5区で3年連続区間賞、順大の総合優勝にも貢献

箱根駅伝の初代「山の神」と呼ばれた今井正人(トヨタ自動車九州)が引退を発表した。2月25日に行われる日本選手権クロスカントリーが最後のレースになる。

「誠実」「実直」「謙虚」

今井に接してきた人は、よく彼の人柄をそう評する。大学4年生の時、山の神人気で多くのファンに囲まれたときにも、こう漏らしていたのが印象深い。

「平地では普通の選手ですから」

箱根駅伝の山上りの5区で2年生から3年連続区間賞区間新。4年生の時は順大の総合優勝にも貢献し、「山上りを制する大学が箱根を制する」という流れをつくった。山上りのスペシャリストを「山の神」と呼ぶようになったのも今井からだ。

そのインパクト故に、引退まで「山の神」の枕詞は消えなかったが、今井の社会人になってからの活躍はもっと評価されていいものだった。

マラソンで当時の日本歴代6位に

「平地ではただの選手」という彼の言葉は自虐的かと思われたが、自分を客観的にとらえていたかもしれない。

マラソンを始めてから、当時の一流選手の証しだった「サブテン(2時間10分以内)」をなかなか出せなかった。

「マラソンには向かないのではないか」

そういう声も多かった。でも、1992年バルセロナ五輪男子マラソン銀メダルの森下広一監督のもと、今井は地道に努力を重ねた。

初のサブテンは2014年の別府大分毎日マラソン。8回目のマラソンだった。記録は2時間9分30秒。今井は29歳になっていた。諦めない努力が実を結んだ。

翌年、30歳で迎えた東京マラソンでは、当時の日本歴代6位となる2時間7分39秒をマークし、同年の北京世界陸上の代表になった。惜しくも、ケガで世界陸上を走ることはできなかったが、山上りだけではない部分がもっと評価されていい選手だった。

「山の神」ゆえの苦しみ

マラソン選手としての今井が評価されていないとは言わない。しかし、先述の通り、山の神のインパクトがあり、正当な評価がされていないと思う。それ故、苦しんだこともあっただろう。

森下監督が一度、そんな評価に怒っていたことが思い出される。

今井が20代だったと思う。レースは覚えていないが、いい走りをした。森下監督によれば、その活躍をこういう趣旨で伝えたメディアがあったのだという。

「今井に輝きが戻った」

違う。今井は大学時代よりもトラックのスピードも、ロードのタイムも上がっている。社会人の結果にインパクトはないかもしれないが、確実に成長している。だから、森下監督は悔しかったのだと思う。

山の神ではなく、マラソンの今井に

「マラソンの今井と呼ばれたい」

社会人になったころ、今井はそういう趣旨のことを言っていた。「マラソン選手」という坂を、山の神と呼ばれた順大時代のように軽やかに駆け上がってはいけなかったかもしれない。当初は記録が伸びず、苦しんだ。

それでも諦めず、30歳で自己ベストをマークして日本代表に選ばれた。37歳で2時間8分台をマーク。派手さはなくとも、しっかりと結果を出し続けた。

今井正人は間違いなく「マラソンの今井」だった。

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