最終シーズンとなったが、この年の最終順位も5位。杉浦は福岡移転初年度の89年まで4年間指揮を執るが、一度もAクラス入りすることができず、勇退した。

根本陸夫と王貞治のタッグで常勝軍団へ

1990年、現役時代は捕手として活躍し、本塁打王も獲得した田淵幸一が監督に就任。だが、監督としての采配は振るわず、3年間で6位、5位、4位とすべてBクラスに終わり、 92年限りで成績不振を理由に解任となった。

1993年、ダイエーは球界の寝業師と呼ばれ西武の黄金期を築いた根本陸夫を、監督兼球団取締役として迎え入れた。根本は成績こそ振るわなかったが、就任当初から2年間チームの基盤作りに終始。後任監督として王貞治を招聘し、自身はGMに専念することとなる。

1995年、監督に就任したのは王貞治。言わずと知れた世界の王は巨人一筋だったが、根本監督の説得によりダイエーの監督に就任した。最初の3年間はBクラスに低迷したが、万年下位に低迷するチームを一から鍛え直し、就任4年目の98年に3位となり初のAクラス入り。

翌99年に福岡移転後初のリーグ優勝へと導き、日本シリーズでも中日を下し、日本一に輝いた。ホークスを常勝軍団へと変貌させた王は、2008年限りで退任するまで14年間監督を務め、3度のリーグ優勝、2度の日本一を達成した。

2009年から指揮を執ったのは秋山幸二。現役時代は西武黄金期に活躍し、トレードで移籍したダイエーでも日本一を経験した。監督初年度は3位だったが、2年目の09年にソフトバンクとなって初のリーグ優勝を成し遂げると、翌10年には日本一を達成。14年限りで退任するまでの6年間で3度のリーグ優勝、2度の日本一に導いた。

工藤公康が日本シリーズ4連覇達成

2015年からは現役時代に4チームを渡り歩き、優勝請負人として活躍した工藤公康が就任した。1年目からチームを日本一に導き、球団史上初の日本シリーズ連覇を成し遂げる。2年目は2位に終わるが、3年目の17年はリーグ史上最速で優勝を決め、2年ぶりの日本一にも輝いた。

18、19年はレギュラーシーズンこそ2位だったが、クライマックスシリーズを勝ち抜き日本シリーズに進出。その日本シリーズも制し、球団初の3年連続日本一を達成した。翌20年も日本一となり4連覇まで数字を伸ばしたが、21年は自身初のBクラスとなる4位に沈み、監督を辞任。6年間で3度のリーグ優勝、5度の日本一と輝かしい成績を残した。

2022年は前年二軍監督を務めていた藤本博史が一軍監督に就任した。開幕戦から8連勝を果たし、新人監督の開幕連勝記録のNPB新記録を樹立するなど序盤は好調だったが、主力の故障や離脱が相次ぎ失速。それでも最終盤に盛り返し優勝へのマジック1までこぎつけたが、最終戦で敗れ、オリックスに逆転優勝を許した。

2023年も指揮を執ることが決まっている藤本監督。今年の悔しさを糧にさらなる常勝軍団を築くべく補強にも力を入れている。3年ぶりのリーグ優勝、そして日本一の頂点を目指す2年目の藤本ソフトバンクの戦いから目が離せない。

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